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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter3・戦野の風景
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炎上2

 蹂躙(じゅうりん)した。とは、こういう事を言うのだろう。

 蹄に掛け、槍で貫き、はね飛ばす。解放戦線の兵は、棒切れしか武器を持たず、およそ兵とは言えない様な者も少なくない。

 そういう者達を、一方的に踏みにじって行く。

 やらねばならぬと思った。自らの手で彼らを殺し、自分がそれを乗り越える事が出来るか否か。それを試すために、ここに来た。

 乗り越えられず、潰れるのならば、所詮自分はそこまでのものだったのだ。

 敵が敗走を始めた。いくら狂信に染まりつつあろうと、食う物も無く、進も退くも死と言う情況ではない。死を恐れずとも、斬られれば痛いし、どうしようもなく恐怖は感じる。

 被害が大きくなれば、敵は恐怖を感じ、崩れる。それは自明の事だった。


「追い立てろ。散らすなよ」


 すぐに退路は絶たず、ある程度走らせる。疲れたところで囲む。どれほど追い詰められ、決死の覚悟を決めようとも、肉体の限界が来れば、動けなくなる。ノイベルク戦で、それはしっかりと見た。

 敵が離散しないようにしながら、追い立てる。あえて何かしなくても、敵を小さく断ち割らなければ、まとまって逃げる。仲間がいる方が、安心できるからだ。

 しばらく敵を泳がせた後、大きく囲み、網を絞る様に追い詰めていった。敵は、小高い丘の上に逃げ込んだ。

 奇しくも、ノイベルクを追い詰めたときと同じ情況になった。だが、皮肉な笑みも浮かんでこなかった。心が、疲れている。

 丘を囲んだ。敵はまだ、四百ほどはいる。こちらは歩兵だけで九百、しかもまだ余力を残している。かつてに比べれば、楽な戦だ。


「じわじわと攻め上げろ」


 こうなってしまえば、特に命令を下すこともなかった。やるべきことは各隊長か、中隊長レベルで心得ている。

 丘に矢が射掛けられているのを、ゲオルクはぼんやりと眺めていた。数が多いので、弓矢も有効なようだ。

 違う。指揮官たるもの、戦の間は一時も緩まず、敵をよく見て、些細なことも見逃さないようにするべきではないのか。しかし、頭の働きは酷く鈍かった。

 何人殺したのだろうか。敵であれば、何人殺そうと、顧みることも、疲れる事もなかった。敵を殺して悔いるくらいならば、初めから戦いに生きる道は選ばない。選んだ以上、殺した事は悔いない。

