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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter5・ワルプルギスの夜の宴
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ダム防衛3

 敵の船団が、すぐそばまで迫っている。


「あれに上陸されたら、間違いなく壊滅するぞ。追い立てられた先に、銃兵が待ち伏せているのがオチだ。そうなる前に逃げろ!」

「退却!」


 もはや、恥も外聞もかなぐり捨てての逃亡だった。ゲオルクはそれを、冷めた目で見ていた。

 ともかく、彼らを無事に逃がせば目的は達せられる。あとは、自分達が逃げる算段をするだけだ。

 逃げる残党軍を途中まで護衛し、十分と判断したところで戦場に舞い戻った。

 戻ってみて、違和感を覚えた。船団の敵兵が、上陸していない。ダムを占拠していた部隊が逃げたからだろうか。しかし、それならなおの事、水上戦力は働き所が無いはずだ。

 何か液体を、船から川に流していた。水面の照り返しがおかしい。

 油を流していると気付いて、肌が粟立った。


「潜水部隊を呼び戻せ!」


 叫んだが、水中に伝える方法が無い。

 火が放たれた。川が、燃える。

 小舟が、燃える油膜の無い所に移動し、魚でも突くように水面を突き始めた。魚よりずっと大きいものが、次々と浮かんでくる。


「くそっ」


 ただ見ているしかできなかった。騎兵は、弓矢を持っていない。弓矢を備えた歩兵は、総督府軍の猛攻にさらされて、動く事ができない。

 潜水部隊は切り捨てるしかない。四十人にも満たない数だ。大きな打撃ではない。そう自分に言い聞かせた。

 歩兵は、守りを固めて耐えている。少しずつでも下がりたいところだろうが、崩されないためには、その場に踏み止まるしかない、という情況だ。

 介入する。敵歩兵の戦列へ、矢のように突き進む。すぐに、騎兵が妨害してきた。そのまま駆け合いに持ち込む。

 騎兵を引き付けただけでも、相当楽になるはずだ。

 しかし、シュピッツァー軍の猟兵(イェーガー)という、厄介な相手がいる。銃兵は密集隊形の天敵と言って良い。

 猟兵(イェーガー)が現れたらすぐに追い散らせるように、深入りしないように気を使いながら駆け合いを続ける。

 こちらが深く踏み込んで行かないので、敵騎兵はたびたび歩兵の方を狙う動きを見せる。こちらとしては、それを遮るように動くしかない。

 防戦一方。主導権を奪われ、振り回されている。数で劣るこちらには、苦しい情況だ。

 歩兵と合流した。歩兵だけ、騎兵だけで戦い続けても、ジリ貧だ。不利な情況で一つにまとまる危険はあるが、敵の思い通りに動いていては、勝ち目はない。

 あえて不利に飛び込んででも、敵の予想を裏切る。賭けだが、賭けないままじわじわと負けていくよりは良い。


「団長。このままでは振りきれません」


 ゴットフリートが言う。


「分かっている。ダムだ。あそこまでなんとしても耐えながら退け」

「俺が連中に一撃加えますので、その隙に下がってください」

「無駄だ。あれは破れん。破られない事に重きを置いた陣を敷いている。ゆっくりと締め上げる気だ」


 ゴットフリートが黙り込む。聞こえはしないが、奥歯を音が鳴るほどに噛みしめた事は分かった。


