第六十五話 合性魔法
「さて、どうしたものかな」
法子は、叢雲陣地を見遣りながら、腕組みをした。
天燎高校は、獅王宮に陣地を構えているが、いまや防御魔法を張り巡らせる必要もなかった。全員が、叢雲高校に守られている。
もちろん、この防御魔法は、草薙真の特大魔法の完成とともに解除されるに違いない。そして、全員が特大魔法の餌食にされるのだ。
だから、いつでも防御魔法を晴れるように準備しておかなければならないということは、法子が圭悟たちに言い含めてある。
いま魔法を使っていないのは、余計な消耗をしないためだ。
叢雲陣地には、まったく動きがない。草薙実、布津珠子、三日月小夜、正宗次郎の四人が協力して、この強力無比な防御魔法を作っている。一人の防御魔法ならば簡単に破壊できても、二重三重に防御魔法をかけられれば、簡単には打ち破れない。一枚の壁を破壊したとしても、またさらに壁を作られてしまうからだ。
だから、誰一人として負傷することなく、あの激戦を生き抜くことができたということでもあるのだが。
「お手上げ?」
「まさか。わたしを誰と心得ている?」
「わたしの可愛い法子ちゃん」
「うむ」
「いいんですか、それで」
「構わないが?」
そうはっきりと断言されてしまえば、なんとも返しようがなく、圭悟こそお手上げといわんばかりの顔を幸多に見せた。そんな顔を見せられてどうしろというのか、と、いいたかったが、なにもいわなかった。
余計なことをいえば、藪蛇になりかねない。
「では、お手並み拝見と行こう」
法子は、いうが早いか、軽く右手を掲げて見せた。
圭悟には、法子の魔力が物凄い勢いで練成されていくのがわかったし、凄まじい密度の魔法が構築されていく様が見て取れた。
魔法士には、他者が魔法を準備している様子が視覚情報として認識できるのだ。
そしてそれは、幸多には、まったくわからないことだった。
幸多は、法子がなにをしようとしているのかはなんとなく察したものの、それがどれほどのものなのかは想像もつかなかった。
圭悟や怜治たちの戦慄すらしているような反応から、想像する。
おそらく、凄まじく強力な魔法を放とうとしているのだ、と。
「欲望の黒槍」
法子が真言を発するとともに、その右手の中に魔力が形となって現れた。それは黒い光とでもいうべき、現実には存在しない輝きだった。莫大な黒い光が一瞬、彼女の周囲を灼くようにして駆け巡り、棒状に収斂していく。
さながら黒い光の槍のように。
幸多は、その魔法に見覚えがあった。幻想空間での練習中、何度も見て、何度となく食らった法子の魔法に似ているのだ。しかし、質量に大きな違いがあった。いま法子が使おうとしている魔法のほうが圧倒的に強力だということが、魔法不能者である幸多にすらはっきりと認識できた。
黒い光の槍が発する熱量は凄まじく、法子の周囲の風景すらも歪むほどだった。そして、飛び散る魔力が幸多の頬を撫で、灼いた。
「痛っ」
幸多は思わず呻いて、右頬に触れた。飛散した魔力の破片に灼かれた部分に傷ができていた。幻想空間上に作られた虚構の肉体だが、人体をほぼ完璧に模しているため、傷つくし、痛みも感じる。ただし、血は出ないし、傷口の断面などは表現されていない。
また、幻闘では、痛覚を完全に遮断することはなかった。そうでなければ、現実空間における本人の能力以上の、本来以上の力を発揮できてしまうからだ。痛覚がなければ、肉体を限界以上に動かすことが可能となり、それは、対抗戦の本義を否定することになる。
しかし、神経接続の精度が凄まじく強力であるため、脳が死を誤認し、本体の生命活動に異常を来す可能性があるため、ある程度、痛覚への反映は弱くされている。万が一の可能性を考慮すれば、妥当な判断といえるだろう。
それでも、幸多は痛みを感じた。
「ん?」
法子が幸多を一瞥し、その右頬に傷跡ができていることを確認した。
「注意するべきだったな。わたしが最高級の魔法を使うところだと」
そう告げるなり、法子は、大地を踏みしめ、上体をしならせた。右腕を大きく振りかぶり、振り抜くと同時に魔法の槍を投げ放る。
黒き光の槍は、法子の手を離れた瞬間、爆音と閃光を放った。熱風が周囲に吹き荒び、幸多は大いに煽られて、全身から汗が噴出した。しかし、そんな状態になっているのは、この場にいる六人の中で幸多だけだった。
疑問に思っている暇はなかった。
法子の黒槍は、空中でさらに光を強めながら加速していく。二段階、三段階と速度を上げ、光と音を発しながら、草薙真の元へと殺到していく。
それは一条の黒い光だ。
そして、黒槍が、草薙真に直撃する。
