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第五十一話 喧騒の夜、静寂の夜

 場内宿泊施設の食堂は、広々とした作りになっていた。天井が高く、席と席の間が離れていて、とても開放感のある空間になっている。

 宿泊施設は、常に利用されるものではなく、当然、その施設内の食堂も、毎日使われているものではない。年に一度の対抗戦だけではないにせよ、使われる機会はそれほど多くなく、だからなのか、テーブルや椅子には汚れ一つ傷一つ見当たらなかった。

 使い古された様子がない。新品というほどの真新しさもないのだが。

 特殊合成樹脂製のテーブルと椅子が数組ずつ配置されており、それらを区分けするようにして、無数の観葉植物が配置されている。

 まるで衝立ついたてのようだ。

 それは、対抗戦決勝大会に燃える学生たちへの配慮だろう。

 同じテーブルで食事を取るようなことがあれば、万が一にも一触即発状態になりかねないからだ。

「過去にそういう事例があったからだよ」

 らんが、こっそりと囁くようにいった。

 食堂内には先客がいて、幸多こうたたち天燎てんりょう高校の生徒が足を踏み入れると、観葉植物越しに無数の視線が突き刺さってきたのだ。

「怖い怖い」

「完全に敵視してやがるな」

「そりゃそーでしょ、なんたってうちらは予選に出てないんだもの」

「万年最下位ですし……」

「そんな連中に負けてりゃ世話ねえわな!」

 これ見よがしに言い放った圭悟だったが、即座に法子ほうこに頭を叩かれた。

「まだ優勝してもいないのに勝ち誇るな、痴れ者め」

「す、すんません……」

 さすがの圭悟も、法子にはなにも言い返すことは出来なかったのだろう。叩かれた頭を押さえたまま、店員に案内された席に座った。

 真弥まやが圭悟の様子を笑い、紗江子さえこが気の毒そうにしたが、ほかの誰もが自業自得だと思っていた。

 星奈せいなでさえ、圭悟を叩いた法子を叱るどころか、内心では褒め称えたい気分だった。

 もし法子があのような行動に出なければ、他校生がどんな反応をしたものか、わかったものではない。

 まさか、暴力沙汰になどならないだろうが。


 幸多たちは、テーブルに備え付けられた端末で幻板げんばんを呼び出し、献立表を開いた。それぞれが注文を入力する。わざわざ店員を呼ぶ必要も、店員に注文する必要もない。

 それからは、大会初日の感想戦になった。

 初日の総合得点表を見て、だれもが満足していた。

 総合得点において、天燎高校は一位だ。これは、対抗戦を見ている誰もが予想できなかった展開に違いない。

「特に閃球の御影戦での十二点がでかかったな。あれがなかったら、おれたち二位だぜ」

 圭悟のいうとおりだった。

 二位の叢雲むらくも高校とは、一点差なのだ。この一点差が、今後大きく響く可能性がある。一点でも多く取っておきたいという圭悟の作戦が、いまのところ功を奏しているということでもある。

