第千三百八十八話 竜と竜(十)
《待ち遠しくて、待ち遠しくて、仕方がなかった》
神威の脳内に直接送り込んできているのであろう蒼竜の声は、彼にとってはあまりにも身近で、されど、いまや永遠に届かぬ存在となった女の声だった。
慈しみと愛に溢れた地上奪還部隊の女神。
旭桜。
神威は、思わず己が頭を両手で握り締めたのは、頭蓋を割り、脳を破壊しようとすら思ったからだ。だが、そんなことをしても意味はない。脳内に響く旭桜と同じ声の、蒼竜の言葉を聞くしかないのだ。
一方的な通信。
拒否権はない。
《このときを、待ち侘びていたんだよ、神威》
「ブルードラゴンッ!」
神威は、喉が裂けるほどに吼え、血走った目で蒼竜を睨んでいた。蒼竜が六枚の翼を前面に展開し、その先端に光を収束させている。放たれるのは、流星群ではなく、極大の光芒。直線上のすべてを消滅させる破壊の力。
だが、神威は、無視した。真っ直ぐ、光芒の中を突き進む。星装の多重結界が崩壊し、前方に掲げた両腕が砕け散り、顔面に亀裂が生じ、星装にも致命的な損害が発生するが、構わない。肉体がばらばらになっていく感覚は、彼を突き動かす激情の前では意味を為さないのだ。
怒り。
あるいは、痛み。
「おまえはっ、おれをっ――」
《怒らせたかな? だとしたら、済まないことをしたね》
極めて穏やかな、清流のような声音。
聞いているだけで心安らかになる感覚は、半世紀も昔に失われたものだ。それがわずかに復活し、意識を飲み込もうとする。
極めて甘美で、柔らかな罠。
だが、神威は止まらない。
音声記録を再生すればいくらでも聞ける。記録映像にも、彼女の姿はあったし、声も残っている。地上奪還作戦へと至るまでの様々な記録。
神威は、それらの記録を必要に迫られない限り閲覧することはなかった。
過去に縋り、感傷に浸るのは、すべてが終わってからで良い。
神木神威という役割を終え、戦団総長という立場を降りてからで十分だ。
それだけの覚悟がなければ、総長には、大星将にはなりえない。
だからこそ、神威の激情が迸る。
《龍の逆鱗に触れるとはまさにこのことかな》
ブルードラゴンは、神威の反応を観察しているようであり、むしろ、新たな発見に嬉しそうですらあった。それが、神威の神経を逆撫でにするのだが、彼が蒼竜の光芒を突破したときには、その全身はずたぼろになっていた。
体の部位の大半が失われ、残っているのは頭部と胴体の一部だけだ。人間ならばとっくに死んでいるはずの状態。だが、生きている。生きて、蒼竜を睨み据えている。
竜眼で。
そして、神威の竜眼が虹色の光を発し、全身を復元するまでに要した時間は、一秒に満たなかった。
それを見届けたからか、蒼竜が翼を広げ、そして、神威は、唖然とした。
蒼竜の巨大な六枚の翼の向こう側で待ち受けていたのは、数百メートルを越える巨躯などではなかったのだ。神話や伝説に登場するドラゴンでもなければ、幻魔でもない。
「なんだ……その姿は……!」
《星象現界・旭光桜花》
ブルードラゴンの声が、神威の脳内にこだまする。
神威は、欠けていた視界が復活したことで、それを全面で受け止めなければならなかった。
一目見てわかるのは、人間の、女性の姿だ。ただし、その背に光の輪を背負い、そこから三対六枚の翼を生やしている。その翼は、先程までとてつもなく巨大だったが、いまは体格に合わせた大きさになっていた。
まるで神威の星装に合わせたような姿であり、実際、そうとしか考えられない。
青白く輝く竜鱗の装甲、それを身に纏うは、長身痩躯の女性である。長い黒髪から六本の角が生え、これもまた、神威と同じだった。顔立ちは整っており、左眼が竜眼、右眼が褐色の瞳を持っている。その容貌、姿形には、やはり見覚えがある。
旭桜である。
「おまえはっ、どこまでっ、おれをっ――」
