河川陽動侵攻3
火計で敵を足止めする事が出来た。僅かだが、今は貴重な時間だ。
ある所まで退ければ、敵はそれで断念するはずだ。元々ゲオルク軍の侵攻を阻止するための部隊であり、攻め込むのに十分な兵站を備えていないはずだ。
だが敵は、後続の第三陣、及び再編を終えた第一陣が合流してきて、二千を超える軍勢となって迫ってきた。
流石に苦しい数だ。うっかり側面を取られ、二方向から攻め立てられたりすれば、総崩れにもなりかねない。
「全体の配置も変えてきたようだな」
ゲオルクが敵を遠望しながらつぶやく。
「川に近い側に重装兵。反対側に軽装兵。意図は分かりやすいですね」
テオが応える。敵に騎兵はいないが、発想としては正面に歩兵、側面に騎兵を展開する陣形と同じだ。こちらの脚が遅いので、軽装兵でも騎兵の代わりができる。
「ゲオルク殿、どういたしますか?」
「どうもこうも、耐えるしかあるまい」
川側の左翼に緑隊と白隊、最右翼に青隊を展開して迎え撃った。経験の浅い緑隊や、指揮に一歩劣る白隊が重装兵と正面から当たる事になるが、二方向から攻撃を受ける恐れのある右翼を任せる訳にはいかないので、仕方がない。
それでも、戦いながら退くという難しい戦を、皆よくこなしていた。急いで退こうとして隊列が乱れれば、取り残された部隊が集中攻撃を受ける。全体の退く速度が遅ければ、敵に包囲される。
今一番恐れるべきは、敵の軍船が遡上してくる事だ。川からも攻撃を受ければ、持ちこたえるのは不可能に近いだろう。
敵の軽装兵が、こちらの右に進出してきた。青隊ならば多少挟撃を受けた程度では、揺るぎはしない。ゲオルクは側面を取る敵の向こう、さらに迂回して、背後を取ろうと動く敵の列に突っ込んだ。
敵を突破する。隊列に空いた穴を埋めようと、周囲の敵が慌てて間隔を詰めている。
そんな様子を尻目に、ゲオルクは重装兵の背後を狙うように動いた。
敵が今度は、重装兵の背後を守ろうと動く。これで青隊への攻撃も、少しは弱まっただろう。端から重装兵を襲う気はなく、馬首を巡らして駆け戻った。
軽装兵は存分に翻弄しているが、重装兵は揺らぐ様子も見せなかった。本当にゲオルクが重装兵を襲えば、その時はまずゲオルクだけを押し包んで倒せばいいだけの事だと、見切られている。
いくら翻弄していると言っても、軽装兵だけで一千二百はいる。その全てを八十騎で止めきるのは無理だった。徐々に敵が進出してきて、包囲されかかる。
赤隊が動いた。重装兵隊と軽装兵隊の間隙に突撃し、両者の間を分断した。先頭に立つ、黄金色に輝く鎧を着た武者は、間違いなくハンナだ。
同時にゲオルクも、帰りがけの駄賃に敵中を突破して、敵の動きを止めながら味方の近くに戻る。
ゲオルクと赤隊の行動によって、こちらの背後を取ろうとしていた敵の一隊が、切り離されて孤立する。
容赦なく蹴散らした。他の敵軍は、違いはそれほどでもないものの、混乱が酷く動けないでいる。すぐ傍に味方がいるのに助けを得られない敵部隊は、すぐに潰走を始めた。
ゲオルクが味方の元へ戻った頃には、赤隊も悠々戻って来ていた。敵の軽装兵は、陣形は崩壊し、軍勢の体を為していない。
しかし左翼側、重装兵は健在だった。そしていくら奮戦したところで、敵の軽装兵隊を殲滅する事も、敗走させる事もできない。立て直しにかなりの時間は掛かるだろうが、いつかは立て直される。
二度目は通用しないだろうし、懸念される敵軍船の存在も、もう視認できる距離まで来ていてもおかしくない。
「ゲオルク殿、敵軍船の姿が見えます!」
「くそっ、悪い予感ばっかり当たりやがる」
予感というよりも、いずれはこうなるのだから当然、あるいは必然と言うべきだろう。
それにしたって、考えた傍からそれが現実になれば、悪態の一つも付きたくなる。
「いよいよ拙いかな、これは」
兵の前で、あまり口に出して良い言葉ではない。しかし、思わず口に出してしまうほどに、情況は切迫していた。
そこへ、早馬が駆け込んできた。使者の内容を聞く前に、待っていた知らせが来たと直感した。これもまた、勘と言うよりも、当然の事だろう。
「申し上げます。輸送船団は、安全圏と定められた区域までの撤退を完了いたしました」
「よし。全軍、総力を挙げて敵を押し返せ。一撃加えたのちに反転。全力で後方の拠点まで撤退」
今まで耐えてきた鬱憤を晴らすように、ゲオルク軍全部隊が猛然と反撃に出る。敵重装兵隊も、その勢いに押され後退する。
