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「アブラハムーは七人の子っ、一人はのっぽであとはちびっ、みぃーんな仲良く暮らしてる、さあっ、おっどっりっまっしょー。みぎぃてっ。みぎぃてっ」
炎天――この言葉は今日この日のためにあるようなものだった。太陽が全てのものを蒸発させようとしているかのごとく、頭上で燃えているのだ。
じりじりと肌を焼くその陽射しから逃れるためには物の陰に入るしかない。そしてこの状況下、一番手っ取り早いのは木陰というやつだった。
その畑が連なる脇に立っているこの大木の下からは、能天気な歌声が聞こえてきていた。
「アブラハムーは七人の子っ、一人はのっぽであとはちびっ、みぃーんな仲良く暮らしてる、さあっ、おっどっりっまっしょー。みぎぃてっ、みぎぃてっ。ひだりてっ、ひだりてっ」
歌声の主は、言わずと知れたくすんだブロンド髪の少年。今ではこの集落の食客の一人である。隣には彼の金髪の友人がやはりいつものとおりにいるのだが、友人には彼に付き合って歌ってやろうという気はさらさらない。体を好きに操られても抵抗すらしない。そのためにその友人の両手は彼の歌にあわせて振り回されるのだ。
「アブラハムーは七人の子っ、一人はのっぽであとはちびっ、みぃーんな仲良く暮らしてる、さあっ、おっどっりっまっしょー。みぎぃてっ、みぎぃてっ。ひだりてっ、ひだりてっ。みぎあしっ、みぎあしっ」
とうとう右足まで取られてしまった。
彼――下原哲平は、友人――野村真士の右足を両手でむんずと掴み上げ、歌にあわせてぶらぶらと振る。
「アブラハムーは七人の子っ、一人はのっぽであとはちびっ、みぃーんな仲良く暮らしてる、さあっ、おっどっりっまっしょー。みぎぃてっ、みぎぃてっ。ひだりてっ、ひだりてっ。みぎあしっ、みぎあしっ。ひだりあしっ、ひだりあしっ」
そこで突然歌は止んだ。
真士が異変を感じて哲平の顔を見てやると、彼は真士の左足を脇に抱えたまま怒ったような表情を向けている。
「……どうかしたのか?」
声をかけた。すると、
「なんか反応しろよなー。つまんないじゃないかー」
「…………」
なぜ自分がわざわざこいつの遊びに付き合ってやらなければならないのか、真士にしてみればそんなことで怒られるのは不条理以外のなにものでもない。なのに哲平は、結構本気になって怒っているらしい。
「少しぐらい反応返せよ。やめろ、とかさ、呆れているにしてもそれなりの、さ」
「…………」
正直、真士にとってはどんなにひややかな反応でも億劫なことにはかわりないのだ。今ですら口を開く気力が備わっていないために沈黙の時が過ぎてしまう。
「ほんと、なんか言ってよねぇっ」
不貞腐れて哲平が真士の足を放り出した。 ふくれっ面のまま、背後の木の幹に背を預ける。両目を閉じる。
真士はその横顔を見て、ため息だけ一つ、ついた。哲平の機嫌の悪さが真士にも分からないわけではないのだ。
というのも、今日のこの暑さというのが夏の暑さの中でも群を抜いて不快なのである。今日は空に雲一つないぐらいの快晴なのだが、昨日、一昨日と真士たちがこの集落にきた次の日から二日雨が続き、今朝の明け方にそれは止んだのだが、雨のもたらした湿気というのが逃げるでもなく地表の辺りを漂っているので、実際の気温以上に暑く感じられてしかたないのだ。
集落の人間にとっても今日の暑さはいつも以上に堪えるだろう。しかし、彼らは二日ぶりに畑仕事が出来るとあって、精を出し一生懸命に働いていた。
炎天下、真士と哲平の目の前に広がる畑の中に彼らはいるのだ。
「さすがだよなぁ。懸命だよなぁ。あーゆー姿を目のあたりにすると、俺もなんかやんなきゃとか思っちゃうよなー」
いつのまにか両目を開け、真士と同じく畑仕事をしている人を見ていた哲平が呟いていた。
同じ物を見て思うところは真士にしても同じだった。だがこうして二人が木陰でのんびりしているにもわけがある。
「けどなー、俺たち、やることないしなー」
手持ちぶさたなわけだ。
真士と哲平がこの集落に招き入れられたときから感じ取れたことではあったが、集落の人間にとって真士も哲平ももちろんリオンも、普通の客以上に特別な、最上級の客としてもてなされていた。
料理はいつも量数多く、身の回りのことも頼みもしないのに整えてくれて、話相手にもなってくれる。
しかしそれは昨日までのこと。そこまでしてくれるのは雨のために彼ら自身も暇であったため。今日はきれいに晴れたので客の相手をしている場合ではなくなり、こうして二人、放り出されたのだ。しかも、何か手伝うことはないかと尋ねる二人に「手伝わせるなんてとんでもない。ゆっくりしてください」と言い、それでもあまりにも暇なので草抜きでもしようかとすれば、誰かが血相をかえて飛んできて、「よしてください」と両目を覗き込んで懇願するという……。
こんな状況で一体どうして手出しできよう。お陰でやる気というものは体中から失せていき、真士の体内に至っては、哲平のおふざけにつきやってやる気力すら微塵も残してはいないのである。