神威の怒りは、もはや限界を超えていた。
戦団総長にして大星将。導士の中の導士して、英雄の中の英雄。導士の規範であり、標榜とするべき人物。導士たるもの、だれもが神木神威を目指すべし。神木神威はあらゆる戦場で常に冷静沈着であり、任務完遂にこそ全力を尽くすものである――とは、だれの評価だったか。
神威は、そのような人間であろうとした。
常に冷静沈着でなければ、ともすれば即座に竜眼を解放し、幻魔に襲い掛かりかねないほど、感情的な人間だという自覚があった。
『あなたは情が深すぎるのよ。だから、心配。もしわたしが先にいなくなってしまったら、あなたを止められるひとがいるのか、って――』
(――いなかったよ)
だから、自分で制御するしかなかった。あるいは、神威の暴走によってだれかが傷つく状況を常に作っておく必要があった。それが総長特務親衛隊、通称・首輪部隊である。彼らという首輪があればこそ、神威が幻魔を目の前にしても飛び出すことはなかった。
万が一にも彼らを竜気で傷つける可能性があるからだ。
強引な、外付け制御装置。
それもここにはない。
(だから、おれは――)
神威は、旭桜の姿をした蒼竜が艶然と微笑してきたのを見て、虚空を蹴った。なにもない宇宙空間に満ちた魔素を即席の足場として、超神速で接近する。
《駄目駄目》
蒼竜は、猛然と殺到してきた神威の拳を軽くいなすと、尾でその背を殴りつけた。尾と尾が激突し、衝撃が拡散する。竜気の爆発。両者吹き飛び、距離が離れるも、その瞬間には互いに魔法弾を放っていた。竜気の光弾がぶつかり合い、宇宙空間に閃光を散らす。
《その程度じゃあ、竜は殺せないわ》
「おまえはっ!」
神威が凄まじい形相で睨み付けるも、蒼竜は涼しい顔だ。整った容貌が、竜気の閃光の中で輝いている。
美貌といっていい。
《さっきまでの調子はどうしたの? あなたらしくもない》
口調までもが旭桜を模倣してきた蒼竜に対し、神威の頭の中は沸騰しきっていた。体温の急激な上昇。激情が全身の細胞という細胞を熱し、燃え滾らせる。竜眼から供給される竜気だけでなく、体細胞までもが竜気を生み出していた。
爆発的な勢いで増幅する神威の竜気が、宇宙空間に巨大な歪みを生じさせる。
だが、それもブルードラゴンの眼鏡には適わない。翼を広げ、流星群を放ち、さらに両腕を掲げて光芒を連射。神威が纏う多重結界を容易く突破し、星装を貫けば、大量の血が宇宙に舞った。しかし、死なない。
死ぬわけがない。
《もっと足掻いて見せてよ。いってたじゃない。最後まで足掻いてやるって》
「絶・葬竜砲」
神威が真言とともに放ったのは、極大にして群青の光芒。蒼竜の眼前に到達し、しかし、六枚の翼に遮られて終わる。威力は確かだ。翼は、六枚中五枚が破壊されている。
そして、最後の一枚を神威の拳が貫き、蒼竜を眼前に捉える。
それによって苦々しい顔をするのは神威であり、彼は、生前の旭桜そのものの姿をした蒼竜への憎悪を募らせるばかりだった。蒼竜は、微笑する。
悠然と。
《どうしたの? 神威。あなたの決意も覚悟も、その程度のものなのかしら》
蒼竜が軽く腰を捻って回し蹴りを放てば、それだけで神威の胴体は真っ二つになった。星装と竜気を纏う蹴りは、物凄まじい切れ味を誇る斬撃となる。
もちろん、それで終わるわけもない。
神威の肉体は瞬時に復元し、星装も結界も元通りだ。ただし、神威の顔には逡巡が覗く。
「おれは――」
神威の目の前にいるのは、ブルードラゴンだ。
神威の恋人にして半身たる旭桜、その死から誕生した竜級幻魔。
その姿態が旭桜のものへと変身したとして、だからなんだというのか。
その声が、旭桜のものだとして、だからどうだというのか。
斃すべき敵に変わりはない。
滅ぼすべき存在に違いはない。
やるべきことはただひとつ。