敵を押し返すと、一転して脇目も振らずに逃げ出した。敵も追いすがってきたが、ゲオルク軍の反撃を受けて初動が遅れた分、引き離されている。
結局、敵は追撃を断念し、ゲオルク軍は無事に撤退を成功させた。しかし、敵が追撃を断念したとき、その1㎞後方に軍船は迫っており、際どい所で虎口を脱していた。
陽動侵攻のための拠点に戻り、兵に休息を取らせながら情報を集めた。
蒼州公派連合軍は大敗したと言うものの、ブライデンフェルト城に撤退して、いまだ健在であるようだ。
もはや陽動の意味も無く、敵の矛先がこちらに向けば危険である。十分な休息が取れたのを見計らって、拠点を放棄してブライデンフェルト城へ撤退した。
城は負傷兵で溢れていた。
連合軍は一万の軍勢で州都フリートベルクに迫ったが、昌国君を総司令官とする五千に満たない軍勢を相手にして、完膚なきまでに叩き潰されたという。
戦死者だけで五百人以上に上り、負傷兵は数千人と言うありさまだった。部屋が足りず、廊下にも負傷者が寝かされ、はては屋外に屋根を急造して寝かせている。
戦死者の中には、蒼州公家の指導的地位にいた者も含まれているようだ。他にもう一人、公家の中心的人物が重傷だという。
ゲオルクの知り合いでは、旧ユウキ家勢力をまとめていた四遺臣の一人、ディートリヒ卿が重傷を負っていた。
もっと下、中堅クラスの指揮官となると、戦死者、重傷者は片手の指では収まらない。
指揮官クラスの人材にこれだけの被害が出たという事は、本陣が直接攻撃を受けたのだろう。昌国君ならば、自ら鴉軍を率いて本陣を急襲しても、不思議はないという気がする。
ゲオルク軍も、負傷者の手当てに協力した。ゲオルク自身、怪我の治療は専門ではないにしても、知識もあれば経験も豊富だ。率先して味方の治療に当たった。
手当と言っても、怪我の処置はすでに軍医が何日も前に済ませているので、薬を飲ませたり、包帯を替えたりがほとんどだ。
これだけ負傷者が多いと、まともな包帯が足りるはずもなく、みな何かの布を細く裂いて包帯にした物を巻きつけられている。
とりわけ酷い、全身の半分以上が包帯に覆われた負傷者に、ふと心当たりがある様な気がした。誰だったかと悩むが、思い出せない。
包帯男が、ゆっくりと目を開け、口も開けた。
「ゲオルク様……」
声を聴いて、彼が何者か思い出した。
「コーツ。トーマス・コーツだな。生きていたか」
「昨日まで、意識不明で彷徨っておりましたが、辛うじて死に損なったようです」
「お前の所も、相当被害を出したのか」
「大勢、死にました。従姉上も」
コーツの目に、涙が溜まる。
「従姉上は、コーツ家の誇りでした。兵達も皆、家族のように暮らした者達です。私一人、死に損ないました」
「お前は生きて戻った。皆が、お前をこちらに帰してくれたのだ。そう思おう」
ゲオルクはコーツの手を取り、傷に障らないよう、優しく握った。
「従姉上は、皆は、コーツ家の誇りです。皆最後まで、立派に戦い抜いて死にました。戦には敗れましたが、決して恥ずかしい戦い方はしませんでした」
コーツの目にたまった涙があふれ、流れ落ちる途中で包帯に吸い込まれて行く。
「無理をするな。拾った命、無駄にしてはならんぞ」
コーツはやはり辛いのか、静かに目を閉じた。息も静かで、危険な状態ではなさそうだ。
その後、コーツ家の生き残りの兵を何人か治療した。その中の比較的軽症の者から、戦の様子を聞く事が出来た。
全体の戦況までは分からなかったが、コーツ家の鉄砲隊を破ったのは、再建された総督府軍の騎馬隊だという。
「総督府軍の将校は、ほとんどが新総督と同時に帝都から派遣されてきた者だったな」
「はい。騎兵隊長は確か、エルモア伯爵だと聞きました」
騎馬隊の襲われたのなら、壊滅も無理はない。鉄砲隊は騎馬隊と相性が悪い。馬の脚なら鉄砲の有効射程を詰めるのに、数秒しか掛からない。
しかし、そんな事は常識だから、鉄砲隊を無防備に晒す者などいない。それでも騎兵の突撃を受けたのは、やはり軍全体が昌国君の戦術に嵌った、という事なのだろう。
戦場全体を描いたのは昌国君でも、個々の部隊の戦果は、それを率いる将の力量に左右される。エルモア伯と言うのは、少なくとも平均以上の軍才の持ち主と見るべきだろう。
昌国君だけでなく、その下の手足に当たる将校にも、人材が揃っている。これは相当手強いのも肯ける。
