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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter4・勝利か、死か
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河川陽動侵攻2

 敵軍は四段の防衛線を構築して、ゲオルク軍を迎撃する構えだ。

 第一段に構える敵は九百。まともにぶつかりあって突破しようと思えば、手強い。

 向こうから打って出れば、兵力に勝り、騎兵を持つこちらの方が有利だ。

 向こうもそれを分かっているので、簡単に動きそうには無かった。赤隊が敵の傍まで出て行って、しきりに挑発を繰り返している。


「ハンナはあのまま、敵陣に突っかけたりしないだろうな?」

「いくらなんでも、そこまで無分別な妹ではありません」

「言ってみただけだ」

「敵は、動きそうにありませんな。それならそれで良いとも言えますが」

「それは違うぞ、テオ」

「違いますか?」

「動くも動かぬも、こちらで決められる様でなければならん。今は、どちらが自分の意思を通せるかの奪い合いだ」


 動かないにしても、それはこちらがそう望んでいるからでなければならない。こちらが動くと決めたら、いつでも敵を動かせるようにしておく必要がある。


「難しい事を言われますな。まあ、動かさない方ならば、ハンナが出て行けばそれで済むでしょうが」

「そうなのか?」

「今やハンナの勇名は、敵にも知れ渡っていますよ。『真鍮(ブラス)乙女(メイデン)』という異名も付いているようです。まあ、『出しゃばり女』という揶揄も込められているようですが」

「なるほど。ハンナが出れば敵も野戦を避けるか」


 ゲオルクはからからと笑った。


「私やお前には異名の様なものは無いのか?」

「さて、聞きませんな。私の方は影が薄いだの出来損ないだの、悪口はいくつかあるようですが」

「そんなものか。私はハンナよりむしろ、お前の方が敵には回したくないがな」


 テオは表情を変えず、ただ口元だけを歪めて笑った。

 一日挑発を続けたが、敵は小競り合いにも乗らぬほど、微動だにしなかった。


「敵の守りは、全部で四段。それに軍船も一艘だったな?」

はい(ヤー)