競星けいせいでの皆代幸多の奮闘振りも素晴らしかったぞ。あそこで失格させられたからこそ一位になれたのだからな」

 法子が幸多に微笑みかければ、真弥が思い出したように声を上げる。

「あれも凄かった! 見てて心臓が止まりそうだったよ-」

「本当ですよ!」

「ぼくにはあんなことくらいしかできなかったから」

「あれは、魔法士まほうしにもできることじゃねえけどな」

「そうだね、皆代みなしろくんだからできたことだよ、きっと」

「そうかな」

「そうだぜ、胸を張れよ、皆代」

「おれたちだって応援してたんだからよ」

「ありがとう、二人とも」

 亨梧と怜治に感謝を述べて、幸多は、ただただはにかんだ。魔法不能者として生まれ落ちてからというもの、貶されるのには慣れているが、褒められるのは慣れていなかった。

 どうにもこそばゆく、どう反応すればいいのか、わからないのが幸多の正直な気持ちだった。

 そんな風に話が弾み、食事も進む。

 夕食は、それぞれ、思い思いのものを注文したが、特に幸多は色々と注文したため、店員に怪訝な顔をされたものだった。

 幸多は、とにかく食べた。

「本当によく食べるな、きみは」

 法子が呆れるほどだった。


 場内宿泊所には、大浴場がある。

 ほかにも様々な施設があり、ただ寝泊まりするためだけの場所とは思えないほどの充実ぶりだったが、特に大浴場には力が入れられているようだった。

 大浴場は、男女別に作られていて、それぞれ凝った作りをしていた。内装からなにから、部屋や食堂の簡素さとはまるで異なる代物となっていた。

「お風呂担当だけ違う人だったのかしら?」

「そうかもしれませんね」

 真弥の考えが面白くて、紗江子は笑いを堪えられなかった。

 女性用の大浴場には、出場校の女生徒や引率の女性教師が集まっている。皆競技場に宿泊するとなれば、この浴場を使うしかないのだから、当然だ。

 法子は、大浴場に一歩足を踏み入れるなり、仁王立ちになってふんぞり返った。

「まるで楽園だな」

「まあ、けるわ」

「冗談に決まっているだろう」

「うふふ、わかってる」

 法子と雷智の仲睦まじさには、真弥と紗江子もついていけなかったが、なにもいわなかった。

 当たり前だが、浴場内では、皆、裸だ。

 中でも法子は、みずからの裸体に恥じるものなどなにひとつないとでもいわんばかりに堂々と浴場内を歩いた。その後ろを着いていく雷智はといえば、少しばかり気後れしているような、気恥ずかしそうな素振りを見せている。

「法子先輩って本当、凄いわよね」

「ええ、なにもかも規格外という感じで……」

 真弥と紗江子は、法子の胆力には感嘆する以外になかった。

 真弥は、法子のように自信があるわけもなく、紗江子とともに浴場内に足を踏み入れた。

 大浴場は、まるで白亜の宮殿のような作りだった。天井は高く、床も壁も真っ白で、とにかく明るく、綺麗だった。汚れ一つ染み一つ見当たらない。

 風呂は、極めて広く大きいものが一つと、複数の異なる色の湯が満たされたものが用意されていた。

 まるで銭湯にでも来たのではないかと錯覚するような作りだった。

「なんか想像以上だね」

「そうねえ」

 真弥と紗江子の二人は、湯船に浸かる前に体を洗うために移動していると、剣呑な話し声が聞こえてきたものだから、思わず立ち止まった。

「競星で天燎如きに落とされて失格するの、今までで最高だったわよ、姉さん」

「閃球で天燎なんかにぼっこぼこにやられるの、我が妹ながら素敵すぎて涙が出てきたわ」

「魔法不能者如きに言い様に投げ落とされて頭でも打った?」

「天燎の無名の二年にぼこぼこにされて記憶喪失になったのかな?」

 浴室内、裸のままで突っ立ち、睨み合っているのは、だれあろう天神てんじん高校の金田朝子かねだともこと、御影みかげ高校の金田友美かねだともみだった。いまにも掴みかかりそうなほどの雰囲気だったが、誰も止めに入ろうともしていない。

 二人が仲の悪い姉妹らしいという話は、幸多と圭悟から聞いたが、まさかここまで険悪だとは、真弥も紗江子も想像だにしていなかった。

 そして、両者の攻撃材料は、どうやら真弥たちの天燎高校であるらしいということにも、嫌なものを感じた。幸多を馬鹿にしているような物言いも気に食わない。

 しかし、真弥には、二人の間に割って入るだけの勇気はなかった。拳を握り締めることしかできない。

 そんなときだった。

「そうだな。わたしは無名だ。だが、無敵で無双だ。なんなら無窮むきゅうで無限でもあるぞ」

 などと、剣呑けんのんな空気をぶち壊すようにして、金田姉妹の間に割って入ったのは、黒木法子だった。二人に比べて華奢な体を大きく見せるようにふんぞり返っているのが、なんともいえない空気感を生み出している。