幸多の目は、槍が、草薙真に触れてはおらず、その前面に展開された魔法壁によって阻まれていることを確認していた。だが、法子の槍は、それだけでは止まらない。槍の切っ先が凄まじい速度で回転し始めたのだ。まるで掘削機の如く、けたたましい音と光を放ちながら、魔法壁に穴を開ける。
魔法壁は、一枚ではない。幾重にも張り巡らされた魔法壁、その一枚一枚に穴を開け、草薙真本体へと到達しようとしている。
しかし。
「駄目だな」
法子は、確信とともに断言した。
そして、実際にそうなった。
草薙真の前面に展開していた四重の魔法壁を突き破った法子の槍は、さらに追加された魔法壁を貫通している途中で力尽き、霧散したのだ。
「ただの協力魔法じゃなくて、合性魔法じゃないかしら」
「合性魔法って」
法子の魔法の結果から導き出した雷智の推察に、圭悟が愕然とした声を上げた。
「だって、ほかに考えようがないじゃない?」
「確かに……」
「合性魔法か……」
「とんでもねえな……」
雷智の結論には、誰もが茫然とするほかなかった。
合性魔法とは、魔法の形式の一種だ。二人以上の魔法士が、一つの魔法を組み上げるという離れ業であり、極めて高度な技術といっていい。
複数人の魔法士がただ協力して魔法を使うこととはわけが違うのだ。
魔法とは、本来、個人技であるといっっていい。そして、その個人の魔法を組み上げるのにも、多大な集中力が必要であり、自分以外の他者と同じ魔法を組み上げるというのは、限りない困難を伴うものだった。。
血の滲むような訓練を受けた戦団の魔法士ならばいざしらず、学生の分際で行うようなことではない。
だから、だれもが言葉を失うのだ。
しかし、合性魔法ならば、納得がいくというものだった。
合性魔法だからこそ、幾重もの魔法壁が展開しているだけでなく、破壊される度に瞬時に補充され、永遠に突破されることがない。そして、合性魔法だからこそ、戦場にいるすべての魔法士を対象にできているのだ。
「だが、この合性魔法、対象となっているのは、魔法士だけのようだな」
「魔法士だけ?」
「きみは除外されているということだ、皆代幸多」
「……なるほど」
幸多は、法子の目を見つめ返しながら、彼女がなにを言いたいのかすぐにわかった。
つい先程のことだ。
法子が魔法を放とうとしたとき、その余波が幸多の頬を灼いた。しかし、幸多以外の誰一人として、同じ目に遭ったものはいなかった。合性魔法に守られているからだ。
幸多の頬の傷は、もう塞がっていて、完治している。幸多は元より自然治癒力が極めて高い。が、あの程度の掠り傷ならば、幸多でなくともすぐに治ったことだろう。
圭悟が、訝しげな顔をした。
「なんで幸多だけ?」
「当然だが、わざとなどではあるまいよ。彼らも、本当は皆代幸多も合性魔法に巻き込もうとしていたはずだ。だが、できていなかった。予期せぬ事態だが、必然でもある。皆代幸多がただの魔法不能者ならば、そうはならなかっただろうからな」
法子は、そう推察した。
魔法不能者は、魔法が使えないというだけで、魔法士となんら変わりのない存在だ。人体に内包される魔素の密度も、魔法士のそれとなんら変わりがない。故に、合性魔法の対象になったはずだ、と、法子はいうのだろう。
幸多は、魔法士たちの攻防についていけていなかった事実を思い返しながら、つぶやく。
「ぼくが完全無能者だから」
「そういうことなのねえ」
「彼らの合性魔法が、どうして戦場にいる全員を守ることができたのか、その理屈がわかった。人体を構成する魔素、その密度を元に護るべき対象を判定したのだ。そうすれば、たとえ彼らが存在を認識していなくとも、魔法が勝手に守ってくれるからな。確実だ」
「つまり、ぼくには魔素がないから、守ってくれないということですね」
「そうだ。きみはいま、この戦場でただひとり、この上なく無防備であるとともに、あらゆる魔法の影響を受ける状態にあるということだ」
「それって、どうなんですか?」
幸多が質問すれば、法子がにやりと笑った。
「面白いことができる、ということだ」
「はい?」
「やるぞ、我孫子雷智」
「はあい」
「なにをやるんです?」
幸多は、法子と雷智が特に話し合うこともなく通じ合っているという事実に感動するよりも、恐怖すら覚えた。
「わたしと我孫子雷智の共同作業だよ」
「愛情一杯の共同作業、受け止めてね、幸多くん」
「はい?」
幸多には、法子と雷智のいっている言葉の意味がまったく理解できなかったし、二人が何を企み、なにをしようとしているのかも、想像だにできなかった。ただ、どうやら自分をまきこもうとしていることだけはわかった。
だから、というわけではないが、全てに諦めがついていた。
法子が幸多の右に立つと、雷智が幸多の左に立った。法子が、告げる。
「合性魔法には、合性魔法だ」