「あーあ。何かおもしろいことないかねぇ」
哲平が呟いた。真士の目は虚ろだ。
ジジジジジ、と虫がどこかで鳴いている音だけが耳に付いた。それが余計に体からスタミナと気力を奪い去っていく。
虚ろな視界の中にはせっせと働く人の姿。その姿もまた、動くことを諦め切った今となっては二人に暑さを思い出させるだけのものになっている。人々の頬を伝い落ちていく汗が何とも言えぬ程に気持ち悪い。
「あちい……」
ジジジジジジジ。
そんな虫の鳴く音に雑音が混じった。
甲高い音。子供の声だ。
理解して発生源の方向に目を向けると、畑の向こう側に小さく姿が見えた。五、六人が集まりきぁわきぁわとはしゃいでいる。その中心にいるのは彼らの師匠、リオン・ビィノ。
この集落に来てからというもの、リオンはみんなの注目の的であった。理由は簡単、彼が『司』だからだ。
人々の、何より子供たちのヒーローが、『司』。この集落に限ったことではない。『司』の存在とその特異性を理解しているなら、どこでも誰でもそういう目で『司』のことを見る。
真士と哲平に対しても人々は近い眼差しを向けていた。二人は『司』直々の弟子であり、候補生という未来の『司』。やはり憧れの対象ではあるらしい。
だが、リオンに対する態度と真士と哲平に対する態度にはあまりにも明らかな差があった。それは子供たちの対応により顕著に見られ、その差がこうした今の過ごし方に現われていた。
弟子二人が木陰でだらけきっているのに、師匠は元気一杯の子供たちの遊び相手をしているのだ。
「…………」
二人の位置からリオンは遠かった。リオンと子供たちは目の前に広がる畑のちょうど向こう側を歩いているので、真士と哲平の視力がいくらいいといってもリオンの目鼻ははっきりと見えない。動き回る子供たちに至ってはその顔の特徴を掴みきれない。
「…………」
ただ、その仕草や聞こえてくる笑い声、リオンという人物の記憶から、彼らが楽しんでいるのだけは分かる。リオンは『精霊』を使って水を出したり風を送ったりしているらしい。普段は『魔』を相手にする以外、よほどのことがないかぎり『精霊』を使わないというのに、だ。
「リオンって、俺たちと最初に会ったときもあんなんだったかなぁ……」
哲平がまた呟く。
真士と哲平がリオンに最初に出会ったのは三年前。二人が十歳の時。今、リオンを囲んでいる子供たちは、大きい子でやっとそのぐらいの年齢か。
そんな思考を頭の中でめぐらせ、真士は徐に口を開く。
「……ただ単にガキが好きなんだろ?」
彼が自分達に対してあんなに楽しそうに接したという記憶がなかった。あれほどまでに甘い対応をされたという記憶がなかった。
まあだからといって、どうでもいいことではあるのだが。
「しかしなあ。ガキども、何人かは俺たちの方にきてもいいと思うけどなあ。俺だって炎なら出せるわけだしさー」
哲平が何かを言っている間に真士は実にゆっくりと立ち上がっていた。足場を確かめると、とりあえずお尻の埃を払ってみる。
目はまだどこか虚ろだ。
「……真士?」
「……埒あかないからさ、ちょっくら散歩でもしてくるわ」
昨日や一昨日、この集落の中を歩き回っていないわけではなかった。だが、雨だったために充分に歩き、物の場所や位置をおぼえ切ったというわけでもなかった。
「俺も付き合っていいか?」
哲平も隣で立ち上がる。
「下手な期待はするなよ」
「期待って?」
「……俺はお前の求めるような反応をしないからな」
「そんなのしてないよ」
「さっきしたばかりじゃねぇかよ」
「……あらら?」
強烈な陽射しの下に足を踏み出す。二人はのんびりと畑の脇を歩いていく。
途中、何人かの人に声をかけられた。簡単なあいさつ程度ではあったが二人は声をかけられるたびに足を止め、二、三言葉を交わしていった。
急に思い立ち即実行に移した暇つぶしと気分転換の散歩であるため、これといった目的地はなかった。なのに、二人は迷う事無く進んでいった。
気分にまかせていたらそうなったのか、それとも知らず知らずのうちに行ったことのない所へ行こうとしていたからそうなったのか、それは二人にも分からない。
「…………」
ただ、二人がほぼ同時に足を止め、目の前の同じ場所をじっと見ているという現実は、はっきりとした事実であるのだ。
「…………」
思わず沈黙する。
「…………」
「――……なんだ、これ」
口火を切ったのは哲平だった。
目の前にあるのは――広がっているのは、大地。
広さは家が隣接して十五近く建つぐらいか。
「…………」
真士と哲平がこの地に疑問を持つのには二つのわけがあった。一つは、ここが家が密集して建っている所よりももう少し森に入った所で、辺りには木が立ち並んでいる場所だというのに、ここにだけ突然のように何もない地が広がっているということ。もう一つは、この地面の土の色が他の場所の土の色と違っているということ――焦げている?
