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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter5・ワルプルギスの夜の宴
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昌国君討滅作戦2

 迫る鴉軍(あぐん)。ゲオルクは、右へ動いた。考えがある訳ではない。ただ、正面からぶつかる直前で(かわ)すような、良く使う手は通用しないと思った。

 そもそも鴉軍二百騎と、ゲオルク軍の騎兵七十騎では、まともにぶつかれば一瞬で崩壊する。

 鴉軍は、ゲオルクと反対方向へ動いた。互いに背を向けて、距離を取る。

 だがそれは、この勝負を受けて立つという、昌国君(しょうこくくん)の意思表示だと思った。お互いに礼をして、剣を構える。そんな感じだ。

 進路を変え、前に出る。前と言っても、行く手には誰もいない。歩兵から離れた、という事だ。まずは騎馬のみの戦い、と言うこちらの意図は、伝わったはずだ。

 鴉軍も進路を変える。互いの距離は離れているが、並走する形になった。

 にらみ合いだ。先んじて動くべきか。それとも相手が動くのを待って、その隙を狙うべきか。

 どちらでも、あまり意味は無い。騎馬戦の基準からしても、まだ距離がある。相手の動きに対応して動いても、さらにそれに対応するだけの余裕はある。

 だからここでどう動くかは、心の読み合いという意味合いが強い。そして心というのは、変わるものだ。

 反転し、歩兵の方へ向かって駆けた。逃げている様にも見えるし、誘っている様にも見えるだろう。

 どちらというつもりもなかった。ただぶつかり合う前に、できるだけ鴉軍を、昌国君を観察したい。その為に、さまざまに動いてみる。

 追ってきた。追いながら横に広がり、押し包む構えだ。

 肌が粟立った。凄まじい重圧を感じる。縦列だった鴉軍が広がったおかげで、数倍に増えた様に感じる。それが、背後から迫ってくる。

 一方的に駆り立てられるだけの、獣になった気分だ。追って来るのは、鼻の利く猟犬。それも、決して逃げられないあの世の猟犬だ。

 目を瞑りそうになる。無理に目を見開きながら駆けた。いつの間にか、本気で逃げている様な気になっている。

 歩兵の隊列が、目前まで迫っていた。このまま、飛び込みたい衝動に駆られる。

 鴉軍は、まだ追ってくる。距離を詰められていないが、決して引き離す事も出来ない。同じ距離を保ったまま、追ってくる。


「くそっ」


 負けて堪るか。一太刀も交えないまま、負けてなるものか。腹の底から咆哮した。

 反転し、横に広がった敵の中央へ向かった。真ん中から二つに断ち割ってやる。

 鴉軍が反転し、逃げた。いや違う。反転したのは、ゲオルクがぶつかろうとしていた中央だけだ。全体が三つに分かれ、別々に動いている。

 ざっと血の気が引いた。どれを追っても、三方から囲まれる。追わなければ、三つの敵が次々と攻撃を仕掛けてくる。

 直進した。脚を止めず、このまま三つに分かれた敵の中央を追う。最も危険な所を、突っ切る事になるだろう。

 だがここは、今できる最高最強の攻撃で、ぶつかってみるしかない。

 左右から敵が迫る。追う正面の敵には、追いつけない。このまま、挟み撃たれて終わるのか。


「反転!」


 気付いたときには、反転の命令を出していた。全軍が反転、離脱する。

 左右から迫っていた敵を、際どい所で躱した。敵がその場で駆け回り、一つにまとまる。

 左右からまさに突っ込まれる、というあのタイミングで反転など、普通に考えれば自殺行為だ。まともな思考をしていたら、絶対にやらない。

 それでも、そう命令を下していたし。そのおかげで命を拾った。敵にとっても、意表を突く動きだったのだろう。

 無意識のうちに、それが最良だと導き出したという事か。生存本能のようなものが働いた、と言うべきか。

 ともあれ、まだ生きている。ならば、まだ戦える。

 再反転し、鴉軍へ突撃した。今なら、鴉軍の脚は止まっている。

