河川陽動侵攻1
蒼州公派連合軍の全てがブライデンフェルト城に集結し、州都攻略の時を待っていた。
負ける事は許されない決戦である。しかも相手は昌国君だ。作戦計画も、慎重に検討が重ねられた。
どんな作戦を立てたところで、昌国君には振り回されるのだ。概要さえ決めておけばそれで良い。ゲオルクなどはそう思ってしまう。
綿密な計画があれば安心できるが、現実が計画通りに進んだ例など無いのだ。むしろ、とっさの判断を鈍らせる足枷になりかねない。
しかし、この戦を主導する蒼州公家中枢は、綿密な計画を好んでいる様だ。
公家再興のためにあらゆる手を尽くしてそれを勝ち取った実績があるし、亡きフリードリヒ公も密かに周到な計画を巡らす人物だった。
綿密な計画を好むのは、蒼州公家の家風なのかもしれない。
もっとも、フリードリヒ公の計画などは、昌国君の速攻の前に、動く間もなく敗れ去ったのだが。
そういう事を口に出せば、大事な戦の前に、水を差すなと白い目で見られるのは目に見えている。
そうでなくても、計画など大まかで良いという考えが、細部まで詰めた計画よりも支持されるという事は無い。
考え無しの、いかにも雑なやり方に見えるからだろう。考えれば良いというものでもないと思うが。
しかし、幸か不幸かゲオルク軍は、綿密で詳細な作戦計画の中に組み込まれる事はなかった。
「我らは本体とは別行動ですか」
テオが感情を交えずに言う。ゲオルクは言いたい事を言わずに、不機嫌が隠しきれなくなっているが、テオはどこか、達観したような顔をしている。
単に、そんなものだと諦めているのかもしれない。
「ああ。独立遊撃軍らしく、本隊とは別に陽動を行う事になった」
「それで具体的な作戦は、こちらに任せると」
「そういう事だ」
「そうは言っても、大まかな指示は下っているのでしょう」
「それを、これから説明する」
連合軍の作戦開始に合わせてこちらに寝返ってきたシュピッツァー男爵が、ティリッヒ侯爵家相手に、連戦連勝の快進撃を続けている。
そのおかげで、ドネウ川上流地域は今、こちらの勢力圏と言って良い状態にある。州都もドネウ川沿いにある以上、これを使わない手はない。
「つまり、ドネウ川上流から下流へ向かって侵攻し、圧力を掛けると」
「その為に、輸送船団も付けてくれるそうだ。それで脅威はより現実味を増す。まあ、半分は空船で、誤魔化すために石でも積むのだが」
「船以外は、我らだけ?」
「そうだ。あまり本隊の兵力を割く訳にもいかんからな」
「妥協の産物ですな」
「妥協?」
「兵糧が心もとないので、我らを切り離して自給させる事で、本隊の兵糧を少しでも確保するつもりなのですよ」
「そう言えば、兵糧は独自に調達する様に言われたな。大きく迂回する陽動部隊に、拠点から兵糧を送るのも無駄が多いので気にしなかったが」
「どうせ軍を割るならば、完全に二つに割ってしまえばいいのですよ。昌国君と言えど、体は一つしかありません。一方が壊滅しても、もう一方が州都を攻略できれば、我らの勝ちだというのに」
「無理だろうな。誰も、壊滅する側にはなりたくない」
「一つにまとまったって、壊滅するときは壊滅します。むしろ、より悲惨になると思うのですがねえ」
「お前そう思うなら、軍議に参加してそう言えばいいだろう」
「嫌ですよ。聞く耳を持たない相手に行ったところで、無駄ですから。無駄に嫌な思いはしたくありません」
「どうなのだ、それは。上の過ちを、正そうともせずにむざむざ見ているというのは。私にはできん」
ゲオルクが勢いよく立ち上がる。
「どちらへ?」
「知れた事。今お前が言った事を、私が代わりに言ってくる。我が身可愛さに口を噤むなど、忠ではない」
「すでに出陣の準備を進めている段階です。誰も聞く耳を持たないと思いますが」
「そんなもの、やってみないうちから決められるものか」
そこへ、男が一人入って来て、ゲオルクの脇を通り抜け、テオに耳打ちを始めた。
酷く印象の薄い男だった。脇を通り抜けられたのに、まるで気にならない。若いのか老いているのか、それさえも判然としない。
男はひとしきりテオに耳打ちをすると、またゲオルクの脇をすり抜けて、去って行った。いなくなってしまうと、男がいた事など、気のせいだったような気がしてくる。
「ゲオルク殿、今し方、重要情報が入りました。こちらへ」
互いに距離を詰めると、テオが声を低くして、ゲオルクに耳打ちするように語った。
「オルデンブルク卿が、アイヒンガー伯爵家を滅ぼしました。当主オットマールは、ほとんど身一つで、どこかに落ちて行ったようです」
「間違いない事か」
「出陣前には、公表されるでしょう。幸先の良い出来事ですから。ただ、シュレースヴィヒ郡を掌中に収めたオルデンブルク卿が、次はどう出るかが気になります」
