炎上3
スヴャトスラフ・エフィムキン率いる一派を殲滅して以来、オステイル解放戦線の残党と呼べる存在は、全く確認されなくなった。
なにも、全滅したと言う訳ではない。そんな事は不可能だ。ただ、もはや原形を留めていない、ただの盗賊などに成り下がったという事だ。
農民に戻れた者は少ないだろう。元々困窮に耐えかね、農地を捨てた農民達だ。それに帰るべき故郷は、解放戦線と各諸侯との戦で、見る影もなく荒廃してしまっている事だろう。
そうしてまた、同じ様な困窮する農民達が再生産されるのだ。
皮肉な事だと言うには、あまりにも悲劇的だ。かえって喜劇にすら思えるくらいだ。しかし、他に言い様もない。
これで全てが片付いたとは、思わなかった。庶民の底力を、過小評価しているつもりはない。焼け野原から、また草の芽が出て来るような力強さを、彼らは持っている。
しかし、これと言って目を引く指導者が現れた様子はなかった。それを確かめて、ようやく解放戦線との戦いは、完全に終わったのだと思った。
何の余韻も無かった。むしろ、本当にこれで終わりなのかと、拍子抜けしたくらいだ。
あるいは、何年も後にまた立ち上がって来るのかもしれない。そうだとしても、とりあえずは終わったのだ。
終わったと思うと。振り返る余裕が出てくる。戦っている間は、ただ夢中だった。今はなんとなく、先の戦いだけでなく、解放戦線との戦いを振り返りたいと思った。
最初の邂逅は、傭兵団を創設した年の冬だった。解放戦線自体が勢力を急速に拡大したのはもう少し前、秋の頃だったと思う。
戦火によって農地が荒廃し、秋の収穫が得られなくなった。冬の蓄えが出来なくなった。今にして思えば、そういうことが蜂起を促したのだろう。
廃城を占拠した解放戦線を撃破する。それが最初の戦いだった。敵の数が多いので、夜襲を仕掛けた。
あの戦では、ハンナが農民兵を殺すことを躊躇し、ゲオルクの叱責を受ける一幕もあった。今では、誰が相手であろうとハンナが戦で手を緩める様子はない。
それが良い事なのかどうかは、分からなかった。ただ、ハンナも悩み、何かを乗り越えた。それは間違いない事だろう。
偉そうにハンナを叱責したが、あの戦は、ゲオルクにとっても辛いものだった。非力な女子供老人が襲ってきて、それを殺すしかないのは、相当に堪えた。
それ以降の戦は、思い出したくない。いや、思い出す意味がない。全て、同じ事だ。およそ兵とは認識できない者達が、粗末な武器を手に、数えきれないほど襲ってくる。それを、ひたすら殺す。結局はそれだけだ。
ただ、オイゲン・ノイベルクの事だけは、鮮明に覚えている。最後に投げかけられた言葉も、たった今聞いた事の様に、耳に残っている。
彼らが実は、ティリッヒ侯爵家に良い様に利用されていたという事に、怒りは覚えない。ただただ、哀しいだけだ。
結局彼らは、他人に振り回され続けたのだ。蒼州公派と総督府派の争いで苦しみ、先祖代々長年精魂込めて耕した農地を捨て、武器を取った。
それなのに、実際は諸侯の一つであるティリッヒ侯爵家に良い様に利用されていた。彼らの大部分はその事にも気付かず、もう役に立たないと見なされるや捨てられ、虚しく消えて行ったのだ。
彼らが、全ての支配者の否定と、彼らによる完全自治と言う、およそ現実味のない理想を掲げた事からも、はっきりと反抗の意思を持っての蜂起ではなかった事が窺える。
彼らはただ、静かに生きていたかったのだ。それが許されなかったから、美しい幻のような理想を掲げ、使い方も分からない武器を取った。
どこまでも、哀れな存在だった。しかし解放戦線が潰えてもなお彼らは、生き続けるだろう。
焼け野原から、また草の芽が出て来るような力強さを、彼らは持っているのだから。
戸が叩かれ、テオが部屋に入ってきた。
「ゲオルク殿、先の戦いでの、最終収支報告が上がりましたので、ご確認ください」
「ああ」
書類を流し見る。以前は細かいやりくりまで目を通していたが、いつからか目を通すだけにしていた。
「兵が増えると、武器の消耗も馬鹿にならんな」
剣や槍は、使うほどに痛む。順次更新が必要だ。兵が増えると、武器の新調に掛かる費用も馬鹿にならなくなってくる。
「それに関して、一つ試案がございまして」
言って、テオが別の書類を渡してくる。
「鉄砲の導入?」
「初期投資はそれなりに掛かりますが、規模の大きい戦。長期の戦になるほど、経済的であるという計算が出ています。一考の価値はあるかと」
ゲオルクも修業時代、鉄砲の使い方は学んでいる。当時は一丁の値段が、鍛冶職人の一生分の稼ぎに相当するとまで言われたものだが、今ならその金で百丁は買える。もう二十年近く昔の話だ。