「根競べだ。向こうも、こっちが自棄になって突撃した方が、ずっと楽なのだ」

「分かっています。耐えられるだけ、耐えます」

「それでいい」


 互いに歩騎混成の軍。こうなると、数の差が大きくものを言う。動きで翻弄するという事が出来ないし、陣形の優劣を競うという段階は、とうに過ぎている。

 加えてゲオルク軍は、姿を見せずどこかから隙を狙っている猟兵(イェーガー)も警戒しなければならない。側背の脅威の有無は、大きい。


猟兵(イェーガー)は、姿を見せないな」


 こちらも警戒をしている。銃兵なので接近戦ができないなどの事はあっても、その気になればもっと積極的に攻撃してくることは可能なはずだ。

 この場合、それができない理由は思い当たらないので、単純にリスクを負ってまで積極攻勢をしたくない、という事だろう。あくまで義理の出兵、という事か。

 あるいは、完全に一方的な情況にならない限り、動くつもりが無いのか。ダム防衛に当たっていた残党軍への攻撃は、完全に一方的な攻撃だった。

 戦と言うよりも、狩りだ。確実に獲物を仕留められる情況でのみ動く。そういう腹積もりなのかもしれない。

 どちらにせよ、攻撃が無いのはありがたい事だ。だが警戒は怠れないし、こちらが弱れば見逃す事はないだろう。敵に救われた、と言うには足りない。

 敵に救われたというなら、船団の兵が上陸してこないのが救いだ。川に火を放ったので、手近なところに上陸してこちらの背後を襲う、という事が出来ないでいる。

 上陸しても五十に満たないだろうが、後ずさる方向の小石一つが、致命傷になる事もある。

 敵の騎兵と歩兵の一部が、前に出てきた。こちらを包囲しようという動きだ。

 騎兵で突っ込めば、前に出てくる歩兵の隊列を、容易く突っ切る事ができる。多分、それを誘っている。

 突っ切ったところで、敵の騎兵が待ち構えている。そんなところだろう。まず騎兵を討ってしまえば、歩兵のみならどうとでもできる。そんな考えだ。

 下がりながら歩兵を横に広げた。これで包囲はできない。陣が薄くなったと見て、迂闊に突っ込んでくれば、それこそ騎兵の餌食にしてやれる。

 流石に敵もその愚は冒さず、進みながら隊列を整え直した。


「そろそろダムだ。ダムまで近づいたら一隊を送り、水門を全開にしろ」

「決壊させる?」

「そうだ。今の水量ならまだ、州都は多少浸水する程度で済むだろう。騎馬隊は、敵を引き付ける」


 再び歩兵と別れ、敵に正面から突っかけると見せて、直前で反転する。狙い通り、敵の騎兵も出てきた。

 猟兵(イェーガー)がどう出るか気にかかる所だが、気に掛けている余裕はない。全力で駆け合いをする。相手に、余計な事を考える余裕を与えない。

 そうでなければこちらの狙いを読まれ、妨害される。もし失敗すれば、大きな犠牲を出す事を覚悟しなければならない。

 駆け合いは、長くは続かなかった。あるいは長かったのかもしれないが、ゲオルクにはあっという間の事としか感じられなかった。

 低い地鳴り。自身の様に、地が微かに揺れている。水音は、水音とは思えない、何か凶悪な響きとして聞こえた。

 一段高くなっている場所へ駆け上がる。解き放たれた膨大な水が、川から(あふ)れ、辺り一面に広がっていく。

 船団は下流へ押し流されて行った。敵の歩兵も、算を乱して退いて行く。呑みこまれるほどのものではないが、それでも恐怖は大きいだろう。高台から見ているゲオルクでさえ、震えを抑えられなかった。