もはや蒼州公派に与している利益も無いと、がら空きの背後を襲うかもしれない。テオはそう危惧している様だ。
「オットマールの行方も気になる所だな。生きているのなら、再起する事を諦めはしないだろうが」
むしろ再起を図るとして、どこに拠るかが気になる所だ。
アイヒンガー家の情報は、公表があるまでは胸にしまっておく事にした。そう長い事ではないだろう。
ゲオルクは連合軍首脳部に対して、遅まきながら作戦の変更を提案したが、ほとんど一顧だにされなかった。
遅すぎたのだろうか。それとも、早くても同じ事だったのだろうか。
城の中は、どこもかしこも高ぶっていた。しかし、古くからの蒼州公家の兵が、最も気勢を上げていた。
彼らにとっては、先代からの悲願なのだろう。現蒼州公家当主で、フリードリヒ公の遺児ユリアンも担ぎ出されていた。親征するという事だ。
親征という言葉を使うなど、すでに一国の主扱いだ。彼らにとってはそうなのだろうし、ゲオルクにもいくらかそういう気分がある。
しかし、まだ勝敗の行方も見通しが立っていないのに、親征と言うのは、どうなのだ。
「それだけ本気、とも言えるが」
ゲオルクは蒼州公家の兵については詳しくない。それでも、精強な兵というものは、見れば分かる。
精強な騎士団ならば、どこにでもそれなりにいる。だから普通は、精強と言うだけでは目を引きはしない。
その部隊に目を奪われたのは、三百人以上の兵全てが、銃兵だったからだ。それも、銃兵としては見た事の無いくらいの精鋭だった。
発している気からして違う。敵としては、絶対に会いたくない。肌がそう感じるような部隊は、そうそういるものではない。
「動かないで」
背中に氷を入れられたような気がした。冷たく、堅い、女性の声だった。
「100m先からあなたの目玉を撃ち抜けるわ。この距離なら、毛の一本まで狙えるわよ」
その揺るがぬ自信がある。それをはっきりと感じさせる声だ。
「私の隊を探るあなたは、どこの密偵かしら?」
「何の事だ。ただの、通りがかりだが」
「あなたの視線が私の兵の練度を値踏みしていた事に、気付かないと思って?」
「参った。大した眼力だ」
「そう。密偵って認めるのね」
「密偵ではない。ゲオルク・フォン・フーバーと言う。独立遊撃部隊長だ。ゲオルク軍の方が通りは良いがね」
「ゲオルク軍? 良いわ、そのままゆっくり振り返りなさい。少しでも余計な動きをしたら、風穴が開くわよ」
言われた通り、ゆっくり振り返る。声から想像した通りの、きつい雰囲気の女性だった。
配下の者らしい周囲の人間に確認させて、ようやく身元が信用され、解放された。
「こういう諺を知っている? 『李の木の下で帽子を直さない。瓜の畑で靴を直さない』疑われるような行動は、慎む事ね」
きつい雰囲気の女性が行ってしまうと、後には彼女のそばにいたうちの一人である、若い男が残った。
「ゲオルク様、失礼をいたしました。姉はあの性格なもので」
「弟さん?」
「正確には従姉弟なのですが、まあ、姉として接しています。申し遅れました、私はトーマス・コーツと申します。従姉はエリザベト・コーツ」
「蒼州公家の家臣?」
「まあ、そんなものです。コーツ家は小さいので、代々公家の庇護下にある様なもので。事実上、家臣ですね」
「小さい家だという割に、立派な軍勢を揃えているじゃないか」
三百人以上の兵全てに、鉄砲を持たせる。維持費ならまだしも、初期投資を考えれば、七騎士家並の家でも揃えられるかどうかだ。
「全て、従姉上のおかげですよ。今のコーツ家は、天才狙撃手である従姉上生かすために、公家から莫大な支援をいただいています。一族の誰も、頭が上がりません」
「公家が、それ程の価値を認める程の腕なのか?」
「100m先の的の中心を、五連続で撃ち抜くのを見ました。それでもまだ余裕を見せていましたね」
その距離での一般的な命中率は、五発撃って四発が的のどこかに当たる程度だ。全て真ん中を撃ち抜くというのは、確かに天才と呼んで良い腕だ。
「ここの兵達も皆、それ程の腕を?」
「従姉上ほどではありませんが、従姉上が鍛え上げた兵で、闇夜の蛍も撃ち抜けると豪語しています。もっとも姉上は、軍勢の指揮などはまるで執らないのですが」
「なるほど。さしずめ指揮を押し付けられているのが、あなたと言う訳か」
「ご明察の通りです。従姉上は見ての通りの性格なので、各所との折衝なども私が」
どこにも似たような兄妹がいるものだな、と思った。
「邪魔をして悪かったな。月並みだが、次の戦はお互いに頑張ろう」
「いえ。こちらこそ、ゲオルク様とお話しできるとは、思いがけず良い機会でした」