「一段くらいは、抜いておくべきかもしれん。膠着するにしても、一、二段抜いてからの方が、敵も張りつめる」

「張りつめさせた方が良いので?」

「張りつめていれば、疲れる。疲れれば(ゆる)む。とにかく敵の余裕を奪っておくに越した事はない」

「しかし、手足を引っ込めた亀をどうやって引っ張り出しましょう」

「敵の第二段の備えは?」

「第二段ですか?」

「そうだ」

「兵力は九百。ただし第一段より、いくらか動き回れる陣形を組んでいます。情況によって、第一段の応援をしたり、退いて守りを固められるような備えでしょう」

「赤隊を、敵を迂回して州都へ向かって進ませろ」

「敵の第二段が止めるでしょうな」

「それでいい」

「何をお考えで?」

「まだ分からん。ただ、第一段が動かぬのなら、先に第二段を動かそうと考えただけだ。それ以上先の事は、まだ漠然としか見えん」

「分かりました。派手にやらせてよろしいのですね?」

「赤隊に、隠密行動など無理だろう」


 言って、ゲオルクは小さく笑った。テオも、苦笑いを浮かべる。

 赤隊が敵の第一段を迂回して、州都へ向けて進軍した。敵の第一段は、それを黙って通した。

 その先で第二段が移動し、赤隊の行く手を塞いだ。交戦していいかと、赤隊から使者が来て尋ねた。


「三倍の敵相手に、交戦していいかとは、怖いもの知らずだな」

「問答無用で突撃しないだけ、分別がある妹です」

「分別があると言うのか、これは」

「して、どういたします?」

「しばし待つように伝えろ。増援を送る。白隊と、我が旗下だ」

「ゲオルク軍の半分以上が、目の前の敵を迂回する事になりますな」

「流石に、敵第一段も動かざるを得まい」

「敵の間に飛び込む事になります。赤隊だけならまだしも、軍の半分以上が挟撃を受けるというのは」

「それでいい。こちらの総指揮は、いつもの様にワールブルク殿。敵が動いたら、すかさず攻撃を掛ける様に。不測の事態が起きた時は、お前頼りだ」

「仕方がありませんな。本隊で昌国君を相手にするよりマシと思う事にします」


 ゲオルクは旗下の騎兵と白隊を引き連れ、敵を迂回して赤隊の増援に移動した。

 敵の第一段が左手に見えるうちは用心して歩を進め、敵が後方になると、全力で駆け始めた。

 敵第一陣が反転し、後ろから迫ってきた。追われる形になったが、長い間ではなかった。

 目の前に赤隊が現れる。赤隊はゲオルクとは逆方向に走り、すれ違った。そのまま、ゲオルクを追う敵第一段に突っ込む。

 赤隊とすれ違ったゲオルクは、そのまま前に進んだ。すぐに新手の敵が現れる。敵の第二段だ。赤隊が背を向けて走り始めたので、慌てて追撃に来ていた。

 敵の第一段と第二段は、それぞれ思いがけない敵とぶつかりあう事になる。その上、第一段には後ろから青・緑隊が襲い掛かり、赤隊との挟撃になる。

 敵第一段が崩れるまで、それ程の時は掛からないだろう。それまでゲオルクは、目の前の第二段を足止めしていれば良い。

 目の前の敵は数こそこちらの三倍だが、勢いにおいては遥かにこちらが勝っていた。初めから、敵を呑んでいる。

 あとは白隊が囲まれない様に、ゲオルクが左右に動いて敵の両翼を叩けばいい。それでしばらくの間は、持ちこたえられる。

 八十騎。いや、今は七十八騎を率いて、敵に突っ込む。深入りはせずに、ちょっと突っかけては退く。あるいは、掠める様に駆け抜ける。

 左右の敵に三度ずつ、六度の攻撃を仕掛けたところで、背後の敵が敗走を始めた。それを受けて第二段も、退いて守りを固め、味方を収容する動きに出た。


「追撃は不要だ」


 この機に一気に攻め立ててれば、第二段も破り、あるいは第三段も突破できるかもしれない。

だが、全ての敵を突破するまでには至らないだろう。敵を抱えたまま深入りし、そこで膠着するのは危険がある。

 全軍を一つにまとめ、横に広がって圧力を掛けるに止めた。それだけでも敵は、いくらか陣地を後退させた。今は、それで良い。

 敵の第一段を撃破し、第二段を一歩後退させた。ここで膠着させるのが良いだろう。残りの敵を一気に突破できるかどうかというところだ。敵へ脅威を与えるには、十分だ。

 それでいて、深入りしすぎていないので、退くときも退きやすい。

 輸送船団が前進したゲオルク軍に追いつき、補給を行った。しばらく腰を据えるつもりなので、五日分の兵糧を受け取っておく。

 敵は守りを固めるか、それとも反撃を試みるか。敵陣の動きを注視しながら、にらみ合った。

 四日目に、敵陣に僅かな動きがあった。守りの陣形が、少しだが攻めの陣形に代わっている。だがそれも、翌日には元に戻っていた。


「反撃を試みようとしたが、断念したとも見える。どう思う?」


 軍議を開き、昨日の敵の変化について話し合った。


「さて、結局元の守りの陣形に戻ったのなら、今までと同じく守りを固めると見えますが」

「兄上、それならば始めから、陣形を変える必要などないではないか。敵は何かを仕掛ける気だと思う。それくらい、調べられんのか」

「無茶を言うな。陣を組んだ敵の内部を調べるのは、密偵にできる事ではない」

「使えないな」


 テオがむっとした表情になる。言っては悪いので言わないが、ゲオルクもハンナと同意見だ。

 敵が少し動いたが、すぐに元に戻った。他に情報は無い。だから、何かあるとは言えない。理屈ではあるが、理屈の外に出られないから、テオは戦が下手なのだ。

 テオとハンナがしばらくの間、つまらない兄妹喧嘩を続ける。その間、ワールブルクは一言も発しなかった。だが、すでに全て分かっているのだと、察せられた。

 兄妹喧嘩が、ほとんどテオが一方的にやられるいつもの形で収まると、ゲオルクはワールブルクに意見を求めた。


「奇襲の用意だな」


 ワールブルクはあっさりと言ってのけた。ハンナは肯いているし、ゲオルクも言われて見ればそうだ、という気がする。


「何か根拠が?」


 テオだけが、納得がいかないという風に食い下がる。


「守りの陣形が、攻撃になり、また守りに戻った。あれは、味方にも知られずに出撃した奇襲部隊が帰って来たとき、受け入れるための用意をしているのだ」

「先生がそこまでおっしゃるのでしたら、信じましょう。しかし、生半可な奇襲を受けたところで、我らが敗走に陥ったりはしません」

「そこだ。それが分からん。なぜ敵は奇襲を企んでいるのか。我らを押し返したいのなら、しばらくまともに押し合ってからの奇襲の方が、効果があるはずだ」


 戦である。人間のやる事だ。常に理に適っているという訳ではない。しかし、それにしても敵の意図が読めない。

 あるいは、こちらの知らぬ何かを掴んだのか。

 伝令が駆け込んできた。


「申し上げます。補給部隊からの報告によると、本隊が州都フリートベルクを前にして敗北を喫し、敗走に陥った模様!」

「それか!」


 ゲオルクは、やにわに立ち上がった。敵はこちらより一日早く、この情報を掴んだに違いない。そして、こちらが知らぬうちに手を打とうとした。

 この分だと、退路を断つ部隊も密かに動き始めていると見た方が良い。


「撤退する」


 言うは易いが、難しい情況だった。新たな補給物資を届けに、輸送船団がゲオルクの陣営まで来ている。流れに逆らって撤退する船団を護衛しなければ、物資を敵の手に渡してしまう。

