昌国君討滅作戦1
一千年の歴史を持つ蒼州の名門、七騎士家。
初め、そのほとんどが蒼州公派に属していた彼らも、今はすでに総督府に恭順を誓っている。
だが、だからと言って蒼州公派への思いをすぐに捨てられるほど、人の心は単純ではないらしい。あるいは、これも彼らの生き残り戦略の内なのか。
理由は定かではない。だが事実は一つだ。
七騎士家内部の反総督府過激派が騎士家から離脱し、独自の勢力として行動を始めた。
これは蒼州公派の残党を、大きく勢いづかせる事となった。未だ各地の諸侯の中には、蒼州公派を支持する思いが根強く残っている事を証明したのが一つ。
もう一つは、まともな指導者を失っていた残党が、新たな指導者を得たという事だ。騎士家出身者ならば、指導者としての能力、実績、そして名声までも不足は無い。
これまでの感情的、短絡的なテロ行為は、急速に鳴りを潜めた。無論それは、軍事的合理性のある、反総督府行動への準備に重心が移ったという事に他ならない。
総督府も、この事態には強い危機感を覚えたらしい。一時は沈静化していた、蒼州公派残党への狩り出し、弾圧が再燃した。
それは、ゲオルク軍が危険分子として認定される、という事でもあった。
実際、総督府では戦の準備を進めており、この情況で本格的な戦を仕掛ける相手と言えば、まずゲオルク軍であろうと思うしかなかった。
今のゲオルク軍としては、こちらからあえて総督府と争う理由は何も無い。しかし、それで戦争が回避できない事は、知りすぎる程に良く知っていた。
「総督府と、一戦構えるしかないのか」
疲れたように重く、ゲオルクはつぶやいた。
一度や二度ならば、勝つ事もできるだろう。しかし、傭兵料で軍を維持しているゲオルク軍に、自前の兵站と言えるようなものは、無いに等しい。
報酬の得られない戦を続けていれば、早晩戦力が枯渇するのは、目に見えている。
それでなくとも、総督府が各地の諸侯に動員を掛ければ、その戦力差は圧倒的だ。総合力を比べれば、万に一つも勝ち目など無い。
勝ち目の無い戦など避けるべきだが、向こうがこちらを危険分子と見なして、殲滅を意図している以上、戦を避けようがない。
交渉で殲滅の意図を撤回させようにも、伝手も窓口も無いのだ。交渉すらできない。
そもそも、多分に感情的なものを交えている今の総督府に、まともな交渉が通用するかどうかは怪しい。
黙って殺されるか、戦って死ぬか。そんな二択を突きつけられている。第三の道を探ってはいるが、そう簡単に見つかる訳もなかった。
「ダムの一件に関わったのは、失敗でしたかね」
ゴットフリートが、苦い思いを込めて言う。
「大して変わらぬさ。我らを雇おうという相手と仕事は、みんな同じような類だった。程度問題に過ぎん。ならば、この情況も早いか遅いかの違いしかなかっただろう」
選択肢など、あるようでなかった、としか思えない。どこで何を選んでも、些末な違いだけで、結局同じ所にたどり着いていた、と言う気がする。
今は過去を悔やむより、善後策を練らなければならない。
「団長。反総督府勢力からの使者が訪ねて参りました」
「来たか。やはり、来てしまったか」
彼らが反総督府の戦を起こすとなれば、当然ゲオルク軍にも協力を要請するだろう。予想というより、確信していた事だ。
できれば、我らを巻き込むなと追い返してしまいたい。しかし、使者が訪ねてきた時点で、すでに巻き込まれている。
総督府がこの事実を知れば当然、連合を組んだものと思うだろう。そして使者が訪ねてきた事実は、隠し様がない。
むしろ向こうも、使者の訪問が総督府に知られる事を狙って、堂々と訪れたのだろう。いやがおうにもゲオルク軍を巻き込むつもりだ。
その意図が無かったとしても、すでに総督府に敵と目されている以上、反総督府勢力と組むしかない。単独で抵抗して勝ち目がない以上、味方は必要不可欠だ。
使者と面会した。内容は、まあ予想通りだ。置かれている現状を述べ。連合を組む事の利益を説き。蒼州公派のイデオロギーで締める。弁舌はなかなか巧みな方だろう。
「御使者の御高説、一々ごもっとも。しかし現実問題として、総督府に勝てますかな。我らも、泥船には同乗したくない。総督府を討つ、策の一つも示していただきたい」
「まことに申し訳ないが、軍事的機密に属する事柄は、御味方いただくと確約が得られぬ限りは話せませぬ。ですがあえて述べるなら、速戦即決によって敵の中枢を叩く所存」