「火事、だな」
真士が口にした。
哲平は首肯く。
「…………」
再び、沈黙。
「あなたたち、何してるの?」
そんな時に背後から声を掛けられた。振り返ってみると、そこには真士と哲平より二つ三つ年上だと思われる少女が、手ぬぐい片手に汗を拭きながら不思議そうな顔をして立っていた。
この集落の生業である農作業のせいか、彼女の肌も黒く焼けている。
「この地面、見てたんだよ」
哲平が答えた。彼女が二人の傍まで寄ってきた。彼女もまた、地面を見る。
「……やっぱり、気付いた?」
言いにくそうに口にした。けれど、口元は少し笑ってすらいる。
「気付いたって……火事があったってこと?」
「そうよ。さすが、とでも言いましょうかね。さすが『司』の候補生さんたち、よくここで火事があったことに気付きました! ……もしかして、いつ火事があったかも分かったりする?」
話の内容の割に彼女は明るかった。真士と哲平の間に入って交互に二人の顔を微笑みながら覗き込んでいた。
お陰で二人の方がどういう顔をしたらいいのか分からなくなり、強ばった表情をしてしまう。
「……そこまでは分からないけど……」
「この前の落葉の頃よ」
さらりと彼女は二人に告げていた。
落葉の頃というなら冬前なのだろう。ということは今から十ヵ月近く前か。
「よく晴れた日の夜中にね、火が出たの。どこからどうして火の手があがったのかは分からずじまいなんだけど、多分ランプの火が原因ね。……ここにはね、六つ家があったの。どれも小さい家で、肩を寄せ合うように立っていたわ。昔ね、その六つの家に血縁者だけで住んでいた人達がいたんですって。だから木に囲まれて、少し他からは隔離されたような所に建っていたんだけど、……結局それがいけなかったわ。火の手があがって、落葉に火が移って、周りの木にまで火が移って、……それからですもの、私たちが火事に気付いたのは。完全に手遅れ。もう、誰も助けることなんて出来なかった。火をそれ以上燃え広がらないように食い止めるので精一杯だった。この家の人たち、みんな火の中にいたの。ぎりぎりまで自分たちだけでどうにかしようとしたんでしょうね。それで逃げ遅れて……。みんな死んだわ。私はその現場にいなかったんだけど、話によると消火しようとした人たちの目の前で死んだらしいわ。ここに住んでいた人で助かったのは一人だけ……ダルナだけ。あの人、その日は長老の家にいたんですって。だから助かって……」
「ダルナ……」
真士がその名を静かに復唱した。
思い出されるのは、彼の冷ややかな眼、冷ややかな表情。
「……ねえ、約束してくれないかな。火事の話もこの場所の話も、集落にいる間はもうしないって」
彼女が言った。それで分かった。なぜ彼女がわざわざそんな話を自分たちにしてくれたのか。
「……まだ、傷がいやされていない人、多いのよ」
口にしないことに何ら問題はなかった。
理由さえ知ってしまえばそれほど疑問に思うことでもない。残念ながらよくある話であるし、自分たちが関与するようなことでもないのだろう。
――これは、過去の話しでしかないのだ。
首肯すると、彼女は「ありがとう」と言って微笑んだ。「ところで」と言って、それまでの話をなかったものにするかのように、ぱん、と一つ手を打った。今までとは違ったすがすがしい笑顔で二人の顔を交互に見る。
「これから私、家に帰ってお茶にしようと思うんだけど、一緒にお二人もどうかしら。今ね、となりの集落のお友達の所においしいお茶を貰いにいってきたところなの。市で手に入れたんですって。ほら、見て。いい香がするでしょう」
彼女が腰から下げていた小さな布の袋を手に取り、口を開いた。覗き込むと芳しい香がほのかに漂ってくる。
「一緒にお茶にしましょうよ。私、お二人とお話ししたかったし、ね」
弾むような口調。それはどこかリオンの周りにいた子供たちの笑い声と似ている。
真士と哲平は思わず無言のまま顔を見合わせてしまった。
お互いに二つほど瞬きをすると、哲平が彼女にその不安を恐る恐るぶつけてみることになるのだ。
「……俺たち、『司』じゃないけど、いいのか?」
一瞬の間のあと、彼女は大声で笑い飛ばしてくれていた。暫らく、お腹を抱えて笑っていた。
二人はそんな彼女をばつ悪く見守るしかない。
そして彼女の笑いがおさまったころ、三人は同じ方向に歩き出す――こんな感じで平和に今日という日が過ぎていくのだと信じたまま――。
しかし異変は、その日の夜半、突然訪れたのだ。