 鴉軍が逃げた。隊列をまだ整え直していないようだ。しかし、すぐに逃げながら隊列を整え直す。

 それでも追った。まともにぶつかる事になっても良い。尻尾の端でも食いちぎりたい。

 また鴉軍が散った。だが今度は、仕方が無くという感じだ。せっかく立て直したのをまた散らしてでも、ここでのぶつかり合いは得策ではないと判断したか。

 鴉軍に、行動を強いている。主導権を、こちらが握っている。かつて無かった事だ。

 勝てるのではないか。そういう思いが頭をよぎった。

 散った敵のうち、右の敵を追う。どれを追っても同じ事だ。部隊が小さくなった分、動きは小回りが利いて、捉えきれない。

 他の二隊が迫ってくる。

 開けている方へ逃げた。迫ってくる二隊のどちらかに向かえば、ぶつかり合う事が出来た。しかし、こちらの傷の方が深いだろう。

 負けない自信はある。しばらくの間はだ。だが勝つ方法は、まだ見えない。それが見えるまで、血の一滴も無駄に流したくはない。

 一つにまとまった鴉軍が追ってきた。本気で追われれば、逃げ切れるものではない。どこかで動く。

 反転した。今なら、追ってくる鴉軍の先頭を躱し、斜めに隊列を突っ切れる。

 だが鴉軍は進路を僅かにずらし、ゲオルクの突撃をすり抜けて、部隊のすぐそばを駆け抜けていった。

 その動きに違和感を覚える。


「しまった!」


 鴉軍が、歩兵の方へ真っ直ぐ突き進んでいる。先に歩兵から崩す気か。

 全力で追った。しかし、追いつけない。鴉軍が歩兵とぶつかる。

 鴉軍がゲオルク軍歩兵の左翼とぶつかる。正面だけでなく、左翼の左に回り込み、二方向から押している。

 どうにか鴉軍を背後から襲い、左翼歩兵と合わせて挟撃の形に持って行こうと駆けた。だが、ゲオルクが追い付く頃には、すでに左翼の被害は甚大なものになっていた。

 それでも、背後から一太刀浴びせて左翼を救おうとするゲオルクを、鴉軍はさらりと躱して駆け去っていく。

 駆け去っていく鴉軍の後列集団の中に、昌国君の姿を一瞬認めた。

 美しいほどに、颯爽としていた。恋の様なときめきさえ覚えた。

 左翼は辛うじて崩壊を免れていた。ゲオルクが間に合った、というよりも、昌国君に情けを掛けられたように思えた。

 だが昌国君が、戦でその様な情けを掛けるなど、あるはずがない。戦は戦で、容赦なく徹底的に敵を潰すのが、昌国君だ。

 鴉軍を追った。酷く嫌な予感がする。追っても追いつけないのだが、先回りする事も出来ない。歩兵に向かってからの鴉軍の動きが、読めないのだ。

 鴉軍は、ゲオルク軍歩兵の目の前を、左翼から右翼方向へと駆け抜けている。もしや、と思った。必死で追ったが、追いつくどころか引き離されている。

 悪い予感が的中した。鴉軍は、今度は右翼を突きぬけ、削り取っていた。

 正面からまともにぶつかっていれば、いくらかは足を止められていただろう。そうであれば、ゲオルクは追いつけていたかもしれない。

 だが鴉軍は、まるで(かど)を切り落とすように、隊列の端を突きぬけ、駆け去っていた。ほとんど速度を落とす事無しにだ。

 右翼と左翼が、瞬く間に良い様にあしらわれてしまった。崩壊には至っていないが、犠牲は大きい。乱れた隊列を立て直すのにも、時が必要だろう。

 それほど長い時間ではないだろうが、鴉軍にとっては十分な時間であるはずだ。

 騎兵が、ゲオルクが時間を稼ぐしかない。これ以上、好きに蹂躙されないためには、それしかない。

 それにしてもだ。騎馬同士で駆け合っていたときの動きは、今にして思えば、あえて見せられていたのだ。動きも、あえて読まされていた。

 鴉軍を、昌国君を読み切ったと思ったとき、真の実力を現して、まず歩兵を蹂躙した。

 結局、掌の上で踊らされていたに過ぎなかったのだ。

 あるいは、まだ手の内は見せ切っていないのかもしれない。なぜなら我が軍は、まだ崩壊していないからだ。

 手の内を見切った。こちらにそう思わせておいて、裏切る。何度もそうしてこちらを振り回し、弱らせる。そして、一分の不安も無く、殲滅させられると確信を得たとき、本当に全力で我らを殲滅するのではないか。

