第千四百三十六話 天軍(二)
「おれが誕生したときには、ロストエデンは既にあり、天軍の拠点として機能していた。もっとも、当時の天軍は、たった二体の熾天使によって成立しているようなものだったがな」
熾天使ルシフェルの〈殻〉ロストエデンへの道中、メタトロンが世間話でもするかのようにいってきたものだから、幸多は困惑した。
人間側四人の中で、幸多だけがメタトロンと手を繋いでいて、ほかの三人は、メタトロンの放つ後光の如き白銀の輝きの中にいた。その銀光はさながら天へ至る階のようにして、熾天使から地上へと降りており、その中を通っている限り、進路上に存在するあらゆる〈殻〉の魔手から逃れることができるというのだ。
ロストエデンは、数多の〈殻〉が領土争いを絶え間なく繰り返す高高度に存在するという。
(おれは視たが)
(うん?)
(ロストエデンだよ)
(だったらなんだってんだよクソジジイ)
(うむ、なんなのだろうな)
神威は、辛辣にもほどがある明日良の反応に渋い顔をしながら、メタトロンの周囲を警戒する天使の群れを見ていた。
あの海域に展開する大量の幻魔を殲滅し尽くした天使の軍勢は、いま、ロストエデンを目指すメタトロンの周囲にあって、強力な警戒網を形成している。
まず、智天使たちが周囲にあり、その四つの顔と四枚の翼という異形を見せつけてきていた。異形だが、神々しくもあるという不思議さには圧倒されるばかりだ。
その周囲を座天使の球体めいた巨躯が周回しており、少し離れた位置を主天使が力天使、能天使とともに隊伍を成している。外周で隊列を成しているのが、権天使率いる大天使、天使の小隊であり、それらの集合体たる大軍勢が天へと昇る様は、遠目から見れば神話めいた光景だったに違いない。
そして、それ故に、進路上に存在するのであろう〈殻〉が動くに動けないのではないか。
メタトロンは、熾天使。
鬼級幻魔であり、圧倒的な力を誇る。それがこの大軍勢を率いているのだ。いくら領土を突き進まれようとも、手を出すのも難しい。反撃を食らうだけならばまだしも、致命的なものになりかねないのであれば、捨て置くという選択肢も取り得る。
とはいえ、攻撃がないわけではない。
なにも接近して攻撃する必要などないのだ。
攻撃魔法がどこからともなく飛んでくることなど、この道すがら、数え切れないくらいにあった。
「二体……」
「ルシフェルとガブリエルだ。この二体が、最初の天使であり、天軍の要だな。特にルシフェルは始まりの天使であり、熾天使にして、天使長。ロストエデンの殻主でもある。天軍の指揮官であり、理そのものだ」
「天軍の……理」
幸多は、メタトロンが話すとき、じっとこの目を見ていることに気づき、不思議な感覚に包まれるのだ。冷厳な表情に変化はない。声音も抑揚が少なく、感情の変化を感じ取ることは難しい。しかし、幸多は、メタトロンに悪感情を抱いてはいない。
メタトロンは、幸多を助けてくれた天使である。
愛理を巡るマモンとの戦いの最中、ドミニオンを差し向けてくれたのも彼であり、アザゼルとの戦いでは、情報子の存在を教えてくれた。そしてそれが悪魔を滅ぼす力であるということも教わっている。力の使い方、力の意味、力の形――そういったものを、メタトロンから伝えられたのだ。
情報子に含まれる情報として。
悪魔は、天使と同質の存在であるという。
悪魔の弱点は、天使の弱点でもあるのだ。
つまるところ、メタトロンは、自分の弱点を曝け出すことしたというわけだ。
もっとも、幸多はそこを評価したというわけではなく、なんとなく、無意識的にメタトロンを受け入れている自分がいることに気づいていた。
幸多の中のなにかが、メタトロンを必要とさえしているような、そんな感覚。
「深く考える必要はない。戦団の理が総長閣下であるというのと同じ程度の話だ」
「それは違うぞ、熾天使。戦団の理は、護法院にある。その護法院も、戦団最高会議の決定を覆すことはできない」
「……人間社会は複雑だな」
「幻魔社会が単純過ぎるというべきだ」
「否定はしない」