大体の者を手当てし終えたところで、軍議を開くので奥の間に来るように言われた。善後策を練り、今後の方針を定めなくてはならない。
軍議の席は、空席が目立った。ゲオルクが陽動に出陣する前と比べて、八席は空席ができている。
戦死した者。負傷により参加できない者。あるいは、自領に逃げ帰った者もいるかもしれない。
今分かっている損害の報告がなされ、その上で善後策を話し合う事になった。しかし、誰もこれと言った策は持ち合わせていない。
撤退しようとだけは、誰も言い出さなかった。ここで撤退したところで、その先の見通しなど無いのだ。昌国君に各個撃破されるか、良くて大幅に領地を減らされた上で、降伏を認められるかだ。
しかも今更、降伏が認められるかは分からなかった。昌国君が認めても、帝国政府が認めない恐れがある。何せすでに、朝敵として討伐の命令が下っているのだ。
まともな意見が出ないまま、重苦しい時間だけが流れた。そこへ、騎士見習いと思しき少年が入ってきた。
「会議中失礼いたします。オルデンブルク卿から書状が届きました」
「オルデンブルクから? 読み上げよ」
「はっ」
騎士見習いがオルデンブルク卿の書状を読み上げる。内容はまず、アイヒンガー伯爵家を滅ぼし、シュレースヴィヒ郡を制圧し事の正式報告。そして、シュレースヴィヒ郡の統治を認めて欲しいという事だった。
その後に、オルデンブルクは以後も変わらず蒼州公派政権を支持し続けるという表明の言葉が続いている。
一言も言ってはいないが、政権を支持し続ける見返りにシュレースヴィヒ郡の領有を認めよと、言外に言っている。
「問題あるまい。各々方も、異論はありませぬな」
異論を唱えたところでどうしようもない。オルデンブルク卿に今背かれる訳にはいかないし、皆自分に損が無ければあまり関心も無い様だ。異論は一つも上がらなかった。
厄介なのは、その後だった。オルデンブルクからの書状に拠れば、コストナー伯爵家に、海路から大量の支援物資が届き始めているという。
コストナー家の現当主クラウスを正当と認め、支援するという事だ。これも昌国君の根回しかもしれない。
蒼州公派であるコストナー家のニコライ派は、一気に苦境に立たされるだろう。クラウス派がコストナー家内部を統一すれば、そのまま矛先がこちらに向くのは明らかだ。
「オルデンブルク卿に、コストナー家の動きを抑えるように命じよ。シュレースヴィヒ郡はもちろん、クラウス派を討てば、ポンメルン郡の半分もやると伝えよ」
実際にそんな事になれば、代々ポンメルン郡太守職を世襲してきたコストナー家の面目は丸つぶれだ。いくら風前の灯とは言え、ニコライ派が受け入れるかどうかは怪しい。
しかし、言葉だけならタダだ。そして今、背後にまで敵を抱える訳にはいかない。
やはり、攻めるしかない。
オルデンブルク卿からの報告を受けて、誰が言うとも無しに、そんな空気が出来上がっていた。攻めに出て挽回しなければ、足元から崩壊していくと。
だが連合軍には、もうあまり兵力の余裕はない。参集した傭兵はほぼ散ってしまったし、負傷兵も多い。大雑把に見積っても、残存兵力はゲオルク軍以外に八千といったところだ。
しかもその全てを攻勢に回せる訳でもない。諸侯らの本領を守る兵や、獲得した各地の拠点を守備する兵が要る。
元々今回の攻勢に際して、そういった兵は極限まで削ってある。そうして捻り出した一万だった。
どこかを放棄する覚悟を決めない限り、再びの攻勢に動員できる兵力は、五、六千といったところだろう。
敵とほぼ同数。あるいは、敵に兵が集まって、数で劣っているかもしれない。ゲオルク軍を加えても、互角以上にはならないだろう。
加えて先の敗戦で、武器の損耗もあれば、兵の士気も低い。これで勝てるのか。
「やるしかあるまい。座して死を待つか、戦って死ぬかだ。玉砕覚悟で進めば、活路が開けるやもしれぬ」
「そうだ。幸い兵が減ったおかげで、兵糧はまだ持つ。まだ戦える」
攻勢に出るという暗黙の決定がなされると、次々に威勢のいい意見が上がり始めた。それはだんだんと過激に、そして精神論になっていく。
止めようという気にはならなかった。止めようのない流れである事は分かったし、守りに入ったところで自壊を待つだけなのも確かだ。他に妙案も無い。
それに、難しい戦の後だからか、酷く疲れていた。心の疲れだと思うが、体も酷く重い。
重さに身を任せ、ただ沈んでいたかった。