 解放戦線は、敵では無い敵だった。殺した事が、重苦しくまとわりついてくる。そして、疲れる。もううんざりだと言う気持ちになる。


「ゲオルク殿、お疲れのようですが、大丈夫ですか?」


 テオが心配そうな顔を向けてくる。


「兵がまだ戦っているのに、疲れたなどと言ってられんよ」


 テオの顔には、微塵の疲れも見られなかった。


「戦況は?」

「すでに相当討ち果たしました。残りは、百五、六十と言ったところでしょうか」


 丘に追い詰めてから、また二百五十人は殺したのか。胸が苦しくなる。テオはどうして、こうも平然としていられるのだ。

 テオにとって、死者はただの数字なのだ。兵力がいくら。犠牲がいくらで、全体の何割。だから、戦況はこう。全てがそういう扱いだ。

 戦をしているときは、ゲオルクだってそうだ。親しい人間が、隣で死んで行く。それが戦だ。

 普段は兵と苦楽を共にしても、戦となれば非情になり、兵を数字として扱えなければ、指揮官の資格は無い。それが、ようやく分かってきた。

 だからこそ、数字として扱おうにも、それができない相手を殺す事が、辛いのだ。解放戦線の兵は、どうしてもただの数字にならない。

 地響き。いや、馬蹄の音。影が、こちらにやって来る。影ではない。死神。いや、黒い、騎馬隊。

 馬上で跳び起きた。いや、寝てはいなかった。起きたまま、鴉軍(あぐん)の幻を見ていた。

 鴉軍と交戦したのは、ノイベルクを討ち取った直後だった。


「そういえば、昌国君(しょうこくくん)も戦ったのだったな」


 解放戦線と戦ったのは、昌国君も同じだ。傭兵団がノイベルクを討った直後だけでなく、多分何度となく戦ったはずだ。

 あるいは、ゲオルクの知らない所で、もっと辛い戦も、何度も戦い抜いてきたのかもしれない。

 当代最高の名将だなんだと讃えられようと、長く戦場に身を置いていれば、想像を絶するような戦に出くわしていても、不思議はない。

 いや、間違いなくそう言う戦場を、いくつも乗り越えて来たに違いない。そうであるからこそ、あれだけ讃えられるほどの男になったのだ。根拠などないが、そう確信した。

 ならば、自分も越えなければなるまい。昌国君に、僅かでも食い下がるために。それ以上に、あの偉大な男に、少しでも近づきたい。

 敵を見た。今までは、敵の姿を見てすらいなかったような気がする。多分、そうなのだろう。無意識に目を背けていたのかもしれない。

 今は、敵の姿が良く見える。敵以外にも、戦場の事が良く見える。


「火攻めを掛けろ」

「火攻め、ですか?」

「あの丘を見ろ。雪解け水でこちらの地面はぬかるんでいるのに、丘には若芽も少ない。水が溜まらない土質なのだろう。下草も枯れて、乾ききっている」

「なるほど。良く燃えそうですね」

「火を消す手段がないとなれば、決死の突破を試みてくるだろう。絶対に抜かせるな」


 伝令が走り、攻撃が一旦止む。丘の麓に、一斉に火が着けられた。

 枯れ草が燃え、炎がじわじわと丘を這い登って行く。燃料が枯草だけなので、焼け死ぬような大火と言う訳ではない。

 それでも、迫ってくる炎と、熱と煙は解放戦線の兵を恐慌に陥れるには、十分だった。

 麦秋が過ぎれば、灰を肥料にするために、麦藁を焼くな。そんなのんきな考えが浮かんだ。

麦畑の多い北部高原地帯は、比較的にしろ戦火の影響が少ない。今年も麦が良く実るだろう。

 水田の多い中南部は、度重なる戦乱で、田の区画もメチャメチャだ。

 丘の上で、敵兵が倒れ始めた。煙に巻かれているのだ。火で死ぬ者は、焼け死ぬ者よりも、煙に巻かれて窒息する者がずっと多い。

 声が聞こえる。呻き声。助けを求める声。祈る声。色んな声がまじりあっていて、良く聞き取れない。それでも、しぼり出すような、血を吐くような切実な叫びである事は、はっきりと分かる。