メタトロンは、軽く肩を竦めて見せて、幸多を引っ張り上げた。ただ手を繋いでいるだけでは、幸多にかかる負担が大きいと考えたのだ。
「力こそがすべて。それが幻魔の理であり、魔界の掟。この混沌における唯一絶対の法であり、鬼級幻魔ですら覆すことのできないものだ。そしてそれは、きみたち人間にとっても否定できないものだろう」
「そりゃあそうだ。だからおれらはあんたについていってる。鬼級を蹴散らす力があるなら、あんたの提案を飲む理由がないからな」
「そうだな」
美由理は、メタトロンに抱き抱えられる幸多を多少心配しつつも、明日良の意見を肯定した。この天使の大軍勢は、地上から遥か高空へと至る最中、天空に点在する数多の〈殻〉の真っ只中を通過している。その間、大量の魔法攻撃が一行に襲い掛かってきていて、外周部で無数の爆発が起きていた。
まさに力だ。
この魔界の掟が確かな形となって現れている。
だが、メタトロン率いる天使の一行は、堅牢強固な魔法の結界に包み込まれているがため、それら攻撃魔法の嵐をものともしなければ、攻勢に打って出ることもなかった。
メタトロンによって護りを固めることを厳命されているのだろう。
天使たちの一糸乱れぬ飛翔と唱和、それによって織り成される数多の合性防御魔法。幾重にも展開する魔法の結界が、殺到する破壊の奔流を受け止め、受け流し、遮断している。
力とは、攻撃し、打倒し、破壊するためだけのものではない。
護ることもまた、力なのだ。
「だが、力こそがすべての原理ならば、人類に未来はない。人間はどこまでいっても人間。確かに、人間には幻魔にはないものがある。鍛錬や研鑽によって己が魔法技量を高めることを幻魔はしないからな。そして、きみたちは星象現界なる力を得た。これによって、鬼級幻魔との絶対的ともいえる力の差をわずかでも埋めることができるようになったわけだ」
「まあ、それ以前から戦果は上げていたわけだが」
「それは〈殻〉の制圧に関して、だろう。相手が殻主でなければ、〈殻〉を手放し、殻石を魔晶核に戻す判断をしたならば、戦況は一変したに違いない」
もちろん、と、メタトロンは付け足す。
「きみが竜眼を用いれば、その限りではなかったが」
「……そうだな。その通りだよ、メタトロン」
神威の渋面がより厳しくなっていく中、幸多は、メタトロンが頭上に視線を向けるのを見て、そちらを見遣った。遥か上空、夜の闇が圧倒的な速度でその勢力を広げていく中、膨大な光があった。
その黄金光は、まるで小さな太陽のようだった。
なのに、地上を照らすことはなく、周囲の闇を切り裂くこともない。光がその一点に留まり、周囲に影響を与えていないのだ。
異様で、不自然極まりない。
「あれが……ロストエデン?」
「そうだ。あれが我ら天軍の拠点にして、天の頂き、至天の座。かつて人類が創造した空中都市の残骸を元に増改築を繰り返した結果、その名からかけ離れたものになってしまったが」
「確かに……失われた楽園には見えないかな」
幸多は、メタトロンの皮肉めいた意見に同調しつつも、黄金光が近付くにつれてその輪郭を確かなものにしていく様を眺めていた。
「なるほど、空中都市の残骸か」
神威は、ひとり納得する。
ブルードラゴンを宇宙に押し出す際に見た天使たちの住処がなぜ、遥か高空にあったのか、それによって解を得たからだ。
かつて、人類は、魔法の発見によって大いなる文明の発展を迎えた。それは加速度的なものであり、魔法が関与し得るあらゆる分野で起きたのであり、建築分野も魔法の恩恵を大いに預かったものだという。
水上都市、海底都市、空中都市――あらゆる場所に都市が造られたのは、魔法によって発展した文明の力を見せつけるためではない。
魔法は、人類の命そのものを強くし、それによって人口の増大を加速させたのだ。
増大する人口が土地を埋め尽くしていけば、開拓されていない場所に都市を造り出すのは、当然の結果といえた。
水上に、海上に、海中に、海底に、そして、空に。
宇宙への移民も、その最中のことだったはずだ。




