6. 信じている ~マルセナside~
6. 信じている ~マルセナside~
レオンハルト第一王子との食事会を終えて以来、私はどこか上の空で日々を過ごしていた。
理由などわかっている。自分がいったい『どう在りたいのか』を見失ってしまったからだ。
完璧な『聖女』としての私を求め、必要としてくれるレオンハルト王子。
重い仮面を外し、『素』の私でいることを望むライアン王子。
二人の対照的な言葉が頭の中をぐるぐると回り続け、私はカトリーナ教会から持ってきたあの小さな白いアストラムの花を見つめては、深くため息をついていた。花言葉は――『真実の想い』。
今日もランバート王国での教会の務めをこなしていると、この教会の聖女であるメアリーがやってきた。
彼女はまだ聖女としての経験が浅い。ライアン王子が私をここに住み込みで置いたのは、メアリーに経験を積ませるための指導役という意味合いもあった。私の沈んだ心境を察したのか、心優しい彼女は気を遣って昼食に誘ってくれた。
「マルセナ様には、好きな方はいらっしゃらないのですか?」
食事の最中、突然投げかけられた質問に私は目を丸くした。
「えっ?私ですか?」
話を逸らすのも気が引けて、私は少し考えてから口を開く。
「……特にはいないわ。どうして急にそんな話になったのかしら?私も年頃の女だもの、恋くらいしてみたいとは思うけれど……聖女である以上、そんなことを考えても仕方ないのだけどね」
嘘ではない。私はただ、恋という感情を知らないだけだ。そう割り切っているはずなのに、口に出すと自分でも不思議なほど胸がちくりと痛んだ。
「じゃあ、どんな方がお好みですか!?例えば……あっ、そうだ!あの方とか!」
なぜかメアリーは身を乗り出し、食い気味に迫ってくる。
「あの方って?」
「えっ?ですから……」
聞き返すと、彼女は急に顔を真っ赤にして口ごもってしまった。どうしたのだろうかと不思議に思って見つめていると、意を決したように彼女が言う。
「レオンハルト第一王子ですよ!もう、あんな素敵な方に求婚されたら、どんな女の子だって恋に落ちちゃいますよ!マルセナ様だって、きっと……!」
……なるほど、そういうことか。
聖女と王子、確かにそれはあり得ないことだ。けれど、もし私が彼と……そう想像しただけで、途端に胸がドクンと大きく跳ね、血の巡りが早くなるのを感じた。
ちょうどその時、昼休憩の終わりを告げる教会の鐘が鳴り響いた。
その鐘の音と一緒に、レオンハルト王子のあの時の熱を帯びた言葉が脳裏に蘇る。それからというもの、私の心には彼の存在がすっかり住み着いてしまったのだ。
それから数週間後。
今日はライアン王子の誕生日を祝う盛大なパーティーが開かれる日。もちろん、私も出席することになっている。
会場に足を踏み入れると、すでに大勢の貴族たちが集まり、豪華なドレスや装飾品の波が広がっていた。私はその波を縫うように歩き、主役であるライアン王子の姿をいち早く探した。
「ライアン王子!」
「ん?マルセナじゃないか。どうしたんだい、そんなに息を切らして」
彼を見つけて駆け寄ると、王子は不思議そうに目を瞬かせた。
「以前のようなことがあると嫌なので、今日は先に見張っておくことにしましたの」
「ああ……あの時のことか」
以前、彼がひどく酔っ払い、私が不埒な輩に絡まれそうになったところを助けてもらった時のことだ。
「お酒を召し上がるのは仕方ありませんが、あんなふうになるほど飲まないでくださいね。お願いいたしますわよ」
「分かったよ。それより……今日はずいぶんと気合が入っているね。何かあったのかい?」
その言葉にドキッとした。確かに今日の私は、普段よりも美しいドレスを纏い、髪も念入りに手入れをしてきた。無意識のうちに誰かの視線を意識していたのかと問われれば、自分でもうまく答えられないのに、彼にあっさりと見破られてしまったことが悔しい。
「別に、何もありませんわ」
私は内心の動揺を隠し、すまし顔で誤魔化した。
「……そうか。まあいいさ。せっかく来たんだ、君も楽しむといい。ほら、みんなが美しい君のことを見ているよ」
「私ではありませんわよ。今日の主役は貴方でしょう?」
そう言ってライアン王子が軽く手を振ると、途端に周囲の人々が一斉に歓声を上げた。その熱気に気圧され、私は少し気恥ずかしくなってそそくさとその場を離れた。
しばらく煌びやかなパーティーの様子を眺めていたものの、次第に人酔いして退屈になり、私は一人バルコニーへと出た。
夜風が火照った頬を撫でる。ここからは会場全体が見渡せた。ふと視線を彷徨わせると、遠くにレオンハルト王子の姿を見つけた。
その瞬間、胸の奥でドクンと奇妙な違和感が跳ねた。――この感覚は、一体なんなのかしら。
自分の気持ちの正体を確かめる術もないまま見つめていると、ふいに彼と目が合った。レオンハルト王子は真っ直ぐにこちらへ向かって歩いてくる。
「これは聖女マルセナ様。我が弟の誕生日パーティーはいかがですか?」
「はい。楽しく過ごさせていただいておりますわ。ところで……レオンハルト王子こそどうなされたのです? せっかくのパーティーですのに、こんな所へ来て私などに構っているお暇などありますの?」
「いや……ちょっとな」
彼は少し言い淀み、視線を逸らした。
「もしかして、大勢で騒ぐのがあまりお好きではないのかしら?それとも、お一人で静かに飲まれるのがお好きとか?」
冗談めかして聞いてみたけれど、彼は何も答えず、ただ静かに微笑んでいた。
そして次の瞬間、私は彼の強い腕の中にすっぽりと包み込まれていた。
「ちょっ……レオンハルト王子……っ!?」
突然の出来事に驚き、声が上擦る。密着した胸の奥で、私の心臓が早鐘のように鳴り始めた。
「君にこの間言ったことは、本当の気持ちだ。私についてくると信じている」
耳元で囁かれたその甘く低い声に、全身が熱くなる。
「……わ……わた……しも」
彼に応えようとして、言葉を紡ぎかけた。
でもその瞬間、なぜかライアン王子の顔が不意に脳裏を過ったのだ。
ハッと我に返った私は、顔を真っ赤にして慌てて彼の胸を押し返し、距離を取った。レオンハルト王子は呆気に取られたような表情を浮かべたが、すぐにまた、自信に満ちた優しい微笑みを向けてくる。
心臓の鼓動がうるさいほどに鳴っている。私も、彼を信じようとしている。彼に惹かれているはずなのだ。それなのになぜ、あんな意地悪なライアン王子の顔が邪魔をするの?素直に気持ちを伝えることができないの?
混乱した私は、もう何も言えなくなり、逃げるようにその場を後にして自室へと駆け戻った。
重い扉を閉め、暗い部屋の中で一人、床にへたり込む。抱きしめられた腕の感覚も、彼の体温も、まだ私を包んでいる気がしてならない。その夜、私はベッドの中で何度も寝返りを打ち、なかなか眠りにつくことができなかった。