 目を閉じた。失敗だった。叫び声が、より一層耳に残る。この叫びを、消せばいいのか。抱えていかなければならないのか。

 騎兵の一人が、吐いた。ゲオルクの見える範囲で吐いたのは、彼一人だ。少ない、と言って良いだろう。

 吐き戻しそうなのは、ゲオルクも同じだった。内臓ごと吐きそうなくらいだ。

 だがこれでも、自分の手で武器を振るい、殺すのに比べたら、ずっと負担は軽い方だろう。自分はともかく、兵の負担が少しでも軽くなるのなら、それに越した事はない。

 まともではない戦で、潰れる兵が大量に出るのは、望ましくない。


「ゲオルク殿、火がそろそろ頂上まで達します」

「分かっている。焼け死ぬ前に、出てくるだろう。どこに来るか分からん。念のため、騎兵もどうとでも動けるように備えておく。そのときは、全体の指揮は任せるぞ。テオ」

「全体の指揮、と言われましてもね」


 残り僅かな敵兵が、最後の突撃を仕掛けてくる。それを待ち構え、殲滅する。そういう戦に、全体の指揮も何も有ったものではない。ただ、確認をしただけの事だ。


「解放戦線相手の戦は、これで最後であってほしいな」

「最後でしょう。他に、残党がまともに集まる気配はありません。集まったとしても、どこにでもいる盗賊と、変わり無いものになるでしょう」

「それはもう、解放戦線ではないな」

「ですから、これが最後です」

「そうか」


 敵が動いた。炎を突っ切り、丘を駆け下ってくる。三十人足らずだ。

 敵が向かう方へ、ゲオルクも馬を駆けた。ここまでやったのだ、最後まで自分の手で始末を着けるべきだ。そう思った。

 駆けながら、丘の方を見た。数百の人間が折り重なっている。それを、炎が焼き始めた。体に火が着いても、誰一人微動だにしない。

 皆、死んだのだ。皆、自分が殺した者達だ。それが、燃えていく。煙と共に上るのか、肉が焼ける臭いは、流れてこなかった。

 下草が焼け、丘全体が黒くなっていた。燃え尽きた所からも、まだ白い煙が行く筋も立ち上っている。丘全体が、大きな墓標だった。

 そんな墓標にも、血と灰を養分にして、遠からず新しい草花が茂るのだろう。そして、ここで数百人が死んだ事も、忘れられてしまうのだ。

 オステイル解放戦線は、ここで完全に潰える。自分が、潰す。潰しても、その存在、彼らとの戦いは、記録や記憶として残る。

 だが、それに参加した一人一人の名は、存在は、すぐに誰も思い出さなくなる。まして彼らがそれぞれに抱いた思いなどは、彼らの死と共に消えてしまう。

 人の思いを消し去るのが、自分のしている戦か。


「道を開けろ!」


 先触れを出す。丘を囲んでいた兵が、割れる。敵までの、道ができる。駆け抜けた。

 包囲する味方の兵を見た。皆、疲れたような顔をしている。それでもまだ、目の光は失っていない。まだ戦える。

 こちらの方が多かったからだ。一人が一人を殺したとしても、半分近い兵は、敵を殺す事無く終わる。敵の方が少なかったから勝てた。ただそれだけの事だ。

 敵を見た。正面から、しっかりと見据えた。

 絶望に満ちた目をしていた。ただ、何か力を持った目をしていた。力を与えたのが、信仰の力なのか。

 突っ込んだ。敵兵の胸を、槍で貫く。敵は、ほとんど抵抗らしい抵抗もしなかった。抵抗する力を感じない。肉体よりも、精神に力が無い。ほとんど、黙って殺されていた。

 死にゆく兵の表情から読み取れたのは、諦めだった。全てを、生きる事を、諦めている。ただ最後に、どうせ死ぬならば、敵に向かって進みながら死のう。そんな死に方だった。

 死に顔には、これで死ねると言う、安らぎすら浮かんでいた。

 祈りの言葉が聞こえる。敵の中の数人が、祈りながら死んで行く。ボロ布のようになっているが、僧服を着た男が、僅かな伴に囲まれていた。


「スヴャトスラフ・エフィムキンだな?」


 男は答えず、相変わらず祈りの言葉を唱え続けている。


「良く、これだけの人数をまとめ上げたものだ。今潰しておかなかったら、もっと増えていただろう。そうしたら、負けていたかもしれない」


 なぜ、自分はこんな事を語っているのだろう。


「大したものだ」


 エフィムキンが微かに笑ったような気がした。


「武器を取られよ」


 エフィムキンが、頭が少し太くなった、杖とも棍棒ともつかない物を構えた。どこかで拾った太い枝を、粗く削って作った物のようだ。

 槍を構え、馬腹を蹴った。杖が打ちかかってくる。槍で巻き上げ、はね飛ばした。飛んだのは、半分だけだった。杖は、途中で折れていた。

 槍を突き出した。穂先が、胸に差し込まれる。溺れた者が水を吐くように、血を吐いた。


「バル……ドル……」


 光の神の名を唱えたエフィムキンの目に、すでに光は無かった。

 最後に唱えたのが、なぜ光の神の名か、考えても分からなかった。あるいは単純に、彼らにとっての光を求め続けたのかもしれない。

 それとも、神の名を唱えながらも、神ではなく、人の事を思っていたのかもしれない。かつて彼らには間違いなく、彼らの光と言える人物がいたのだから。

 彼らの光を、ただの一辺も残さず奪い取ったのは、自分なのだ。

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