20. あなたの事は ~マルセナside~
20. あなたの事は ~マルセナside~
私がランバート王国に住み込みで働き始めてから、早くも二ヶ月が経った。日々の務め自体はこれまでとさほど変わらない。ただ一つ大きく変わったことと言えば、月に二、三回カトリーナ教会へ戻る際、なぜかライアン=ランバート王子が同行するようになったことだ。
「あの……ライアン王子はなぜ最近、私と共にカトリーナ教会へいらっしゃるのですか?」
「ん?ダメなのかい、私がいては。何か不都合でも?」
「いえ、そういう訳ではないのですけれど……」
私が言葉を濁すと、ライアン王子は少し不機嫌そうに眉を寄せた。その表情を見て、私は慌てて心の中で弁解する。
彼はランバート王国の第二王子であり、いずれ国を背負うかもしれない身分だ。そんな彼が、護衛もつけずに私のような出向中の聖女に同行するなど、本来なら危険極まりない。
私は彼の婚約者でもなければ特別な存在でもないのだ。一緒に行動する正当な理由なんてないはずなのに……どうして彼は、こうも私のペースを乱すのだろう。
そして、もう一つ大きな疑問がある。それは、彼が息をするように自然と私の手を握ってくることだ。最初こそ驚いて振り払おうとしたものの、最近ではすっかり感覚が麻痺してしまったのか、彼の大きくて少しゴツゴツとした手に、妙な安心感すら覚えている自分がいる。
かつては顔を真っ赤にして戸惑っていたはずなのに、今では「またですか」と呆れつつも、すんなり受け入れてしまっているのだ。
まぁ、悪い気分ではないのだけれど。むしろ、その確かな体温に少しホッとしているというか……って、私はいったい何を考えているの!?
ただひとつ……あの夜の舞踏会での出来事だけが、今も胸の奥にこびりついて離れないのだ。
そんな葛藤を抱えながら馬車に揺られているうちに、私たちはカトリーナ教会に到着した。エントランスでは、見慣れた二人が笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、マルセナ様!あっ、ライアン王子もご一緒でしたか」
「マルセナ様のご不在の間、私たちできちんと務めを果たしておりましたよ」
「ただいま、ラピス、エルミン。ありがとう」
彼女たちの顔を見た瞬間、私はふっと肩の力が抜けて温かい安心感に包まれた。なんだかんだ言っても、私にとってこのカトリーナ教会は帰るべき家なのだ。
見習い修道女である二人は、私の専属従者のような立場で、ずっと私を慕ってくれている大切な存在である。
「ああ、そうだ。ランバート王国にこの教会の花を持って帰りたいのだが。ここには素晴らしい花壇があるだろう?以前、聖女アリーゼ様もよく自慢していたからね」
アリーゼ。……よりによって、今の私が一番聞きたくない名前だ。彼女の名前を出されると、どうしてもあの時の自分の未熟さや、どうしようもない劣等感が蘇ってしまう。だからこそ、余計に素直になれない。
わざと私の神経を逆撫でするような王子の物言いに、私はムッとあからさまに不機嫌な顔を作り、ピシャリと冷たい声で言い放った。
「花壇なら、そちらの道を真っ直ぐ進まれた先にありますわ。あいにく、私は『聖女』としての本来の仕事が山積みですので。……ラピス、エルミン、行きますわよ」
「いや、私はマルセナ様に案内してもらいたいのだが?」
「申し訳ありません。仕事がございますので」
「はるばる他国から来た客人をもてなすのも、聖女の立派な仕事ではないのかい?マルセナ様」
なんだ、この王子は。図々しいにも程があるでしょう!
内心苛立ちながら彼を睨みつける。正直、今すぐ塩を撒いて追い返したいところだが、一応相手は王族だ。無下な扱いはできない。
「私はここへ、聖女としての務めを果たすために戻ってきているのですわ。案内係をするためではありません」
「だから、それも教会のための仕事ではないのかい?」
一歩も引かない彼との押し問答に困り果てていると、後ろに控えていたラピスとエルミンが気を遣って声をかけてくれた。「聖女様のお仕事は私たちが先に進めておきますから」と押し切られ、結局、私は渋々ライアン王子を花壇まで案内することになってしまった。
花壇に向かって中庭を歩いていると、少し前を歩いていたライアン王子がふと振り返り、唐突に尋ねてきた。
「もしかして、君は私が嫌いかい?」
「は?いきなり何を仰るのですか、貴方は」
「いや、さっきからろくに口も利いてくれないし、笑顔も見せてくれないだろう?嫌われているのかなと思ってね」
嫌い?確かに、癪に触ることばかりだ。でも、それは貴方がわざと私を怒らせるようなことばかり言うせいでしょう!
心の中でそう毒づきながらも、それを言葉にしてぶつけることはできず、私はただ黙々と歩幅を合わせることしかできなかった。
しばらく歩き続けると、ようやく目的の場所に到着した。ここは、アリーゼや修道長のマーシャさんが手塩にかけて育てていた花壇だ。時期が来れば色とりどりの花が咲き乱れ、とても美しい場所なのだ。
その花壇の前で、ライアン王子は立ち止まり、足元をじっと見つめ始めた。
彼の視線の先にあるのは、小さな白い花。そう、アストラムの花だ。
不意に、静寂が訪れた。
その瞬間、ふっと空気が変わった。まるで、この中庭だけ時間が止まってしまったかのような、不思議な感覚に陥る。
そして、彼が静かに紡いだ言葉によって、私の世界は大きく揺れ動くことになった。
「私は、君が好きなのだと思う」
「えっ……」
突然の言葉に、思考回路が完全に停止した。
好き……?
誰が、誰を……?
混乱する頭で彼を見上げると、その真っ直ぐな視線は私ではなく、足元に咲く小さな白い花――アストラムに向けられていた。
「『真実の想い』。……いい花言葉だ。そうは思わないかい、マルセナ」
いつもは飄々として私をからかってばかりいるくせに、こういう時だけ、ひどく真剣で、どこか不器用な顔をする。
その真っ直ぐで純粋な響きに、私の胸の奥がトクン、と甘く跳ねた。
「……そうですね。素敵な言葉ですわ」
私はほんの少しだけ顔を背け、熱くなった頬を隠すようにして、精一杯の強がりを口にした。
「……さっきの答えですけれど。私は、貴方の事は『嫌い』ではないですわよ」
「そうか……。それなら、良かったよ」
真実の想い。私の真実の想いは、一体なんなのかしら。
私とライアン王子は、並んでその小さな白い花を、いつまでも見つめていたのだった。