 数秒の沈黙の後、最初に口を開いたのは、金田友美だった。

「はあ?」

「なんなのよ、あんた」

「わたしのことを話していただろう。そんなにわたしに興味があるのであれば、話を聞いてやってもいいぞ」

「なにいってんの」

「だれがあんたなんかに興味あるのよ。行くわよ、友美」

「ええ、姉さん」

 もはや呆れかえってものもいえない、とでもいうようにして、金田姉妹は、どうにも仲よさげに大浴場を去って行った。

 法子はといえば、仁王立ちに立ち尽くしていた。

「……ふ」

「勇気を出して声をかけたのに無視されるなんて、可哀想な法子ちゃん」

 湯船の中から法子を見守る雷智の反応も、真弥には到底理解できないものだった。

「ええと……」

「どこからどういえばいいのか……まったくわかりませんね……」

「うん……」

 そして真弥と紗江子は、体を洗い、湯船に浸かったのだった。



 夜が深まっていく中、幸多は、何度目かの寝返りを打った。

 二段に重なった寝台の下の段。上には蘭が眠っているはずだが、静かなものだ。静かといえば、同部屋の皆も、寝息が聞こえないくらいだった。

 皆、疲れている。

 それはそうだろう。

 対抗戦とは無縁の人生を送ってきたに違いない彼らにとって、この決勝大会ほど緊張し、消耗するような出来事は、これまでに一度だってなかったのではないか。

 ほぼ消耗していないのは、幸多くらいかもしれない。

 幸多は、腹こそ減ったものの、疲労らしい疲労を感じることもないまま、初日を終えた。

 幸多の身体能力を全力で発揮するわけにはいかないという事情もあるが、守備に徹するということもあって、攻撃に回る必要がないということも大きかっただろう。

 競星はほとんど体力を使わなかったし、閃球では動く範囲が限られている。

 それでも走り回り、飛び回り、星球を奪い、追い、弾いて、出来る限りのことはしたのだが。

 その程度疲れるような体ではない。

 極めて頑丈で頑健なだけが取り柄の肉体だ。魔法を使えない代わりにしては物足りないが、それでも、これだけ動き回って疲労一つ残っていないのだから悪くはない。

 悪くはない、というだけなのだが。

(……眠れないな)

 幸多は、意を決して寝台を抜け出した。皆を起こさないように慎重に動き、音を立てないように細心の注意を払い、部屋を出た。

「そりゃ、眠れねえよなあ」

 圭悟は、扉が閉まる小さな音を聞いて、密やかにつぶやいた。

 幸多がこの大会に懸ける意気込みを考えれば、当然のことだ。

 幸多は、人生をけている。

 それこそ、命の全てを。

 彼にとって、対抗戦だけが唯一の希望なのだ。

 優勝できなければ、それで彼の望みは絶たれてしまう。

 それこそ、絶望以外のなにものでもあるまい。

 魔法の使えない彼には、完全無能者として生まれ落ちた彼には、ほかに戦団の実働部隊に入る方法はなかった。

 誰もが無限に選択肢を持っているわけもなく、誰だって限られた選択肢の中から道を選ばなければならない。場合によっては、選択肢などないことだって、ある。

 が、それにしたって、と、圭悟は想うのだ。

(いい奴なんだよ、あいつは)

 圭悟の脳裏には、およそ二ヶ月前、幸多と初めて逢ったときのことが浮かんでいた。全身焼け焦げたような姿の幸多は、お世辞にも普通の学生には見えなかった。

 幻魔災害で焼け出されたというのであれば、病院に行くべきだし、入学式になど来るべきではない。その時点で常識外れだった。

 だから、興味を持った。

 常識外れの彼ならば、圭悟のつまらない人生をそれなりに笑えるものに変えてくれるのではないか。

 手前勝手な期待は、瞬く間に答えとなって返ってきた。

 皆代幸多という名の少年は、様々な驚きと変化を圭悟にもたらしてくれた。

 曽根伸也そねしんやが引き起こした暴力沙汰、その最中に圭悟は確かに聞いたのだ。

 幸多の叫びを。

 魂の咆哮を。

『きみは、無能者を見下せるほど、有能なのか?』

 その言葉は、いまも、圭悟の脳裏にこびりついている。

 それはきっと、彼の心の深奥にあった想いなのだろう。

 幸多は、彼は、生まれながらの魔法不能者だ。故に、市民の大半を占める魔法士に差別的な言動を受けてきたことは、想像に難くない。

 不能者差別は、時代遅れだ。だが、魔法士と魔法不能者という差違は、この魔法社会において絶対的なものであり、厳然として存在するものだ。

 覆すことは無論のこと、偽ることだってできるものではない。

 魔法士として生まれ育った圭悟には、その苦しみを想像することもできない。想像したところで、きっと、違うものだ。

 魔法士の想像力は、魔法にこそ意味を為す。

 人の心の機微きびに対しては、いつだって無力なのだ。

 圭悟は、もはや慣れてしまった夜の闇を見据えながら、茫然とするのだった。

 


