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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter3・戦野の風景
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ザルツブルク港防衛1

 蒼州(そうしゅう)南東部、ニーダザクセン郡の港湾都市ザルツブルクが、突如としてティリッヒ侯爵家の軍勢によって占拠された。

 元々総督府派の支配下にある都市だが、このタイミングで軍勢が入るという事は、大規模な作戦の前兆と見るべきだろう。

 遠い北西部に位置するティリッヒ家の軍勢が、こちらに悟られる事無くザルツブルクに集結した隠密性も、それを裏付けている。

 狙いはやはり、海路から大軍の受け入れての、蒼州公派の挟撃だろう。オルデンブルクのクーデターにより、アイヒンガー家が動けなくなった事が、この作戦を決断させたのかもしれない。

 ザルツブルク港は、ほとんどを半島が占めるニーダザクセン郡の、半島の先端より少し北。湾に面した西岸の都市だ。

 大型船が直接接舷できるだけの水深と、湾である事から波風から守られる、蒼州有数の港だ。一度に数千の軍勢を上陸させる事もできるだろう。

 なんとしても攻略して、敵の作戦計画を阻止しなければならない。

 まして蒼州公派は、ザルツブルクの攻略に一度失敗している。二度目の失敗は威信に関わると思っているだろう。

 ザルツブルク攻略軍として、ゲオルクの傭兵団を含めた三千が編成された。ユウキ合戦で敗北して以来、最大規模の軍勢だ。

 それでも、ユウキ家がまだ在った頃は、万を超える軍勢を揃えていた。往時を知る身としては、この『大軍』には寂しいものを感じる。

 蒼州公家と、傭兵団を含む旧ユウキ家の軍から成る攻略軍は、蟻の出入る隙間もないほどにザルツブルクを包囲した。

 一方のティリッヒ軍は、一千二百。ただしこれは、ティリッヒ家の中でも精鋭中の精鋭と名高い、ネルトリンゲン騎士団で間違いない。

 それだけ敵も本気という事だ。市壁を備えた都市に籠っている事もあり、決してこちらが優位とは言えない。

 しかし、早急に攻略しなければならない。海路から敵の援軍が、いつ到着するのか分からないが、時間を掛けられない事は確かだ。


「因って傭兵団には、海上から市内への突入を試みてもらう」


 この戦に置いて旧ユウキ家の軍勢を束ねる、ツィーグラー男爵が命令する。ゲオルクと比較的親しかったツィンメルマン卿ほどではないが、主戦派だった人物だ。いまや旧ユウキ家勢力は、完全に主戦派によって牛耳られている。


「しかし、我が軍には海軍も制海権もありませんが」

「なに、そんな大仰なものではない。付近から小舟を徴発し、夜陰に紛れて港に上陸する。そのときは陸からも総攻撃を掛け、作戦を支援する。上手く行けば、一挙に街を落とせる」