 疑心暗鬼が頭をもたげてくる。鴉軍の動き全てが、何らかの罠ではないかと思う。一つの意図が読めても、そう思わせる事が目的の、誘いではないかと思ってしまう。

 分からない。何が、真実なのだ。

 追った。馬鹿の様に、ただ鴉軍の後を追いまわした。

 ここで踏み込めば、一撃くらいは与えられるかもしれない。この動きは、こちらの反応を確かめているのかもしれない。そう思っても、何も動けなかった。

 しくじれば、負ける。一矢報いる事すら叶わず、ただ荒野に屍の山を晒す事になる、無様な負けだ。

 喉の奥に、酸い物が込み上げてきて、嘔吐(えず)きかけた。無理矢理に呑みこむ。

 無様と言うなら、今の自分の有様こそ、無様以外の何ものでもない。ならば、このまま無様な敗北を喫するのも、仕方のない事か。

 勝てないのか。やはり、昌国君に勝つ事などできないのか。そうだろう。あれは、当代最高の武人と謳われた男だ。誰も勝てないから、当代最高なのだ。

 その速さも。強さも。高潔さも。どれほど追い掛けても、決して追い付けなかった。何一つ勝てるところが無いのに、戦で勝とうなどとは、馬鹿げた思い上がりだった。

 結局自分は、昌国君の敵にすらなれなかったのか。ただ蹴散らされるだけの、小石に過ぎなかったのか。

 昌国君は、自分を見もしないだろう。討ち果たされたとしても、雑兵と同列で、その名を覚える事もされないのだろう。

 その背が、鴉軍の背中が、遠くなっていく。

 ぶつかった。歩兵の中央に、正面から鴉軍がぶつかった。

 全身の血が逆流する。憤怒が、体の中を暴れ回った。

 確かに自分は取るに足らない小石かもしれない。だがその自分が四年半戦い続け、心血を注いで築き上げた対騎兵戦術を、いくら鴉軍とはいえ、正面から蹂躙しようというのか。

 それも、いつかのように数も少なければ、兵も疲れている状態ではない。万全を期して待ち構えているゲオルク軍歩兵を、正面から踏みつぶそうというのか。踏みつぶせると思っているのか。

 許さない。自らの誇りに掛けて、そんな事は許さない。例え昌国君であろうと、俺の四年半を簡単に蹴散らす事など、断じて認めない。


「潰せ!」


 馬腹を蹴った。思い知らせてやる。小石の意地を見せてやる。

 歩兵は、押し込まれていた。長槍を並べた槍衾(やりぶすま)で騎兵を正面から受けるという、対騎兵戦術の基本は崩れていない。

 兵力比だ。鴉軍は、戦列の一点に攻撃を集中してきている。ぶつかっている一点だけを見れば、鴉軍を止めきるには兵力が足りない。

 このままでは突き破られる。そう思ったとき、歩兵が動いた。まず赤隊が動き。次いで他の部隊も動き出す。

 歩兵が、中央へ集まった。陣形の横幅が短くなり、中央が厚くなる。それでもまだ、鴉軍の押す力に抗しきれず、じりじりと後退を余儀なくされている。

 それでも、今すぐに突破される、という危うさは消えた。


「やってくれるじゃないか」


 ゴットフリートは、良い時に赤隊を動かしてくれた。あのまま突破されていたら、もうどうしようもなくなっていただろう。ゲオルクも、自棄になって鴉軍に斬り込むくらいしか、できなくなっていたはずだ。

 ここで歩兵が踏みとどまった事で、まだ戦は続けられる。それどころか、二度と無い機会が訪れたのかもしれない。

 勝負を掛けるべき時が来たと思った。

 ゲオルクの思いをくみ取った様に、歩兵も動いた。押し込まれる中央に対して、大きな犠牲を出しながらも立て直した左右両翼が、前に出る。

 三方から鴉軍を包み込む形ができつつある。だが、鴉軍は脇目も振らずに中央を押し続けている。

 中央こそが急所だと、見抜かれている。中央の歩兵さえ粉砕してしまえば、ゲオルク軍にはもはや、鴉軍を討てる可能性は無い。

 弱った左右など、いつでも突破して離脱できる、という自信もあるのだろうが、鴉軍も間違いなく勝負を掛けている。

 ゲオルクは待った。今すぐ突っ込みたい衝動を抑えて、待った。突っ込むのが早すぎれば、また鴉軍はさらりと攻撃を躱して逃れてしまう。

 突撃から逃れようの無い包囲が完成したとき、突っ込む。だが僅かでも遅ければ、左右どちらかを突破して、やはり逃げられる。

 そもそも、それまで中央が持ちこたえられるかどうか、賭けだ。

 信じるしかない。ゴットフリートを。兵達を。これまで自分と共に戦ってきた、戦友達を。

 包囲の輪が、狭まっていく。輪と言うよりも、鴉軍が細長い袋の中に入り込む様な形に近くなっている。中央が下がり続けているので、自然とそうなるのだ。

 見ていて冷や冷やする。しかし、ただ押されて下がっているのではない。ある程度自分から下がる事で、突破されるのを防いでいる。

 だが下がる事は、相手に勢いを与えかねない両刃の剣だ。下手に鴉軍を勢いづかせれば、おそらく止められまい。

 そのぎりぎりのところで、歩兵は戦っている。ゲオルクはそれを、今は見ているしかない。

 歯は、とっくに食い縛りっぱなしだ。自分を抑え込むために食い縛り。悔しさを噛みしめて食い縛り。恐怖に耐えて食い縛っている。

 口の中に唾が溜まったと思った。呑みこもうとしたが、上手く呑みこめない。吐いた。血だった。歯を食い縛りすぎて、口の中がズタズタになっていた。

 潮合が、そろそろ極まる。あとは、いつ突っ込むかという自分の判断だけだ。全神経を鴉軍の動きに集中した。

 鴉軍は、当然の事として背中を向けている。それが、気に入らなかった。こっちを見ろ。俺を見ろ。こっちを、向かせてやる。


突撃(ロース)!」


 頭上に掲げた剣を、正面に突き出した。駆け出す。鴉軍の黒い背が、急速に近づいてくる。だが、お前らに用は無い。俺が会いたいのは、昌国君だけだ。

 景色が、白く飛んだ。真っ白な世界に、敵と味方だけがいる。

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