第千三百九十四話 竜と竜(十六)
「ふう……なんとか地上に戻ってこられたが……なんつーか、あれだな」
「なに? あれって」
幸多は、千手で掴んだ状態の統魔と義一をできる限り丁寧に地面に下ろしながら、聞いた。
恐府の中枢、殻石の祭壇から地上へとやっとの思いで上がってくることができたのは、義一の真眼が地上の状況を完璧に把握できたからだ。竜気の根源が遠ざかり、これならば大丈夫だろうと判断を下したのである。
すぐさま幸多は鎧套・天翔の飛行能力を駆使し、数百メートルの地底から地上へと昇ってきたというわけだ。
殻石は、霊石へと転じた。
これによってオトロシャは封印され、〈殻〉は霊石結界となり、恐府攻略作戦最大の目的が果たされたというわけだ。
だが、その大勝利の余韻に浸っている暇もなく、竜級幻魔ブルードラゴンが襲来、神威が迎え撃ち、熾烈なる戦いを繰り広げ始めたものだから、幸多たちには為す術もなかった。
ただ、地の底で見守るしかなかったのだ。
『ブルードラゴンの魔晶核の位置を特定したいのはやまやまだけれど』
と、義一が口惜しそうにいうのも無理はない。あの状況で地上に飛び出していったとして、義一がブルードラゴンを真眼で視る余裕があったのか、どうか。
ぶつかりあう竜気の奔流に吹き飛ばされるだけならばまだしも、飲まれ、粉微塵に破壊され尽くしたとしてもなんら不思議ではないのだ。
だから、幸多たちは地の底で機会を待たなければならなかった。
「おれとオトロシャが戦った形跡ひとつ残ってない感じだ」
「当たり前じゃない?」
などと統魔にいってのけたのは、ルナである。
地上にずっといたらしい彼女は、幸多たちが飛び出してきたのを察知するなり、すぐさま統魔の元へと駆け寄った。そして、彼の健闘を讃えるように、抱き締める。
「統魔は、やれることをやったけれど、やっぱり閣下の全力には敵わないわよ」
「うーん……あのとき、おれが最強だって思えたんだけどなあ……」
「最強……最強か」
幸多は、全力で彼に甘えるようなルナの反応に満更でもない統魔の様子を見て、それから考え込んだ。
ルナがなにものなのか、この際どうでもいい。彼女が人間ならざる、幻魔ならざる第三の存在であり、オトロシャの星象現界・夢幻抱擁を無力化しただけでなく、竜級幻魔と竜級魔法士の激突を目の当たりにして無事でいられるだけの力を持っていることも、気にしている場合ではない。
そんなことは、どうでもいい。
重要なのは、二体の竜が激突しているという事実だ。
竜と竜の衝突は、恐王直轄地と呼ばれた恐府の中心部を更地に変えてしまった。恐王宮の残骸などどこにも見当たらず、異形の肉でできた構造物の数々もひとつ残らず消滅してしまっている。
なにもない真っ平らな大地。
雷神の庭や地霊の都、黒禍の森との境界を越えた先、広範囲に渡ってその影響は及んでいることがわかる。そして、その向こう側では幻魔たちが暴れ回っていることもまた、情報官からの報告で理解できている。
殻主オトロシャが封印され、〈殻〉が霊石結界へと転じれば、殻印の効力も失われる。つまり、オトロシャ軍の残党が野に放たれたのだ。もちろん、霊石結界に留まろうとするような愚かな幻魔はいない。
〈殻〉が殻印持ちの幻魔しか許容しないように、霊石結界もまた、霊石結界内部で発生した幻魔しか許容しないのだ。
殻印は、〈殻〉の滞在許可証であって、霊石結界には通用しない。
弾かれ、排除されるだけだ。
故に、オトロシャ軍残党の幻魔たちは、霊石結界の外へと向かう。その途中、戦団の導士たちとかち合えば、戦端が開かれるのも道理だろう。
戦団としても消耗し、疲弊している以上、無駄な戦闘は避けたいところではあるのだが、問答無用で襲い掛かってくる幻魔と対話する方法などあろうはずもなく、徹底抗戦あるのみである。
もっとも、その戦いは、戦団側に有利に推移していることがわかっていて、だからこそ、幸多たちも安心していられるのだが。
雷神の庭、黒禍の森、地霊の都の三方面に展開中の戦団の部隊に対し、熾天使たちが協力、さらに天使の軍勢が天から降ってきて、幻魔を攻撃し始めたという。
そうした戦況報告を受けながら考えるべきは、これからのことだ。統魔も義一も消耗し尽くし、まともに戦える状態ではないが、幸多は別だ。
まだまだ余力を残している。
肉体的にも、精神的にも。
「最強ってのは、だれのことだ?」
