第五十二話 持たざるもの
対抗戦決勝大会二日目の朝になった。
幸多は、圭悟に叩き起こされて、寝惚けまなこのまま着替えを済ませ、顔を洗って歯磨きをした。それから皆と一緒に食堂で朝食を済ませるころには、ようやく脳が眠りから覚め始めた。
「皆代くん、もしかして寝不足なんじゃない?」
「緊張と昂奮で眠れませんでしたか?」
真弥と紗江子が幸多の顔を覗き込んで、心配した。まだ半分ほど寝惚けているからだ。二日目開始までは時間があるから、その点での心配はしていないのだが。
「そんなことはないんだけど、ちょっとね」
幸多は、なんといっていいものか、はぐらかした。
「そういう場合、きみは大変だな」
「まあ、はい」
法子の発言の意図は、すぐにわかった。
眠れない夜、寝苦しい夜、魔法士ならば魔法を使って自分や相手を眠りへと誘うことができる。それは、魔法不能者であっても、誘眠魔法をかけてくれる魔法士がいれば、可能なことだ。睡眠導入剤のようなものだが、後遺症もなければ耐性もつかないということもあって、この魔法社会では大いに活用されていた。
しかし、完全無能者の幸多には、そうした魔法はまったく効果がなかった。
肉体や神経に作用する魔法の大半が、人体を巡る魔素へと働きかけることによって、その効能を発揮する。つまり、魔素を一切持たない幸多には、精神魔法や身体魔法と呼ばれる類の魔法の大半が意味を為さないのだ。
すべての魔法を試したわけではない以上、絶対に効果がないとは言い切れないものの、誘眠魔法などの効果がないことは確かだった。
そんなことを朝食を取りながら話した。
食堂では、他校の生徒たちが観葉植物の壁の向こう側にいて、互いに極力関わりを持たないようにしていた。
今日は、決勝大会二日目。
朝から揉め事を起こしては、台無しだ。
誰だって、大会に集中したいのだ。
「蘭くん、草薙真のことについて、なにか知らない?」
幸多が蘭に尋ねたのは、場所を食堂から大部屋に移してからのことだった。
室内には、当然、男どもしかいない。
怜治と亨梧は入念に準備運動をしていて、圭悟はだらしない格好で椅子に座っている。
「え? いきなりどうしたの?」
「昨日の夜さ、彼に宣戦布告されたんだよね。それはいいんだけど」
「よくねえ」
圭悟が椅子から跳ね起きて割り込んできたが、幸多は黙殺した。
「いいんだけど、彼、なんだかすっごく統魔を憎んでるみたいでさ。でも統魔からは彼に関する話なんて聞いたことなくて」
「それで気になって眠れなかった?」
「ううん、その後はすぐに眠れたんだけど」
「神経が図太いんだか繊細なんだが、わっかんねえ」
圭悟は、幸多の発言一つ一つが気になって仕方がなかった。昨夜のことだ。もしあのとき、圭悟が幸多の後についていっていたら、などと考えてしまう。
それでどうにかなったわけもないだろうが。
幸多は、そんな圭悟の内心など露も知らない。知る由もない。幸多が気にしているのは、統魔と草薙真の間になにかあったのか、ということだ。
統魔に関する情報は誰よりも詳しく知っているつもりの幸多だが、統魔が話してくれないことは知りようもなかった。そして、そういう話が世間を賑わせるということもない。
「もちろん、草薙真に関してもあれから調べたよ。色々とさ。でも、彼と統魔様の間になにかしらの因縁があるようには思えなかったな」
「そっか。じゃあ、なんでだろ」
「……たぶん、なんだけどさ」
「うん」
蘭が記憶の中から草薙真の情報を引き出しながら、いった。蘭の頭の中には、彼がこれまで調べた情報がたっぷりと詰まっていた。一度調べたことを忘れることはなかった。ただし、それらの情報は常に脳内の最前線にあるわけではなく、記憶の奥底に格納されているのだ。
そうして格納された情報を引き出すには、場合によっては多少の時間が必要だ。特に、まったく必要としていなかった情報の場合は、だ。
幸い、草薙真の情報は、決勝大会に関連性があったこともあり、すぐに引き出すことが出来た。
草薙真の家柄、父、母、弟、誕生日、血液型、身長、体重、得意属性――様々な情報が、蘭の脳裏を席巻する。それら情報の中から、今必要ものを選び取っている。
「彼は、戦団に入りたかったんだと想う」
「うん?」
「だったら入りゃあいいじゃねえかよ。天才児だったんだろ? 引く手数多だったんじゃねえのかよ」
「実際、そうだったみたいだね。彼は、子供の頃から将来を嘱望されていたんだ。生まれながらの神童で、天才児と称され、麒麟児と褒め称えられるほどの魔法士の才能に恵まれていたから、戦団も放っては置かなかった。そして彼自身も、そのつもりでいたみたいだ」
「でも、入れなかった?」
