調査遠征2
不審集団が潜伏しているとされるのは、フリート郡の中央に位置する郡都プラークから、南西に少し行った一帯だ。
川の合流地帯な上、合流する川がどちらも流れの激しい川で、度々堤を破って洪水を起こす危険地帯だという事だ。
そのため、かなり広い地域が開拓もなされず、荒地のまま放置せざるを得ない情況にある。
「こういう、地方の窮状は、都の人間の耳には届くまい」
フリート郡は盆地のため、農地を広げる事もままならない。ただでさえそうであるのに、さらに洪水で使える土地が限定される。それは当然、貧しさとなって返ってくる。
治水が放置されているという訳では無い様だ。多分、他所の土地と同じくらいは治水事業に充てる予算があるのだろう。
しかしこの土地の水害は、他所と同じ程度の治水では、到底防ぎきる事が出来ない。特別に予算を充てて、大規模な治水をしなければ、この土地はいつまでも貧しいままだ。
だが、そういう地方の現状と、多額の予算を投じる必要性を、遥か遠方の貴人達が知っているのか。知っていたとして、必要性を理解するのか。
今すでに貧しい暮らしに喘いでいる土地の民衆や領主には、自前でその様な大規模工事を行う力はない。どうしても、上からの支援が必要だ。
だが全てを中央に集約する国の在り方では、中央の事情が優先されるのが当然だ。
結果、いつまで経っても彼らは救われない。
「そんな世の在り方を変えたかった。その思いが、全ての始まりだったな」
ゲオルクはそう独り言ちて、天を仰いだ。まだ残暑は残るが、流れる雲はすでに秋だ。
暢気なものだが、緊張感を保っていられないくらい、何も無かった。決壊したという堤防は作り直されているが、廃村を立て直そうという者は誰もいないらしい。人っ子一人いない廃墟が、ただあるだけだった。
いや、厳密には何も無いという訳ではない。まだ新しい、地面を掘り返した痕や、廃材などを動かした形跡はある。しかしこれだけでは、廃墟を片付けたり、使える木材を持って行っただけかも知れず、不審と断定する事は出来ない。
「もっと奥の廃村へ行ってみよう」
洪水の被害を受けて放棄された地域は広い。食糧の持参さえあれば、数百の軍勢が潜伏する事も不可能ではない。
その読みは当たり、六つ目の廃村で、軍勢が駐屯した形跡を発見した。石を組んだかまどなどが残っている。
「結構な大人数だった様だな」
「かまどの数から推測するに、三、四百はいたと思われます」
やはり、この辺りに不審な軍勢が潜伏している事は事実のようだ。問題はどこの何者で、何を目的としているかだ。
「今日はここで野営しよう」
軍勢の存在は確認できたが、足取りの手掛かりはない。どこへ向かったのか分からない以上、急いで追う事も出来ない。
残されたかまどや寝床を利用させてもらい、ここを拠点に周囲の探索をしようと考えた。陣幕を張り、野営をする。
翌早朝、日の出前に目が覚めた。外で見張りの兵が叫んでいる。跳ね起き、剣を手に陣幕の外へ出た。
「何事だ」
「付近に曲者が。見張りが問いただしたところ逃げましたので、今追っております」
払暁にわざわざ陣地のそばをうろつき、見咎められて逃げるというのはただ者ではあるまい。あるいは、不審集団の斥候かも知れない。
「その者がいた辺りに、不審な様子は?」
「現在調査中です」
しばらくして、逃げた不審者を追っていた見張りが戻ってきた。取り逃がしたという。
「申し訳ありません。地の利があるようで、振り切られてしまいました」
「致し方あるまい。もうすぐ夜が明ける。明るくなったら、付近を詳しく調査する様に」
「はっ」
それからいくらも待たないうちに、辺りが薄明るくなってきた。
轟音。大地が揺れた。一瞬地震かと思ったが、全く違う揺れだ。
「団長、火が、火が!」
駆けこんできた兵の言う事も、慌て過ぎていて要領を得ない。自らの目で、何が起きているのか確かめた。
火に囲まれている。ゲオルク軍全体を囲むように、廃墟が炎上していた。
「この臭い……火薬か」
硫黄・煙硝の臭い。直前まで火の気もなかったのに、これだけの大火になっている事と合わせて、火薬が仕込まれていた事は明白だ。
だが、火薬が仕込まれていたのなら、臭いで分かるか、周辺を調査したときに、何かしら引っ掛かるはずだ。今まで全く気付かなかったというのはおかしい。
「埋め火か」
火薬を満載した箱を、地中に埋めて隠し、臭いも漏れないようにしていたのだろう。先程の不審者は、着火役だった可能性が高い。
ともかく、急いでこの場を離れなければ、焼け死ぬ。
「ゲオルク殿!」
「テオ。情況はどうなっている」
「どこも火勢が強く、突破は不可能です。しかし、一ヶ所だけ火の手が無い所が」
「あからさまに罠だな」
「そう思いますが、そこを突破するしかありません」