不意に頭上から降ってきたのは、野放図なまでに傲岸で、不遜極まりない声だった。その厳めしさには、幸多は思わず背筋を正したほどだ。
仰ぎ見れば、脳裏を過った通りの人物が、想像とは全くことなる様子で舞い降りてくるところだった。
第八軍団長・天空地明日良である。そして彼が星象現界・阿修羅の、その翡翠の星装を身に纏っているだけでなく、己が二本の腕と星装の四本の腕で戦団の長老たちを抱え込んでいたのだ。
これには、さすがの幸多も度肝を抜かれたし、統魔も義一もルナさえも、唖然とするほかなかった。
「なんだよ、その反応。星将様だぞ、跪き、頭を垂れよ」
「なにをいっているのかしら、この子は」
「本当に、何様なのか」
「軍団長っす。よって、いつまでも子供扱いしてるんじゃないっす」
「そういう態度だから、子供扱いも致し方ないのではないかな?」
明日良から地上に降ろされたのは、伊佐那麒麟を始めとする戦団の長老、護法院の面々である。
上庄諱、相馬流星、白鷺白亜、鶴林テラ、朱雀院火流羅の全六名。皆、明日良におんぶに抱っことでもいう形で、戦団本部からここまで飛んできたらしかった。
ここは、霊石結界化したとはいえ、未登録の領域である。
転送士の空間転移魔法は頼れず、かといって技術創造センターの日岡イリアを呼び立てるわけにもいかず、ならば、と、戦団本部に残った最後の軍団長である明日良に目を付けたのだろうが。
「な、なぜ、どうして、護法院の皆様方が?」
「そうですよ、軍団長はともかく……」
「なんでおれはともかくなんだ」
「そりゃあこの期に及んで出てこない理由もなさそうですし。なんといっても、いまのいままでお留守番だったわけでしょう?」
統魔の星将相手にも物怖じしない態度を見て、幸多は慌てふためいた。が、明日良は、涼しい顔だ。
「まあ、そうだ。その通りさ」
明日良には、統魔のそんな生意気な態度が心地よくて堪らない。
「出番を求め続けて待機していた結果、ジジイにババアの運搬係になったってんだから、なんともいえねえぜ」
「ジジイだのババアだの、随分な言い様ですね」
「事実だな」
「まったく、年は取りたくないものですが、しかし、それも生きている証。今日まで、生きてこられたという事実に感謝こそすれ、恨み言をいうこともありません。さて」
麒麟は、他愛のない会話が無限に続く可能性を危惧し、話題を変えた。
この第五霊石結界の中心部一帯は、二体の竜の激突によって更地になっている。幻魔の影も形もなければ、戦力を展開する必要もない。
必要なのは、助力。
「わたくしたちがここに来たのは、閣下の……いえ、神木神威の戦いを見届けるため」
「うむ。我々は、そのために今日まで生き抜いてきたといっても過言ではない」
「彼も、我らも、地上奪還部隊の同士であり、人類復興隊の隊長であり、戦団の創設者である」
「わたしたちは、神威とともに今日まで戦い続けてきたのです」
「あの日、あのとき、あの瞬間、彼は呪われ、竜の力をその身に宿した。故に彼は、この五十余年に渡って、全力を発揮することができなかった」
長老たちが語る言葉のひとつひとつは、神木神威という人間に確かな輪郭を与えていくかのようだった。幸多たちの知っている神木神威というのは、戦団総長にして創設者、地上奪還部隊の英雄、導士の中の導士であり、魔法士の中の魔法士という、歴史上の、伝説上の存在だ。
義一は、多少なりとも関わりがあり、神威のひととなりも幸多たちよりは知っているが、しかし、神威が今日までどれほどの苦悩を抱え、人知れず悔しい想いをしてきたのかなど、知る由もなかった。
神威は、語らない。
「自分が戦うことができれば失わずに済んだ命もあったのではないか――神威がそのように考え、悩み、苦しむの無理からぬことだ。神威は、あの時代最高峰の魔法士だったのだ。彼がブルードラゴンを気にすることなく戦うことができたのであれば、央都はさらに広く、強大になっていたとしてもおかしくはない」
それほどの存在をただの人間へと封じ込めたのが、ブルードラゴンであり、その決着をつけるべく、いままさに最終最後の戦いを繰り広げている。
遥かこの空の上で。
この地上からは、竜気の余波すら感じ取れないほどだが、時折、閃光が空の彼方に煌めき、それが二体の竜の衝突の結果だということはだれの目にも明らかだった。
地上から垣間見えるほどの圧倒的な力。
幸多になにかできることはあるのか。