 果たしてそう上手く行くものか。そう思っても、それを直言しにくい相手だ。


「敵が海に対して無防備とは考えられません。海上封鎖があれば、接近は困難と思われますが」

「その心配はない。敵は海上封鎖を行っていない。これは確かな情報だ」

「そうですか」

「ティリッヒ家も内陸の家だからな、海は不慣れなのだろう。あるいは、すでに中央派遣の艦隊が近いのか」


 そうは言っても、兵は配置しているだろう。良港は、守るにも良いという事だ。上陸しようとする軍に、矢の雨を降らせる用意くらいはあるだろう。

 そもそも、傭兵団にだって海に慣れた者はいない。デモフェイの様な川漁師出身者はいるが、川と海では勝手が違う。

 ましてや作戦の性質上、夜陰に紛れて上陸を試みる事になるだろう。夜の海上で、目的地までたどり着けるのか。灯りを灯そうものなら、それこそ的にされるのがおちだ。

 やはりこの作戦は、無理がある。無駄に部下を危険に晒す訳にはいかない。


「閣下。やはりこの作戦は、海の専門家がいない事には、危険すぎます」

「お前達は、傭兵だろう。傭兵は、いかなる任務であろうと、成し遂げてくれるものだと認識している」


 反論は、無意味だった。迂遠な言い回しだが、要は、異論は許さんと言っているのだ。


「謹んで、拝命いたします」


 他にどうしようもなかった。ここでごねたところで、別の部隊が上陸作戦に当てられ、傭兵団の立場が悪くなるだけだ。その上戦に負けたら、誰も得をしない。

 引き受けたところで何かが良くなる訳ではないが、引き受けなければ今より悪くなる。ここは、貧乏くじを引くしかない。

 陣営に戻ったゲオルクは、さっそく船と船乗りの調達に動き始めた。

 幸いと言うべきか、当然と言うべきか、そのための費用は支給されている。


「しかし、いくら金を積んでも、これは相当厳しいでしょうな。特に、船乗りの方は」


 テオが渋い顔をしている。

 連れて行ってくれればいいと言う訳にはいかない。敵陣に突っ込むのだ。いくら金を積んでも、普通の漁師や船乗りでは、命の方が惜しいに決まっている。

 命がけの仕事を引き受ける、海賊紛いの船乗りを探すしかなかった。

 船乗りが見つかったとしても、傭兵団全員を運ぶには、相当の規模の船団が必要になる。十分な船乗りが集まる事は、期待できない。

 ほとんどの船は、船乗りの指示を受けた傭兵団員。つまり素人が操船するしかないだろう。


「どうにもならないと言う気がするのですが」

「どうにかするしかない。どうにかできなければ、素人舟を出して、死ぬだけだ」


 なにも、傭兵団だけが困難な任務を負わされている訳ではない。海上からの突入が失敗に終われば、陸から攻める部隊も、大きな被害を出さずにはいられないだろう。

 傭兵団が一番困難な任務を背負った事は確かだが、他が楽をしていると言う訳ではない。

 数日、手を尽くして船乗りを探し回り、ようやく引き受けるという船乗りの一団と契約を交わす事に成功した。

 船乗りの長と、具体的な作戦計画についての打ち合わせを始めた。


「よお、お前が傭兵団の頭だな。俺はアズミってんだ」

「ゲオルク・フォン・フーバーだ。依頼を引き受けた事に、感謝する」

「堅苦しいのは無し無し。こっちも物好きでやってんだ」


 海賊紛いの者を探すしかないとテオは言ったが、アズミと名乗った男は、海賊ともどこか違うようだった。常に、何かを楽しんでいるように笑っている。


「しっかしよー。ザルツブルクに夜中に海から殴り込むとか、馬鹿だろお前ら」

「やはり、無謀か」

「そんなもん、聞くまでもねえだろ。それでもやらなきゃならねえ。大方、お偉いさんから色々言われて逆らえないんだろ。気にすんな」

「そう言われても、あなた方まで巻き込んでしまう以上、気にもする」

「気にすんなって言ってるだろ。こっちゃ殺しができるってんでうずうずしてんだ」

「そうか」


 海賊とはまた違うが、相当な変わり者である事は間違いないようだ。


「でだ。船の方はもう確認してきた」


 傭兵団がかき集めた船は、全部で五十艘ほどだ。一番大きいもので、十トン級。一杯一杯に乗せて、三、四十人だろうか。


「全部に回すだけの人はいねえ。いくらかは素人だけでやってもらうしかねえ」

「覚悟はしていた」

「でだ。素人舟が混じる以上、昼間に沖で待機して、夜に街の明かりに向かって全速前進って手は使えねえ」

「そうなのか?」

「深いからな。あんな船の錨なんか底まで届かねえ。流されないように、ずっと漕いでるしかねえ。素人には無理」

「そうか。なら、どうする?」

「日が暮れてから海に出て、街まで行くしかねえな」

「なら、そうするしかないだろう」

「簡単に言うな。明かりなんか点けたら、あっという間にハリネズミだ。かと言って素人舟が夜の沖に出たら、どっか流される。明かり無しで、陸に近い所を行くしかねえ。海ってのは、沖よりも陸に近い方がヤバいんだ」