 本隊が敗走した以上。手持ちの兵糧が全てだ。麦一粒でも敵に渡す訳にはいかない。


「輸送船団は、積み込めるだけの物を積みこんで拠点まで下がれ。我が軍は三日分の兵糧を携帯し、輸送船団が安全圏に離脱するまで踏み止まる」


 俄かに陣営が慌ただしくなった。殿(しんがり)を務めながら、自分達も無事に逃げ延びなければならない。厳しい戦が予想された。

 輸送船団が退き始める。しばらく待って、ゲオルク軍も戦闘態勢のままじりじりと後退を始めた。

 ゲオルク軍が動き出してようやく、敵はこちらが退却を始めたと気付いたらしい。慌てて追撃を仕掛けてくる。しかし、陣形も粗いにわか追撃などは、一蹴する。

 手痛く反撃を喰らっても敵は追撃を諦めず、今度は敵の第二段九百全てが、しっかりと陣形を組んで迫ってくる。

 だがまともにぶつかれば、こちらの方が兵力に勝り騎兵もある。背中を見せない限り、敵も不用意に攻撃はしてこない。その代り、まとわりつくようにしつこく追ってくる。


「船団は、まだ安全圏までたどり着いていないのか」

「はっ。上流で雨が降ったのか、川が増水して速度が上がらないとの事です」


 船団の速度が、予想以上に遅い。あまり長い事踏み止まっていると、今度はゲオルク軍自体が危険なのだが、もうしばらく粘るしかなさそうだ。

 敵は決して向こうからは仕掛けて来ず、しかし隙を見せれば一息に攻めかかれる距離を保って追ってくる。そのため陣形を乱さぬよう、少しずつしか下がれない。

 全軍を挙げて反攻に出れば、敵は戦う事無く下がる。そしてまた、一定の距離を保って追ってくる。あまり深く敵を追えば、引き込まれる事になるため、追うに追えない。

 腐り物に(たか)ってくる蝿を追うようなもので、いくら追い払っても際限なく寄ってくる。元を断てないのがもどかしい。

 少数の部隊で一撃を加えようとすると、堅く守りを固めてしまう。その間に本隊が退くと、一転して反撃に移り、殲滅しようとして来る。一度など、ゲオルク自身が敵に攻撃を掛けたので、危うく討たれるところだった。

 そういう危うい場面もあったが、全体としては優位に戦いを進めている。だが、今だけだ。敵の後続はこちらへ急行しているだろう。合流を許せば、苦しくなる。

 だがいくら焦ったところで、輸送船団の船足はこれ以上、上がりはしないのだ。

 日没が迫り、これ以上の退却は断念するしかなかった。常に緊張を強いられているのだ、兵には休息が必要だった。

 天幕を張る余裕も無い野営である。それでも、兵達は泥の様に眠りこけている。

 夜襲に対する備えだけは、厳重にさせた。川が近いので、流れの音で敵の気配が隠される。


「ゲオルク殿」

「テオか。どうした?」

「夜のうちに、退く事を提案いたします」

「それは私も考えた。しかし、兵を休ませる時間が無くなる」

「拠点まで戻ってからの方が、ゆっくり休息できます。輸送船団を追い越さない範囲で、できる限り退くべきです。このままでは、いざ我らが退くとなったときに、逃げきれない恐れがあります」

「分かった。皆には悪いが、叩き起こせ。言うまでも無い事だが、敵に気取られるな」

「もう一つ、ご提案が」

「なんだ」

「朝になって我らがいないとなれば、敵は急追をしてくるでしょう。少々の不審は見逃すはずです。ここに、火計の用意をしてから退けば、敵に打撃と足止めができます」

「妙案だ。そちらの手配もできるか?」

「ご命令が有れば、すぐにでも」

「良し。やれ」


 肉体よりも精神が疲れている兵達を叩き起こし、密かに陣払いをした。闇の中を進むので進軍速度は上がらないが、それでも敵の追撃を受けながら退くよりは速く進む事が出来た。

 夜明け前から数時間は休憩を取らせる。その間に、敵はゲオルク軍が夜の間に退いた事に気付いて、急追してきた。

 野営跡に踏み込んだところで、残してきた伏兵が火を放つ。仕込んであった柴に火が回り、一挙に大火となって敵に襲い掛かった。

 その炎は、ゲオルクの所からも見てとれた。戻ってきた伏兵の報告によると、敵は相当混乱したらしい。ただ、被害はそれほど与えていないようだ。

 時間と距離を稼げた。今はそれだけで十分だ。

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