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百目探偵事務所  作者: てふてふ
東京妖怪失踪事件編
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25/32

嚥下 : 深海の底へ

──ぐう、と、低く腹が鳴った。


 けれどそれは、飢えの音ではなかった。

 骨と皮の隙間から漏れたような、深く、湿った渇きの音。


 暗い部屋だ。灯りはなく、音もなかった。

 水すら張られていない水槽の中に、誰かの気配だけがずっと滞っていた。


「……なあ、ねえ、もういいだろう?」


 床の上、濁った声が這う。


「そろそろ、何か“食わせて”くれよ……」


声の主は、椅子に座っていた。

いや、椅子に“かろうじて”収まっていると言った方が正確だった。

薄く、ぬめついた皮膚。

人間の形に似せた何かが、背骨をきしませて身を揺する。


「もう充分に、匂いは熟れてる……もうだいぶ“溜まった”んだろ? もういい頃合いだろう?」


博は、机に肘をついたまま、返事をしなかった。


ただ、一枚の紙を指でなぞっていた。

それは一匹の妖怪について書かれた古い記録だった。

鉛筆で走り書きされた備考欄に、“声は美しい”とだけある。


「……“お預け”だよ」


 博は、ようやく口を開いた。


「お預け、かあ……」


 “それ”は、唇の端を裂いて笑った。


「お前の言う“お預け”って、ずいぶん長いんだな?

 あれから、もう二十五匹は揃ってる。それでも、まだ“お預け”かい。俺様は、随分と優しい男だと思われているようだ」


 ぎょろり、と目が動いた。

 部屋の隅。白布をかけられた“何か”が、微かに揺れた。


「……全部まとめて“まだ”なんだよ」


 博の声は低かった。けれど、その静けさの奥に、火種のような熱があった。


「一気に食わせても今はないだろ。もっと……もっと痛めつけて、今日はさせてからにしよう」

「へえ……?」


 それは“にやり”と笑う。


「お前、楽しいなあ。実に人間らしくて、残酷だ。

 そのくせ、筋金入りの“人でなし”なんだから、更に愉快だ!」


 どこかで、時計が鳴った。

 古い振り子時計の、軋んだ鐘の音だった。


 怪物は立ち上がらなかった。ただ、椅子の上でぐるりと身体をねじる。


「じゃあ……暫くは、お前が。お前が俺様を“愉しませてくれ”。やり方はもうわかるだろ? なあ? ──佐城博!」


 ――この夜、まだ誰にも知られないまま、“一つの声”が飲み込まれる。

 食われるように、静かに、消えていく。

 だが、それはほんの序章に過ぎなかった。

 

 黒い水に呑まれながら、博は笑う。


 “本当”のお楽しみは、ここから始まるのだから。

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