「そういうものなのか」

「嵐に遭ったら沖に逃げるくらいにはな。浅い所を進めば、良くて座礁。悪けりゃ岩壁にドーンで、木端微塵」


 そう言ってアズミは、何が面白いのかケラケラと笑っている。


「ま、頑張って街まで行くんだな」


 その後、出発時刻やルートなどを打ち合わせた。ルートと言っても、夜の海では素人には方角も分からないだろう。味方を見失わない様にして、なんとか着いて行くしかない。

 作戦決行の日が来た。公家、ユウキ家の騎士団は、陽動を兼ねて陸側から総攻撃を開始する。

 陽動を兼ねると言っても、攻城兵器も動員した、本気の攻撃だ。

 傭兵団は敵に気付かれないよう、ザルツブルクから少し離れた場所に船団を集結させ、出向の時を待った。ゲオルクの乗る船には、アズミが同乗している。


「傭兵団長の旦那、そっちは良いか? こっちはいつでも行けるぜ」

「こっちも問題無い。街に着くまでは、任せる」

「任された。よーし、野郎ども。漕ぎ出せ!」


 大きな物でも数十人を乗せれば一杯の船が、次々と漕ぎ出していく。まだ敵から遠いので、松明を灯している。その動きで、船の動きも見てとれた。

 突然、夜の闇に鈍い音が響いた。


「なんだ?」

「出航しようとした船がぶつかった。あー、ありゃ沈むな。あ、沈んだ」

「早く救助を!」

「金槌でも陸までは持つだろ」


 果たして大丈夫か、今更ながら心配になってきた。しかし、もう行くしかない。

 五十艘の船団が、海面も区別が付かないような闇の中を進んでいく。途中からは灯りも消したので、本当に闇の中を進んでいるという感覚だ。波の音。櫂の軋む音。音だけが大きく聞こえる。

 ゲオルクはもう、沈むなら沈むで、全て受け入れるしかないと覚悟を決めて、船内で腕を組んで座っていた。


「思いつめてんな。もっと楽しめよ」


 アズミが変わらぬ調子で声を掛けてくる。この船はいくらか大きいので、アズミの他に彼の部下も乗っている。今は難所ではないのか、アズミは部下に任せ切っている。


「この暗闇で、分かるのか。良い目をしているのだな」

「あん? まあ目は良いけど、お前の顔なんて見えねえ。見えなくても、思いつめた顔をしているなんて、気配で分かる」

「気配で分かるか」

「ああ。あんたも大変だな。上から理不尽押しつけられて、言う通りにしなきゃなんねえんだから。でもまあ、どこでもそんなもんだ。だから思いつめんな」

「そんなもの、か」

「そんなもんだ。海でいきなり嵐に遭うとか。クジラがぶつかって来て船をひっくり返すとか。それで全員あの世行きとか。理不尽だけどそんなもんだ。いちいち気にしてても仕方ねえ」

「アズミ殿は、それでいいのか?」

「良いも悪いもねえよ。どうしようもねえから理不尽っていうんだ。陸でも戦で村が焼かれたり、ひっでー税を持っていかれたり。どうしようもねえ理不尽は一杯あるだろ。そんなもんだ、世の中ってのは」


