第三章 濁流(下)
第二の波は、隣り合う世界の記憶だった。 この世界と並んで浮かぶ、無数の世界たち。同じ大河、同じ海。違うのは、歩みの位相だけだ。それらの記憶が次々と流れ込み、亜軍は同じ舞台の上で紡がれる、異なる台本を目にした。
ある世界は、まだ灼熱のマグマに沈み、星雲がようやく冷めたばかりだった。 ある世界の海からは、好奇心に満ちた大きな瞳が初めて覗き、慎重に岸辺の森をうかがっていた。 ある世界では、泥の上の小さな生き物がようやく身を起こし、欠けた石を握りしめ、掌に血を滲ませながら、目の前の木の実に頭を悩ませていた。
そして人が現れる。城を築き、城壁の下に人の声が沸き立つ世界。鉄道を敷き、草原をレールが貫く世界。人工衛星を空へ放ち、夜空に星をひとつ増やした世界。
さらに速く歩みを進めた世界もあった。高層ビル、無数の画面、夜も絶えない灯火。文明は人工知能の時代の閾に手をかけた。だが、理由もわからぬまま光景は突如空白へ還り、すべては最初からやり直しになる。泥の上の小さな生き物が、また尖った石を握り、掌に血を滲ませるのだ。
一方では星雲から恐竜まで、数十億年の歴史が凝縮され、他方ではその先に続く果てしない文明の歳月が広がる。無数の世界、無数の歩み。完全な歴史の全貌が彼の前に広げられ、まるで無数の川が源流から河口へ、寸分も漏らさず流れていくようだった。
誰が車輪を発明し、誰が裏切り、どの戦いがなぜ起こり、どの王朝がどう崩れ去ったのか――あらゆる物語を、彼は余すところなく把握した。
その中にひとつ、彼が死んだ日とほぼ同じ刻みまで進んだ世界があった。ただ、あの「三つの壺」だけが、そこにはなかった……
見慣れた路地裏が映る。馴染みの夏、花椒と牛脂の薫り。街灯は一昨日、修理が終わったばかり。ワン爺さんもいる、欣欣もいる。
彼は一目見ただけで、静かに視線を切った。 冷酷だからではない。区別がついているのだ。これは「別の世界」の記憶の断片に過ぎず、自分のものではない。自分自身のあの世界は、もう二度と戻らないのだから……
押し寄せ続ける記憶の中に、また別の世界があった。ひとりの男が身に覚えのない罪を着せられ、他人の罪を背負って刑場へ連れて行かれる。道中、群衆が容赦なく野菜くずやゴミを投げつけていた。昔の彼なら、雨に打たれる野良猫を見ても胸を痛めるような人間だった。きっと飛び込んで冤罪を晴らそうとしただろう。
だが今、彼はその場に漂ったまま刑場を見下ろし、自分の胸に感情の波が立つかどうか、試すように待った。――しかし、何も起こらなかった。
あまりに多くを見てきたからだ。冤罪の連鎖のひとつひとつ、知っていながら黙る者、目を閉じる者、刃を手渡す者。すべての歯車が隙間なく噛み合っている。これはもう誰か一人の悪ではない。この世界があらゆる細部を揃えた末、必然として響く調べなのだ。
出会いと別れ、悲喜こもごものドラマも、人類文明のささやかな挿話に過ぎない。ひとつとして欠けてはならないのだ。
視線を戻し、ふと小さな疑問が脳裏をかすめた。さっきの追跡劇、ティラノサウルスは獲物を捕らえられたのだろうか?
思いが浮かんだ刹那、彼はすでに泥地の上空にいた。 思いから到着まで、一念のうち。今回はその異常さに気づいたが、感慨に耽る気にもなれなかった。これこそ、無数の真実を見届けた者が得た達観だった。
泥の上で、ティラノサウルスは狩りに成功していた。小さな獣たちは四方へ逃げ散るが、どうしても一番足の遅い一頭が出てしまう。誰が責められることもなければ、責任を負う者もいない。
「…… まあいいか。どうせ殺されたあの子は、俺の直系のご先祖様じゃないんだし」
日が暮れた。あらゆる記憶の濁流が、尽き果てた。
無数の世界の物語を、彼は知り尽くした。その直後、彼はある奇妙な事実に気づく。 これら膨大な記憶の中には、地球も火星も太陽も、天穹を埋める無数の星々すらある。 だが、他の恒星の過去は一つもない。太陽系外の世界の痕跡など、どこにも見当たらない。記憶のキャンバスは夜空を描いたところで筆を止め、夜空の外は、ただ空白のままだった。
この宇宙は、太陽系だけなのか? 銀河は? アンドロメダは? 空に満ちる星々は? なぜ、すべての記憶は太陽系の最外縁に達したところで、筆を置くのか。
彼はその場に漂ったまま、この疑問をゆっくりと胸に飲み込み、そして試しに、さらに下の層の世界へと視線を向けた。