「ならばすぐに行動しろ。足元に火薬を仕掛けなかった事を、後悔させてやれ」
ゲオルク軍は武器装備と最低限の携行品だけを持ち、一丸となって火の手の無い場所に突撃した。
微かな唸り。すぐにそれは大きくなり、矢の雨が降ってきた。予想していた事だ。ゲオルクは降り注ぐ矢を切り払ったが、周囲の兵は何人か射倒される。
「待ち伏せです。あれは……レイヴンズです!」
飛び出してきたゲオルク軍を半円状に包囲しているのは、紛う事無きレイヴンズだ。兵力は見たところ八百。
やけに遠くに布陣していると思ったが、弩を主兵装にして、遠距離から一方的な射撃を浴びせてくる。こちらには、撃ち合いができるだけの弩は無い。
「いかん、これでは的だ」
唯一の出口から脱出するしかないゲオルク軍は、密集している。距離が遠くなれば命中率も下がるが、こう密集していれば誰かには当たる。
「一度、遮蔽物の影に潜め!」
そう叫んだ途端、砲声が鳴り響いた。付近の廃屋が吹き飛ぶ。
「ご丁寧に、大砲まで持ち出しやがったか」
石弾が飛んできたところで、人に当たる物ではない。しかし砕けた廃材などが飛び散るのは、十分に殺傷力がある。至近距離で受ければ、体を貫通して死ぬ事もあるだろう。
身を晒せば矢を受け、隠れれば砲撃。前に進めば敵に囲まれ、後ろに下がれば炎と煙で死ぬ。
「始めから、ここに我らをおびき寄せて、全滅させるのが狙いか」
今までの扱いを見ていれば、決戦直前に別行動する役目は、ゲオルク軍に回ってくる可能性が高い、という事は予想できる。
もしゲオルク軍でなかったとしても、一軍を罠に嵌めて被害無く殲滅できるのなら、戦果としては十分すぎるほどだ。
「くそっ、何か手は無いのか。このままではなぶり殺しだぞ!」
いくら怒鳴り散らしても、妙案は浮かばない。絶え間なく降り注ぐ矢を払うのに精一杯で、考える余裕も無い。そうこうしているうちに、こちらまで煙が流れてきた。
「ゲオルク殿。ゲオルク殿だけでも落ち延びてください!」
テオが血走った眼で訴えてくる。
「馬鹿を言え。私一人落ち延びたところで、何の意味がある。団の再建さえままならぬわ!」
今更自分一人落ち延びたところで、できる事はもう何も無い。ならばここで、長く一緒に戦った者達と共に散るのも良い。そう思い始めた。
空気が震えた。初め、それが何であるか分からなかった。レイヴンズも何事かと思ったらしく、矢の雨が止まった。
人の声。それも、数千か、それ以上の声だ。声が揃っていないため、良く聞き取れずに大気の震えとしてだけ感じる。
丘の稜線の向こうから、軍勢が現れた。遠目にも、粗末な武装をした雑兵だと分かる。それが、丘の向こうから次々と現れる。
軍勢は数百になり、数千になり、一万を超えたと思われる。それでもまだまだ現れる。
「一体、どれだけいるんだ」
一万を大きく超える軍勢など、ユウキ合戦の際にユウキ公爵を中心とした連合軍が揃えて以来の大軍勢だ。
レイヴンズが明らかに動揺していた。彼らの味方と言う訳ではないらしい。
「続け!」
この機会を逃す訳にはいかなかった。敵の動揺に付け込んで、一か八か、猛然と突撃した。
レイヴンズは一戦も交えず、一目散に逃走した。あの大軍に囲まれでもしたら、万に一つも勝ち目はないと見越したのだろう。
命の危機は脱したが、まだ助かったかどうかは分からない。あの大軍勢がこちらの味方であるという保証もない。軍勢はすでに、一万や二万どころではなく、四万はいようかという大軍勢になっていた。
四万の軍勢は、布陣したまま動かない。山を見上げているような圧迫感があった。間違っても、これに挑みたいとは思えない。
軍勢から、数騎がこちらにやってきた。使者と、その伴だろう。
使者が誰であるか、はっきりと判別できる距離になった。ゲオルクは目を見開いた。馬腹を蹴って駆けだす。
「ゲオルク様、また会いましたな」
「ヴァインベルガー。お前が助けてくれたのか。しかし、この軍勢は?」
「全て私の兵ですよ。民兵ですが」
「お前の兵だと?」
単独で四万の軍勢を動員するなど、皇帝ですら難しい。
「税の一部を免除する代わりに、軍役を課すという事を始めまして。傭兵よりも信用がおけます」
そう言ってヴァインベルガーは、皮肉な笑みを浮かべた。
「今回はまあ、最大でどれほどの軍勢が動員できるか確かめる事と、その場合の運用を確かめるつもりでした。不審者の駆り出しでもして、ゲオルク様のお役に立とうと思っていましたが、思いがけない事になった様で」
「命の恩人だ。いくら礼をしても足りない。この戦果に、どう報いれば良い?」
「はてさて。戦果とはなんの事でありましょう」
「その軍勢で敵を脅し、我らの窮地を救った。戦果ではないか」
