3-10
真士と哲平は、リオンがいなくなってしばらくしてから、自分たちのために空けられた家に休みに戻ろうと長老の家を出た。
陽が完全に暮れてからの長老の家は宴会場と化していた。一目『司』を見ようと、そして言葉をかわそうとする集落中の人間が集まってきて、酒盛りを始めたのだ。
どうやら『司』が目の前にいるという事実に興奮したらしい。主役であるはずの三人がどのような顔をしているのかも知らず、彼らは騒いでいた。かといって三人がその状況を迷惑がっていたとかいうわけでもなく、それなりに楽しんではいたのだが、同時に呆気に取られている部分も多分にあったというのが正しいところであった。
宴会は三人が抜けた今も盛り上がっているだろう。煌々と灯は焚かれ笑い声が絶えないのだろう。半月の下、歩きながら真士も哲平もそう思う。
「…………」
二人とも長老の家の中ではそれなりに饒舌だった。いろんな人にちやほやされるのは気分が良く、酔っ払った人と一緒になって騒いだりもした。
しかし、今は二人とも夜の静寂に引きずられるかのように沈黙を保っていた。宴会場を笑顔で出てから、二人は一言も言葉を発していなかった。
ただ黙々と闇の中を歩いていた。
「……あれ、リオンだな」
先に口を開いたのは哲平の方だった。
言葉を耳にして真士は右隣を歩く哲平を見上げる。哲平が左手に松明を持っているためその顔を見るには炎を覗き込まなければならなかったが、彼が視線を右側に走らせていることに気付き、真士もそれにならった。
その先には小さな炎が一つあった。自分たちの行く手を照らしている松明と同じものだと分かる。
哲平とリオンは『炎の精霊』と契約を結んでいるので、いつでもどこででも火をおこすことが可能だったが、長老の家を出る時に集落の人間がわざわざ松明を用意してくれたために哲平もリオンもそれを持っている。
その、明かり。
リオンともう一人の人物を照らしだしている。
ダルナという『精霊使い』だ。
リオンとダルナは二人に背中を向け話をしている。
「やっぱり……変だよな」
徐に口を開いていたのは真士だった。
二人の足はいつのまにか止まり、視線はリオンとダルナに注がれていた。
松明の火が弾けている。
「変?」
「五十人だ。あんなに強かった『魔』が五十人もの人を襲ったんだ。なのに誰も死んでいないなんてさ」
「……食い潰し尽くしちゃいけないと考えたのかな」
『魔』は思考する。思考の深さは『魔』によって天地の差があるが、強い力を持つ『魔』ほど人間に近い思考をする。考え計画を練って人間を襲う『魔』もいるわけである。
けれど、
「確かにな。そう考えたのかもしれない。けど、五十人だぜ。しかも『魔』だって複数なんだぜ。おっかない程貪欲な食欲を持つ奴らなんだから、どこかで間違いが起こっても、いい数だろ?」
過去の経験が、データがそれを物語っていた。
『魔』が複数集まれば、飛び抜けて頭のいい奴もいるだろうが逆に悪い奴もいるだろう。そんな奴がどこかでミスをして人間を死においやってしまったとしても何らおかしくはない。実際、そうやって人間の力を食い尽くし結果殺してしまう『魔』がほとんどのために人間は『魔』を恐れているのだ。
「それに、五十人だ。こんな限られた地域で五十人もの人間の中に『魔』が入りこめているっていうのも……変だと思わないか?」
『魔』はどんな人間の体内にも入れるというわけではない。『魔』が入りこめる人間は、その『魔』と波長の合った人間か、『魔』を自ら受け入れようとした人間か、もしくはすでに『魔』を受け入れてしまったものに心を許している人間。
『魔』がそれらに当てはまらない人間の中に強引に入り込もうとする場合もないわけではないが、その成功率はきわめて低く、『魔』自身も相手の人間によほどの脅威を感じたりしない限りあまり成そうとはしない。
そのような条件の元で、五十人。
六か月の間に、五十人、だ。
「……変だな。変、だよ。変、……だけどよ」
哲平がリオンとダルナから視線を外し、すっと歩きだす。
真士もそれに遅れないように続いた。
松明の炎が揺れている。
「――なあ、真士。俺たち本当に、『司』になれるのかなあ?」
「え?」
哲平は突然そんなことを静かに口にしていた。彼の両眼は虚ろに前方をとらえている。
「俺たち、リオンのように、なれるのかなあ?」
「……俺はリオンにはなりたかないぜ」
「それは俺だってそうだよ。けど……さ」
「…………」
哲平は言葉を続けない。
真士も口を開かない。
二人の心に去来しているものは同じ――いつか追い付くのだろうか――いつか、追い越せるのだろうか――。
絶対的な力の差。
それをリオンは目前に据えてきた。
船上で真士に、先程の戦いで哲平に。
彼は言葉ではなく実感を自分たちに与えてきた。
何よりも強烈に、鮮明に。
心に放りこんだのだ。
「……くやしいよ。くやしいんだよ。……力が……力が欲しいよ。力が、さ……」
言葉を紡ぐ哲平の声は微かに震えてすらいる。
込み上げてくる、思い。
「……いつか……」
真士が、呟いた。
「……いつ、か……」
哲平が、唱えた。
二人はそれ以上何も言いはしなかった。
一言もお互い言葉をかわすことなく少し欠けた半月の下を歩き、あてがわれた家に入り、静寂の中、真士と哲平は床に就く。
しかし二人が深いまどろみに落ちていくには、あと暫らく時が必要だった。