「では、また。生きていたら会おう」
「ご武運を」
「そちらもな」
陽動を引き受けるゲオルク軍は、本隊に先立って出陣し、西へ向かった。
州都の上流およそ30㎞の地点に、先遣隊によって陣地が構築され、輸送船団がすでに待機している。
これと合流したゲオルク軍は、そのまま州都へ向けて進軍する構えを取る。無論、陽動なのだから、できるだけ敵に脅威を感じさせなければならない。
また、州都から敵を引き離す事が目的なので、あまり戦場が州都の近くになっても拙い。更なる兵が参集してくるのを待つように、ゆっくりと進軍する。
「ゲオルク殿、斥候の報告に拠れば、敵軍が州都を出陣してこちらに向かっているようです」
「来たか。敵の兵力は?」
「陸上兵力三千五百と、輸送船阻止の為でしょう、軍船が一隻。船の規模からして、乗っている兵は最大で百人程度と思われます」
「こちらの三倍か。大物が釣れた、と言うべきかな」
「敵は全て歩兵で、騎馬隊と言えるものは見られないそうです。全騎兵を、本隊の方に向けられたようですな」
「まあ、昌国君は甘くはない。得意の騎兵は、ここぞというときまで温存するだろう。こっちはやりやすくて良いがな」
「おそらく敵は、この先に何段かの防衛線を構築して待ち構えるものと思われますが、いかがいたしましょう?」
「しばらくは、にらみ合うだけでいいだろう。ただ案山子でいるつもりはない。頃合いを見て、攻める。それで本隊と戦っている敵に、背後から圧力を掛ける。上手く行けば、戦をする昌国君の足を、州都に残った連中が引っ張ってくれる」
全て、こちらに都合の良い希望的観測だ。それでも、本隊から独立しているからできる事を、全てやっておこうという気がある。
亀が歩くように、少しずつ進んだ。陽動と言う目的の為でもあるが、急進するのは危険だという気がした。
流れを下って進むのだから、進撃はいくらでも早くできる。兵站も、上流からどんどん船で送ってもらえばいい。
だがその逆、流れに逆らって退くのは難しい。陸地を進んでいるので関係ないと思っていると、深入りしすぎて退くに退けなくなる恐れがある。
撤退の難しい地形で、敵に先んじて守りを固められたら避けよ、と兵法は説いている。進んでも敵を打ち破れず、退くに退けずに危険な状況に陥る恐れがあるからだ。
州都に引き付けられたところで、鴉軍の急襲を受けたりすれば、壊滅するだろう。
実際には、こちらに鴉軍を向ければ本隊が自由になるので、こちらが勝つ。だからそれは無い。
だが、一歩進むごとに危険が増す事は、間違いない。
この戦場だけを見ている訳にもいかなかった。常に、本隊の情況も知っておかなければならない。
本隊の情況如何によって、動くべきか否か、動くとしたらどう動くかが変わってくる。万が一、本隊が敗走した場合、いち早くそれを掴まねば、敵中に孤立する危険もあった。
そういう事を、向こうから知らせてくれる者がいない。こちらから本隊の情況に対して、神経を尖らせておかねばならなかった。
流れに沿って二日進んだところで、敵と遭遇した。
一見して守りの陣を組んでいる。ただ守るだけで、反撃に出ようという意思が感じられない。
「どういたします?」
「しばらく、にらみ合え。不審に思われない様に、挑発や小競り合いくらいは仕掛けて良い。ただし、まともなぶつかり合いは避けろ」
本隊もそろそろ、敵との対峙に入る頃だろう。すぐに決戦になるのか、それともしばらくにらみ合うのか。それは、ここからでは分からない事だ。
ゲオルクは伴を連れて、陣を見回りついでに川辺に足を運んだ。大河の流れが、穏やかに陽光を反射している。
州都は、もうすぐそこだ。この流れに木の葉の一枚も浮かべれば、今日の内に州都まで流れ着く。
遥かに遠い道のりを歩んできたはずが、いつの間にか、夢に手が届くところまで来ている。
そう、夢だ。州都を落とせば、名実と共に、蒼州は独立国家になる。蒼州に住まう人間のための政治が始まるはずだ。
胸が、熱いもので満たされて行くのを抑えられなかった。ユウキ合戦で敗北して以来、口では夢、蒼州公派の理想と言いながらもずっと、ただ彷徨っていたのではないかと不安だった。
しかし、そうではなかった。ここまで来れた。ちゃんと、前に進んでいたのだ。
自分は、叶わぬ望みを捨てられず、未練を残して彷徨うだけの幽霊ではない。血と肉を持ち、剣を手に戦い抜いてきた。道を切り開きながら進んできた、確かにここにいる人間だ。
ここまで来るのに、血を流し過ぎたという思いもある。
だがそれも、ようやく報われる。ここで勝てば、流れた血にも、意味があったと思える。
勝たねばらなぬ戦だ。自分の思いとして、それをはっきり胸に刻み込んだ。