 確かに、多くの民にとって、直接は無関係な戦乱で田畑や住家を失ったり、重税にあえいだりするのは、どうしようもない、受け入れるしか無い事なのだろう。

 だが、それで良いのか。それに抗った者達がいた。それは、無意味で無駄な足掻きだったのだろうか。

 理不尽に抗うと言う点では、ゲオルクもそうではないか。中央のために、地方が犠牲になる。それを理不尽と感じ、それに反旗を翻す、蒼州公派の理想と言うものに賛同した。

 ならば、理不尽には抗うべきではないのか。

 誰かのために別の誰かを犠牲にする。そうしなければ共倒れだとしても、犠牲にされる側にとって、それは理不尽ではないのか。それを受け入れて良いのか。

 しかし、片方だけを犠牲にしないために、両方を助ける方法を求める。その答えには、安易に同意できない。もしそれが可能ならば、とっくに誰かがやっているはずだ。

 それができないから、誰もが悩み、苦しんでいるのではないか。そしてゲオルクは、それに対してどういう答えを出すべきか。

 蒼州を犠牲にする事を拒否する。その結果、別の誰かの負担が増えるかもしれない。帝国自体が崩壊して、更なる悲惨に突き落とされる結果になるかもしれない。

 そうなるかもしれないとして、それでも蒼州のために戦う。ゲオルクが今している事は、そういう事だ。

 このまま、この道を貫いて、本当に良いのか。それは、破滅の道ではないのか。


「おう、傭兵団長の旦那。考え込んでるところわりぃけど、ザルツブルクが見えたぜ」


 アズミに促され、甲板に出る。前方に、小さな街の灯が見えた。


「まだ遠いな」

「いんや。結構近いよ。あれは灯りを小さくしてんだ。夜目に慣らして、海から来るのを見張ってんだな」

「そうか。ならこのまま近付けば――」

「みっかるだろうな」


 束の間、ゲオルクは考えた。


「少しの間で良い。船をここに留められないか?」

「俺らの乗ってる船ならできるぜ。素人舟には無理。進むしかない。でも、連中ちょっと遅れてるから、待ってりゃ丁度良いんじゃね?」

「分かった。少し待たせてくれ」


 後続の船を待つ間を利用して、元漁師のデモフェイを中心とした、泳ぎに長けた兵を先行させた。水中から奇襲を掛け、上陸を少しでも有利に進めようという作戦だ。

 ゲオルクはただ波の音に耳を傾けていた。やがて、船団が集結したらしい。ゲオルクには分からず、アズミがそれを告げた事で知った。


「まだ何隻かいねーけど、はぐれても漂流はしねーだろ。多分な」

「漂流するとどうなる?」

「さあ? 二、三年して、骨だけ乗った船が帰ってくる事が有る。世界一周してたりしてな」

「笑えないな」


 船がまた進み始める。なんとなく、それが分かる様になってきた。

 ギリギリまで密かに接近する。潜水部隊は、すでに港の岸壁に張り付いているはずだ。

 鉦が打ち鳴らされた。船団の左右。おそらく、灯台の見張りに見つかったのだろう。


鯨波(とき)の声を上げろ!」


 もう隠れる必要もない。盛大に鯨波を上げる。潜水部隊が、姿を現して襲い掛かったはずだ。


「うっしゃあ、突っ込むぞ!」


 櫂の音が変わったような気がした。鯨波にかき消されて良く分からないが、多分違うのだろう。


「接岸する必要はない。港に突っ込め」

「端っからそのつもりだぁ! 掴まってねーと、振り落されっぞ!」


 船はぐんぐんスピードを上げる。突然、目の前に岩壁が現れた。ぶつかる。舳先から船が潰れる。骨組みが折れる音。板が割れる音。

 ゲオルクは剣を抜き、港の岸壁に降り立った。急にしっかりした地面に立ったせいか、よろめく。

 潜水部隊は、敵を混乱させる事に成功していた。上陸し、最小限の隊列を組む余裕はある。

 敵。ティリッヒ家の軽装騎士が、剣を手に次々と向かってくる。市街戦を想定しているためか、長柄の武器は少ない。

 そこかしこで、斬り合いが始まった。

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