自分達の計画を、自慢げにべらべら話す迂闊な使者でも無い様だ。使者が優れているという事は、それだけ人材に恵まれているのだろう。
速戦即決で敵の中枢を叩く、と言うのも、この情況で総督府に勝つ方法を求めようと思えば、それ以外にはありえない。
重要な情報は秘めながら絶妙に、誠実に腹を割って話している、という印象を与えてくる。
「とにかくこの件に関しては、配下の者達とも協議して決めたいと思う。返答はまた後日という事で」
使者の方も、今回は無理には押してこず、あっさりと退き下がった。
どのみち答えは決まっている、と言う余裕があるのかもしれない。
「さて、どうしたものかな」
どうしたものかなと言っても、誰も黙して応えない。連合を蹴ったところで、その後の展望など無いのだ。
「団長。州都に潜入させた密偵から、緊急の報告が上がっています」
「何事だ」
「どうやら総督府は、昌国君を呼び出すようです。召喚の使者が、北に向けて発ったと」
「間違いない事か。間違いなく、昌国君を呼び出したのか?」
「末端の役人達の間では、そう言われているようです」
昨年末、蒼州公家を完全に滅ぼした事で役目を終えた昌国君こと朱耶克譲伯爵は、一部の軍勢を残して、北の変州の領地へ帰った。
総督府としては、他の州の諸侯である昌国君にあまり頼る事は、恥であるはずだ。制度上、命令を出せる立場に無いため、どうしても頭を下げて頼みこむという形になる。帝都で権力を握っているという、アウストロ一門の不興も買うだろう。
それでも昌国君を再び召喚するという事は、総督府は本気で反総督府勢力と、ゲオルク軍を叩き潰すつもりだ。
「昌国君か。やはり、決着を着けなければならないのだな」
昌国君の名を聞いたとき、ゲオルクの胸に、様々な思いが去来した。言葉にできないような、雑多な思いが複雑に絡み合っている。
あえて言葉にするのならこれは、愛憎、なのだろうか。
愛している。同時に、憎んでいる。優れた武人として敬意を払っている。同時に、だからこそこの手で討ち取りたいと思っている。なにか清冽なものを感じる。同時に、だからこそ汚してしまいたい衝動がある。
どれだけ言葉を重ねても、思いの半分も表現できたという気がしない。
「決めたぞ、皆。初めから決まっていたようなものだが、決めた」
「決めましたか」
「ああ。我らは反総督府勢力と連合を組む。そして、昌国君を討つ」
「昌国君を」
「連中が何と言おうと、我らの敵は昌国君ただ一人だ。他の雑魚など相手にはしない。私の全て。我が軍の全てを振り絞って、昌国君を討つ。その先の事など知らん。知らんが、活路があるとしたら、そこしかないだろうと思う」
震えが、体の底から湧き上がってきた。恐怖か。歓喜か。とにかく、震えている。
「我ら全員、昌国君に討たれて死ぬかもしれん。むしろ、そうなる可能性の方が、よっぽど高いだろう。それが嫌だという者は、今のうちに逃げる事だ」
「今更ですよ、団長。我らはいつでもどこでも、団長と共に戦ってきました。ゲオルク軍として戦える事を、誇りに思ってきました。逃げる者などおりません。相手が昌国君とあらば、なおさらです」
「そうか。ならば、連合の使者を出せ。そして、対昌国君の調練だ。死ぬほど厳しくやるぞ。戦の前に死なないよう、気合を入れろ」
反総督府勢力の下へ、連合受諾の使者を出した。同時に、ゲオルク軍は昌国君のみを相手にするという事も伝えさせた。
向こうは多少面食らった様だが、昌国君対策は、ゲオルク軍に一任すると伝えてきた。
反総督府勢力は、州都への直接攻撃を試みるという。それによって、総督府軍はそちらに誘引される。
誰にも邪魔される事無く、昌国君とゲオルク軍で戦い抜く事ができるという訳だ。
州都直接攻撃の具体的な戦術に関しては、聞かなかった。今更聞いても仕方がない事であるし、それ以上に、昌国君を相手にすると決めてから、他の事などどうでもよくなった。
唯一、州都攻撃のために動員した兵力が、およそ二千だという事を聞いた。
それだけの兵力を動員できるとは、離脱したとは言え流石騎士家の出身と言うべきか。名声も、実務能力も優れている。
それだけの兵力があれば、敵はこちらに余計な兵力を回してくる余裕はないはずだ。本当に、昌国君だけを相手にできる。