 競技場宿泊所内には、展望室がある。

 幸多は、一度、ここにきている。夕食後のことだ。真弥と紗江子の提案である。

 展望室の硝子がらす張りの窓辺からは、広大な夜空の膨大な数の星々を見上げることができたし、莫大ともいえる夜の海を見渡すことも出来た。

 頭上には星の海が広がり、眼下には星々の光を反射して輝く夜の海が横たわっている。波の音は遠く、聞こえないほどに小さい。

 風の音すら、この完全防備の競技場内には入ってこない。

 なにも聞こえないようだ。

 夜の闇と、星々の光、そしてわずかばかりの照明だけが、幸多を包み込んでいる。

「随分と余裕だな」

 不意に投げかけられてきた声には、さすがの幸多もびくりとした。無限のような静寂に浸っていたところだった。心臓が口から飛び出すのではないかというほどの驚きとともに振り返ると、展望室の出入り口に銀鼠ぎんねず色の髪の男が立っていた。

 目つきが鋭く、顔つきも険しい彼には、はっきりと見覚えがある。

 叢雲高校の草薙真くさなぎまことだ。

「さすがは皆代統魔みなしろとうまの兄弟か」

 皮肉か嫌味か、とにかく、草薙真は、剣でも突き刺してくるかのような刺々しさでいってきた。

 幸多は、むっとして、言い返す。

「余裕なんてないけど」

「だったらさっさと寝たらどうだ。それともなにか。眠れなかったことを言い訳にするつもりか。いや、そのほうがいいか。傷口が浅くて済む」

「さっきから、なに?」

 幸多は、ついに草薙真と向かい合った。窓に背を向け、出入り口に向き直る。まばゆいばかりの月光を背に、幸多の表情は完全に影に飲まれる。

「きみは、草薙真くんだろう? 叢雲高校の。どうしてぼくに突っかかるんだ? それに統魔にも。統魔となにかあったのか?」

 幸多は、草薙真の言い方が気に食わなくて、口早に問うた。自分のことはどうでもいい。彼が統魔のことをどうにも嫌っていて、憎んでさえいるような口振りだったことが気にかかっていたし、そのことでこうして絡んできているのなら、理由を知っておきたかった。

 草薙真は、吐き捨てるようにいってきた。

「どいつもこいつも統魔統魔統魔統魔。おかしいだろ、そんな世の中」

「そうかな。統魔はそれだけのことをしてるよ」

「はっ……おれがいないだけだろ」

 草薙真は当たり前の事実を告げるように返してきたが、幸多がその言葉の意味を理解するのには多少に時間が必要だった。そして、理解できたとして、理不尽にしか思えなかった。

「……統魔より先に戦団に入っていたら、話題をかっさらったのは自分だって? 随分と自信家だね」

「事実を述べたまでのこと。明日、証明してやる」

 草薙真は、幸多を強く睨み付けた。幸多が魔法不能者だとか、そんなことは彼にはまったく関係がなかった。幸多は、皆代統魔の兄弟だという。それだけで倒すべき敵だった。 

 全力で叩き潰す相手。

 草薙真には、幸多の姿が星明かりの中に浮かぶ影のように見えていた。

「皆代幸多、これは宣戦布告だ。おれがおまえのすべてを否定して、皆代統魔のすべてを否定してやる」

「……受けて立つよ、草薙真。そこまでいうのならね」

 幸多は、真っ直ぐに草薙真の目を見据えた。鋭く研ぎ澄まされた目には、群青の瞳が輝いている。そこには憎悪や怨嗟といった負の感情が渦巻いているようだった。

 草薙真がきびすを返して展望室を出ていく。その背中を見据えたまま、幸多は、拳を握り締めた。

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