「家の事情でね。草薙家は、代々、長男が家を継ぐことになっていたから、彼も家を継がなければならなかった。星央魔導院に入ることも、戦団の勧誘に応じることも、許されなかった」
蘭は、幸多の目を見つめながら、いった。褐色の瞳には、蘭の顔が映り込んでいる。疑うことを知らないような真っ直ぐな瞳。そんな目を持っているのは、幼い子供だけなのではないか、と、蘭は想ったりもする。
けれども、幸多の心の有り様が子供のそれなどではないことは、蘭も知っていることだ。
「だから、か」
「全部ぼくの推測だから、本当のことはわからないけどね。でも、彼があのような性格になったのは、中学以降だから、概ね間違っていないんじゃないかな」
「中学ってことは、星央魔導院に入れなかったからってことか……」
「それで、いまをときめく皆代統魔に恨み言かよ」
「馬鹿馬鹿しーな、おい」
怜治と亨梧が、二人して似たような顔をして冷笑する。
「ただの逆恨みじゃねえか」
圭悟は、憮然とつぶやいた。理屈は、わかる。だが、だからといって、それで恨まれる側は到底納得できるものではないだろう。
誰もが好き勝手に生きられる時代でもなければ、社会でもないことは、圭悟だってわかっている。魔法社会は、夢のような社会だと、歴史はいう。だが、実際にはそんなことはなかったし、敷かれた轍の上を進むしかないものもいる。
それが草薙真だったというだけのことだ。
草薙真のような、草薙家のような事情を持つ家というのは、魔法時代以前から少なくなかったはずだ。そして、魔法時代以降になると格段に増えただろう。
魔法の才能は、遺伝する。
優れた魔法士は、その優秀な遺伝子を受け継がせるため、才能と技術を継承させるため、我が子を跡継ぎとして育成したものだ。
そうして連綿と受け継がれてきたのが、戦団を代表する魔法士の名門伊佐那家であり、朱雀院家である。
草薙家も古くからの魔法士の家系であり、だからこそ、草薙真が家を継がなければならなくなった。
そのために戦団に入るのを由としないというのは、理屈として理解しにくいのだが。
魔法士の家系ならば、戦団に入っても続けられる。いや、それどころか、戦団に入って活躍してこそ、という部分も少なからずあるはずだった。
「ひっでえ話だな」
「まるであのひとみてえだ」
怜治と亨梧が屈伸をしながら、嘆息するようにいった。二人の脳裏には、曽根伸也の悪辣極まりない顔が浮かび上がっていて、だからこそ草薙真に対する印象が最低なものになったのだ。曽根伸也がもう一人いるなど、彼らにとっては最悪すぎた。
もっとも、草薙真は、曽根伸也ほどの最悪さを持ち合わせていないということも理解している。曽根伸也ならば、昨夜幸多と鉢合わせした段階で、暴力行為に及んでいるに違いない。
そんな嫌な確信が、怜治と亨梧には有った。
でも、幸多は、草薙真のことについて考え込んでしまった。彼の人生。彼の生まれてから今日に至るまで。彼は、なにを想い、なにを望み、なにを求め、なにをしようというのか。
「ぼくには、わかる気がする」
幸多がつぶやくと、圭悟は唖然とした。
「はあ? まじかよ」
「……持たざるものは、どれだけ足掻いたところで、持つものにはなれない」
それは、幸多の人生哲学だ。
なにも持たずに生まれ落ちた幸多にとっては、それが全てだった。それ以上でもそれ以下でもない。それだけが、彼の人生を貫いている。
草薙真も、ある意味では持っていないのだ。
自分の人生を支配できないという意味においては。
圭悟は、幸多が自分の手を見下ろしている様を見て、かけるべき言葉を探した。
「……おまえとあいつはちげえだろ」
圭悟は、昨夜のことを思い出しながら、告げた。これはとても大切なことだった。だから、彼は幸多の目を見つめたのだ。
「そうだね」
「同情なんてすんなよ」
「しないよ。そんなことをしても、なんの意味もないからね」
同情が相手になにも与えないことを一番よく知っているのは、幸多自身だ。魔法不能者として受けた同情の数々が、問題をなにひとつ解決してこなかったという絶対的な事実は、幸多に他人への同情の無意味さを徹底的に教え込んでくれたものだった。
同情で解決するような問題は、それ以外の様々な方法で解決するものだ。
「ぼくは、優勝を掴み取る。そして、戦団に入る。その邪魔をしようというのなら、どんな理由があろうとも叩きのめすよ」
「おう、その意気だぜ、皆代」
圭悟は、幸多のそういう前向きなところが大好きだったし、だからこそ、彼のために全力を出せる気がした。
大部屋の扉が軽く叩かれた。
「時間だぞ、者共」
そういって男子を呼びつけに来たのは、法子だった。
決勝大会二日目が、いままさに始まろうとしていた。