昌国君相手に、待ち伏せ奇襲など不可能だ。行く手を遮り、堂々と会戦を挑む。それが最も良い。下手な小細工など、逆手に取られるだけだ。
召喚された昌国君は、ます州都に出頭して正式に命令を受けるはずだ。緊急時にはその様な手順は無視する事は、フリードリヒ公が討たれた反乱事件からも分かる。だが緊急性が無い限りは、規則通りの手順は重視する人物だ。
そういう昌国君なら、理由なく街道を外れたりはしない。大街道沿いで待てば、必ず会える。
バーデン郡の郡都アシャッフェンブルクの近郊で待ち構えた。北に三日も進めば、イエーガー男爵家の領内だ。
三日と言うのは、歩兵の通常の行軍で三日だ。鴉軍のみならば、一日で駆け抜けても不思議はない。
だから、昌国君の居所を探る斥候などは出さなかった。斥候は前方1.5㎞まで。昌国君が現れた事を確かめるためだ。
あまり速く捉えようとしても、無駄だろう。鴉軍は、下手をすれば斥候より速い。
歩兵は密集隊形の横陣。騎兵はその背後に位置して、昌国君が現れるのを待つ。歩兵は一千五十。騎兵は七十騎。それが今のゲオルク軍だ。
調練を重ね、歩兵は味方が通るときは道を開け、素早く元の位置に戻って、敵は通さない動きができるようにした。敵にとってのみ、壁として機能する。
それがどれほど効果を発揮するかは分からないが、考え得る限りの事を考え、打てるだけの手を打った。これ以上の事は、思いつかない。
それでも、勝てるという気はしなかった。ただ、食い下がれるだけ食い下がってやろう、という思いがあるだけだ。
「昌国君は、来るでしょうか」
「余計な事を考えるのは、気が乱れている証拠だぞ。ゴットフリート」
「申し訳ありません。流石に、落ち着いてはいられなくて」
「無理もないが、冷静さは失うな。相手は昌国君だ、戦が始まったら、各隊がその場で判断して動くしかない。事前の作戦など無意味な相手であるし、私も全体の指揮など執れないだろうからな」
「自分の判断で昌国君と戦うと考えると、いっそ昌国君が現れなければ、とすら思ってしまいます。団長は?」
「私か? 私は、会いたいと思っている。まるで恋する乙女の様に、昌国君に会いたいと思っている」
「当然、そうなんでしょうね。会ったら、どうします?」
「殺すさ」
さっと風が吹いた。まだ暑い日が多いが、秋の風だ。
秋は北からやってくる。昌国君も、秋と共に北からやってくる。
そんな取り留めのない事を考えていたが、やがてそれも消えた。心気が澄み切ってくる。何かを感じた。
「来たか」
前方から、斥候が駆けてくる。だがそれを見るより先に、ゲオルクは何かを感じていた。
地平線から、黒い雲が湧き上がる。それは徐々に大きくなる。いや、近づいてくる。雲が、人の形になった。
鴉軍だ。二百騎。
歓喜の思いに満たされた。同時に、恐怖に支配されもした。どちらも、風が吹き抜けるように一瞬全身を満たし、すぐに消えた。
剣の立ち合いにも似た、静かな気持ちで向かい合えた。勝敗はすでに、思慮の外にある。元々こだわってはいなかったが、勝敗も、生死も、頭から消えた。
ただ、相手を見る。見て。見切って。上回る動きをする。それができるかどうかだ。
鴉軍は、足を止める事も、馬速を緩める事もしない。まるでゲオルク軍など存在しないかのように、ただ進んでいる。
ゲオルクも歩兵の間を抜け、前に出た。歩兵は、調練の通りの動きを見せている。ゲオルク軍は通すが、敵に対しては隙のない槍衾だ。
まずは騎兵同士のぶつかり合いになる。歩兵には、動くなと命じてある。と言っても、始めから終わりまで動かないという事ではない。
初めは動かず、各隊長が動くべき機が来たと思ったとき、初めて動く。
昌国君相手に、どんな作戦も通用しない。少なくとも、ゲオルクらが立てられる程度の作戦は、逆手に取られるだけだ。
その場その場で、判断を重ねていく。できれば動かず、昌国君をよく観察してから動く。
全軍がそういう訳にはいかないので、騎兵だけは最初からぶつかり合う。それが唯一、作戦と言える様なものだ。
ゲオルクは、騎馬隊の先頭を駆けた。鴉軍の先頭を、昌国君が駆けている。
自分の人生は、この日のために有ったのかもしれない。この日のために、三十二年の人生があった。昌国君は、五十に届くかどうかだろうか。
人生最高の、あるいは最後の日が始まると思った。