「よし、退却の鉦を鳴らせ」


 溢れ出た水に因り、辺り一面は泥濘と化している。重量のある騎兵は、歩兵以上に動きを制限される。しばらくこの一帯では、騎兵は使えない。猟兵(イェーガー)もだ。

 騎兵の追撃が無ければ、十分に逃げ切れる。


「団長、あれを!」


 兵が指差す先には、人が打ち上げられていた。まさに打ち上げられたという感じで、ほとんど動かない。しかし中には、僅かに動いている者もいる。

 潜水部隊の兵に間違いなかった。すぐに、まだ息のある者を探す。


「団長! デモフェイ殿が!」

「生きていたか!」


 泥水を蹴散らして、駆け寄った。息を呑む。デモフェイの肩の下あたりに、穴が開いている。


「デモフェイ!」

「団長」


 肌が青白く、抱き起すと体が冷たかった。


「まるで魚の様だぞ」

「魚か。そりゃあいい。魚に生まれ変わったら、漁師の網を潜り抜けて、嘲笑ってやります」

「お前なら、川の主になれるだろうよ。煮ても焼いても食えない、大主だ」

「俺は、ずっと漁師をやっていられれば、それで幸せでした」


 目の焦点が、すでに合っていなかった。


「でも、団長達と一緒に戦をやるのも、悪くは無かったです。楽しかった」


 デモフェイが目を閉じる。呼吸がか細くなっていく。唇が、僅かに動いた。


「なんだ?」

「カニ漁の籠、仕掛けねえと」


 糸が切れた様に、デモフェイの体から力が抜けて行った。


「水葬にしてやれ」


 全ての亡骸を弔ってやる時間は無い。それでもデモフェイだけは、そうしてやりたかった。

 川の底で、カニの餌になるのだろう。


 終わってみれば、双方共にそれ程の被害を出した訳でもない戦だった。

 州都フリートベルクは、二万戸が床下浸水する騒ぎになったが、死者は出なかったらしい。

 ゲオルク軍も、戦死や退役に因る欠員は、補充でほぼ埋められる程度の犠牲で済んだ。

 ただ潜水部隊だけは、四人生きて戻っただけだ。犠牲のほとんどが、潜水部隊の戦死者だ。

 報酬の取り立ては万全だった。流石に初めに提示された額通りとはいかないが、八割方は引き出せる見通しだ。

 収支で言えばプラス。失った物よりも、得た物の方が多い。軍の運営と言う観点から見ればだ。

 替えの利かない大きなものを失った。そういう思いに囚われるのは、何度目だろうか。

 夕日の赤さが、酷く物悲しく思える。秋が、もうすぐそこまで来ていた。


「団長」


 後ろから声を掛けられた。


「ゴットフリートか。どうした。何かあったか?」

「いえ、何も無いのですが、お背中を見ていたら、思わず声を掛けていました」

「そうか、まあいい」


 自分の背中は、そんなに悲哀を感じさせたのだろうか。昔は、戦友が何人倒れても、前を向いて戦えていた。喪失感に問わられるなど、いつからだろうか。


「老いたのかな」

「御冗談を。団長はまだ、三十代を折り返してもおられません」


 確かに、肉体的にはまだ現役だ。十年前に比べれば衰えたとは言え、老兵扱いされるような歳でもない。

 精神的な部分が老いた。あるいは、疲れたというべきか。戦の最中は気が(みなぎ)っていても、戦の後になると、疲労感が強い。

 これが、誰でもそうなる事なのか。それとも自分だけに起きている事なのか。こういうとき、ディアナ・ワールブルクの様な、頼れる年長者がいれば良いと思う。


「ゴットフリート。たまには稽古を着けてやろう」

「団長。私ももう、子供ではないのですよ。立場というものもあります」

「そういう小生意気な物言いが、気に入らん。たまには、己の未熟さを思い知れ」

「参ったな」


 困ったように笑いながらも、ゴットフリートは調練用の木剣を持ってくる。

 打ち合った。初めは渋々付き合っていたゴットフリートも、こちらが本気で打ちこんでいると分かると、だんだんと本気を出してきた。

 ゴットフリートがようやく本気を出したので、こちらも本気を出す。今までは、本気の様に思えるだけだ。

 本気の打ち合い。気は充実している。体も、二十代前半の体力は無い分、技の切れはある。読み合い、駆け引きもできる。勘も冴えている。

 ゴットフリートの剣を弾き飛ばし、これでもかと言うほど強烈に打ち据えた。ゴットフリートが一瞬絶息する。


「部隊指揮にかまけるあまり、鈍ったのではないか?」

「ひでぇや」

「なんとでも言うがいい。ただし、勝ってからな」


 片付けておけ。そういうつもりで、木剣をゴットフリートへ放った。

 疲れは無い。ただ、心地良さだけがある。

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