「ほほう。あれを戦果と言いますか。しかし敵は戦いもせずに逃げたので、討ち取った首の一つも無く、戦果とは言えませんな。ですので、恩賞も辞退申し上げる」
礼は要らぬ。そう惚けた様だが、それだけではない。
ヴァインベルガーは、戦わずに勝った。それを、敵兵の一人も討ち取っていないのだから、戦果ではなく、恩賞も貰えぬという。
戦って敵を討ち果たし、それで賞を得ている軍人や、金で雇われて戦をする傭兵には、痛烈な皮肉だ。
果てしなく戦いを続ける蒼州公派と総督府派。そのどちらの愚かだと笑ったようなものだ。
「お前、皮肉がさらに痛烈になったな」
「これは酷い。私は謙虚な男ですよ」
澄ました顔でそういってのけるヴァインベルガーに、ゲオルクは敵わぬと首を振った。
「ところでゲオルク様、不審集団の調査はもう済んだ、という事でよろしいのですかな」
「そうだな。レイヴンズがいたという事は、総督府の差し金でほぼ間違いないだろうし、目的も、我らをここにおびき出した討つ事に有ったようだ」
「ならば、急いでお帰りになった方がよろしいと存じます」
「そうだな。決戦はもう始まっているかもしれんが、途中からでも間に合えば――」
「いいえ。連合軍は、すでに二度目の決戦に大敗したとの事です」
「なんだと! 確かか?」
「今朝、早馬が持ってきた情報です」
「なんて事だ。すぐに帰還する」
「お待ちください。急いでお帰りになるべきですが、備えは十分にするべきです。一度、我が屋敷に戻って休まれるとよろしい。詳しい情況も、そこで」
「……分かった。もう一度、世話になる」
ヴァインベルガーの勧めに従い、ゲオルク軍はヴァインベルガーの屋敷に戻って休息を取り、武器兵糧の備えを整えた。
その間にゲオルクは、今の情況についてヴァインベルガーの掴んでいる情報を教えてもらう。
「詳細な事はまだ分かりませんので、概要になりますが」
「贅沢は言わん。我らには今、他に情報を得る手段も無いのだからな」
「連合軍が二度目の決戦を挑んだのが、今から五日前の事です。その結果は、前にも勝る大惨敗。まあ、こんな事になるだろうと思って眺めていましたが」
条件が悪かったというのもある。しかし、大敗を喫したというからには、作戦が読まれていた可能性がある。
一度敗れたこちらが、起死回生を図って決死の反撃を試みてくる。それを予想し、待ち伏せ、罠に嵌めて完膚なきまでに叩き潰した。そういう事だろう。
「昌国君はこの機に徹底的な追撃を行い、蒼州公派の城を次々に抜いたそうです。ほとんどは、まともな戦にもならなかったようですが」
「付け入られたのだろうな」
野戦で撃破した敵が城に逃げ込むのにぴったり張り付いて、一緒に城内になだれ込むのを『付け入り』という。
おそらく昌国君は、敗走する連合軍をあえて討たずに羊のように追い立てて、次々と城を落として行ったのだろう。
「追撃戦の最中、蒼州公家の当主ユリアンも討ち取られたそうです」
「――そうか」
まだ幼かったユリアンが蒼州公家を継ぎ、大人達に担がれて旗頭となり、最後は乱戦の中で討たれたと思うと、痛ましい思いがする。
同時に、これで本来の蒼州公家の血筋は絶えてしまった。政府は今の総督に蒼州公家を継がせるとしている。もはや、それに異を唱える手段は失われてしまったのだ。
蒼州公派の正当性を示す旗が失われた。これはもう、駄目かも知れない。
「昌国君は一昨日、インゴルシュタットを陥落させて、そこで軍を止めたようです。今のところ、これが最新情報ですな」
「インゴルシュタットまで落ちたのか」
目の前が真っ暗になる思いだった。蒼州公政権の首都であるインゴルシュタットまで失陥した以上、政権中枢は息の根を止められたと言っていいだろう。偶然難を避けたゲオルク軍などは、ただの残党にすぎなくなってしまった事になる。
だが、呆然自失している場合ではない。何はともあれ、まずは生き残る事だ。ゲオルク軍の本拠砦まで戻り、留守居の者達と合流して、今後の方針を決めなければならない。
「ヴァインベルガー、傭兵団を去ったお前に、今度の事ではずいぶん助けられた。だがこれまでだ。これ以上我らと関わると、お前に迷惑が掛かる。我らはすぐにでも立とう」
「ゲオルク様達はあくまで傭兵です。雇い主が潰れたので、新たに私が雇ったという形を取ってもよろしいのですが」
「気持ちはありがたいが、かつての部下に雇われるのは、流石に情けないからな」
そう言って笑ったゲオルクに、ヴァインベルガーは例の陰惨な笑みで応えた。その暗い笑みが、酷く懐かしいものに思える。
「できればまたお会いしたいですな。ゲオルク様」
「どうだろう。戦場に身を置く身だからな」
「あなたらしい物言いだ」
別れを告げ、ゲオルクは軍勢と共にヴァインベルガー邸を後にした。
二度と会う事は無いだろう。獏とだが、そんな予感がした。




