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この日は平穏無事に過ぎていくと誰もが信じていた。二日ぶりに太陽は姿を現わし、人々は精を出して働き、夜には心地よい疲れと共に深い微睡みに落ちていくはずだった。
だが、その直前で事は始まりを告げたのだ。
予測はされていた。いつかはその時がやってくると誰もが思っていた。せめて大きな災厄でなければいい、そんな風に考えていた。
「――お願いします。お助けください。このままでは私たちの村の人間は、みな『魔』の餌食になってしまいます」
ジグールと同じトーディ島の村、ドゥゼ。山をいくつか隔てたところにあるそこから彼は馬を駆ってやってきた。
普段ならすでに床に就いている時間だというのに、煌々とランプがたかれた長老の家には、長老、リオン、真士、哲平、ダルナ、そしてドゥゼからの客と、集落の主要な人間が三人ほど、また、家の外にも集落の人間が何人も、事情を聞こうとしてそこにいた。
ドゥゼの村長の息子だという彼はこう語った。
三日前、初めて『魔』が現われた。その日は夜に一人が犠牲になり、死んだ。その次の日には、朝に一人、夕方に一人、夜に二人が襲われ、死んだ。そして昨日また『魔』は現われ、朝に二人昼に二人が襲われ、死んだ。そこで村の皆で相談をし、『魔』の被害から人々を救っている、ジグールのダルナという『精霊使い』に助けを求めることになったのだ、と。
「お願いします。お助けください。『魔』は一過性のものと聞き及んでいましたが、今回のことを見るかぎりそういう風には思えず、むしろこのままだと被害は拡大するばかりに思われるのです。ここで手を打っておかないと、本当に私の村が滅んでしまいます」
彼の両眼は真っすぐにダルナをとらえていた。眉間には力がこもり、眼球はランプの明かりによってか、珠のように光って見える。
「どうする、ダルナ」
長老はダルナに視線を向ける事無く、落ち着いた口調で尋ねた。
ダルナはしばしの沈黙のあと、少し憂いたような、しかしどこか冷めたような目を伏せ、答える。
「確かに、『魔』はまた襲ってくるでしょう。そのたびに犠牲が出てしまう……。それは、分かります。お助けしたいとも、もちろん思います。けれど……今は、駄目なのです」
男が息を飲んだ。身を乗り出し、声を上げようとした。だがそれより早く、ダルナは再び口を開く。
「というのも、ご存じのとおり今はジグールも『魔』に狙われています。幸いなことにまだ死者は一人も出ていませんが、いつ大勢の人が『魔』に襲われ命を奪われてもおかしくない状況です。ここからドゥゼまでどんなに急いでも一日はかかります。そして『魔』を排除してジグールに帰ってくるとなると、短くても四日。……残念ながら、今ジグールがおかれている状態からいって、それほどの間放っておくわけにはいかないのです」
「けど、ドゥゼではもうすでに九人もの人間が命を落しているんです」と男はダルナにくってかかった。その声は震えていた。両手の平は堅いこぶしとなり、膝に強く押しあてられていた。痛々しいほどに、その瞳は脅えていた。
そんな彼の前でも、ダルナは淡々と言葉を紡ぐ。
「申し訳ありません。こちらの事情も分かってください。私は、あなたと同じように、自分の町の人間を放っておくことができないのです」
男は勢い何かを言おうとし、やめた。
開かれた口はわずかに震えながら閉じられていく。
黒い眉をきゅっと寄せ、唇をぐっと結び、男はうつむいた。
拳はまだ堅く握られている。
男は何も言えなかった。
誰も何を言い出そうともしなかった。
圧し殺された空気の中、真士はダルナを、男を、リオンを見てやった。
ダルナは両の眼で目の前に座る男を見つめ、男は顔を上げず、リオンは冷静な表情でそこにいた。
哲平を見てやると目があった。だが、哲平はすぐに視線を外してしまう。
だから真士も見回すのを止め、視線を自分の膝に流し、沈黙を保った。
「……俺たちは、このまま滅びるのを待つしかないのか……?」
弱々しく男の声は発されていた。
真士の心臓が一つ、強く胸を叩いた。
視線を上げることすら出来ず、じっと膝を見つめてしまう。
「――ならば、私がいきましょうか」
また一つ、心臓が打つ。
とっさに顔を上げ、彼の顔を見た。
いつも自分達に見せるのと同じ顔。普段どおりの顔が、そこにはあった。
「『司』殿が……ですか?」
ダルナが両目を見開き尋ねる。その言葉に男が反応する。
「『司』!? あなた、『司』なのですか!?」
「ええ。正真正銘の『司』です。ここに滞在している時にあなたがいらしたのも何かの縁でしょう。それに『司』の使命は『魔』を排除すること。ダルナさんが自分の町を守るために動けないのなら、私がいけばいいことです。私にはそれだけの力があると思うのですが、いかがでしょう?」
「一体どこに『司』の申し出を断る愚か者がいるのです!?」
男が叫んだ。
集落の代表としてそこにいた三人の男がぼそぼそとそれに賛同の意を示した。
長老はダルナを見る。
ダルナはリオンを見て、
「……あなたがそう言ってくださると助かります」
かすかに微笑む。
「私はやるべきことをしようとしているだけのことですよ。そのかわりといってはなんですが、私がドゥゼに行っている間、真士とゾフィーのことを頼みます。二人はここに置いていこうと思うので」
二人はそれに口を挟まなかった。
なぜリオンが自分たちをつれていかないのか……足手まといになるからなのか、それとも他に思惑があっての事なのか、それははっきりとは分からない。
ただ、そう口にしたあと二人に向けたリオンの目が有無を言わせなかった。
強く口を開かせることを咎めたのではなく、逆に優しく宥めるような眼差しだったのだ。
だから、二人は何も言わない。
「『司』殿。よろしくお願いします」
こうして次の日の朝早くに、リオンはドゥゼに旅発っていったのだ。