今は正規軍なら、百五十人の一個中隊に三十丁は配備されている。ただ、それを活用した戦術の構築は、まさに今試行錯誤中と言ったところだ。
しかし、取扱いの簡便さと、長期的なコストの低さはそれなりに注目されている。安定した戦果を上げられるようになれば、化けるだろう。
「検討はしておこう」
書類の束をテオに突っ返した。特に不満げな様子も見せない。
「なあテオ、お前はなんのために戦っている?」
「なんですか、突然」
「つまらぬ事を考えていたらな」
「もちろん、蒼州公派の勝利の為です」
束の間、二人の視線が交差した。
「嘘は言っていない。だがそれは、一番上っ面の理由だろう?」
テオが小さく笑う。
「その通りですが、何か問題でも?」
「いや。だがせっかくだから、もっと深い理由を聞いてみたい」
「ネーター家の存続の為ですよ。私にとってそれは、自分の為でもあります」
「ネーター家嫡男の地位など無くても、人は生きられる」
「ですが私は、ネーター家の嫡男。いずれは、当主として生きたいのです。これは、自分で選び、決めた事です」
「そうか。だがそれなら、わざわざこの傭兵団で参謀をやるよりも、もっと良い方法があるのではないか?」
「あるでしょうが、そういう事は、私の他にもやる人間が大勢いるでしょう。一人くらい、迂遠な方法を取る酔狂な人間がいても良い。それに、私は結構気に入っているのですよ、ここを」
「光栄だ。と言うべきかな?」
「物好きがいると、笑ってくださって構いませんよ」
「そのくらいの方が、気負うよりも良いのかもしれんな」
テオが部屋を去ると、急に静かになった。静か過ぎるという気がして、部屋を出た。当てはないが、砦内を適当に視察と言う名目でうろつく事にした。
食堂は、飯時ではない事もあって、閑散としていた。ポツポツと座っている中に、ヴァインベルガーの姿があった。
「昼間から酒か?」
ヴァインベルガーは、蒸留酒を飲みながら読書をしていた。
「これは団長殿。ご心配なく、軍務に支障を出すほどには飲みません。強いという訳でもないのですが」
「別に咎めだてはしない。座ってもいいか?」
「御随意に」
ヴァインベルガーは、貧乏ながら貴族の出だ。そのせいか、飲みながらの読書にも、なんとなく教養ある人間だという事を感じさせる。
だがその一方で、そこらの盗賊など話にならない、酷く荒んだものも感じさせるのだ。
「ヴァインベルガーよ、私的な興味で聞くが、君はなぜ戦う?」
「あえてなぜと言われれば、取り立てて理由はありません。強いて言うなら、死にたくないからでしょうか。自分に向かって振り下ろされる剣を、黙って受け入れる気にはなりません」
「妙な事を言う。ならばなぜ、傭兵などをやっている」
「命などどうでもいい。いっそ死んでやる。そんな思いもあるのですよ。しかし小心なので、いざ戦場に立つと、怖くて仕方がありません。だから、勝って生き延びるために、全力を尽くします。後はまあ、大隊長を命じられた以上、責任もありますし」
終始丁寧な口調の男だ。だがそれが、声を荒げて凄むのよりも、よほど迫力を出す時がある。
「理解できるような気もするな」
「いえ。本当に理解できるのは、自分だけでありましょう」
物言いは丁寧だが、貴様には理解できやしないと言っている。そういう傲慢さも、この男は持ち合わせている。変わった男だ。
「邪魔をした」
「いえ。どうせ暇をしていましたので」
窓から、明るい陽光が差し込んでいた。外に出ると、良い陽気だった。ただ、時折強い風が吹く。それも暖かい風で、冬は日に日に遠くなっていく。
その力で、お前は何を守る。今再びその問いかけを受けて、自信を持って答えられるだろうか。
自分は、自分達は、何を守ってきたのだろうか。その結果、何を守れたのだろうか。
蒼州公派の理想。言葉にすると、どこか虚しかった。嘘ではないはずだが、果たして自分は、本当にそれを守るために戦ってきたのだろうかと思う。
違うのだとすれば、ではなぜ自分は、何のために戦い続けて来たのか。
今、戦いから降りるとする。何もかも全てを投げ捨てて、どこかに隠棲して生きてゆく。道義的理由を抜きにしても、それはできないと思った。
つまり、自分はまだ戦う事を望んでいる。では、何が自分にそう思わせるのか。
弱き民を守るためか。しかし、自分の起こしている戦いが、民を傷つける結果を生んでいるではないか。命令されたものであっても、傭兵団の戦いは、団長である自分が起こしたものに違いあるまい。
オステイル解放戦線の者たちも、傷つき苦しみ、自分達と同じ苦しみを味わう者を、これ以上生まない事を夢見て立ったはずだ。
その結果が、蒼州全土に戦乱と荒廃を招いた。決して、そんな事を望んだ訳ではないはずなのに。
平和を望む気持ちが戦乱を招き、人を愛する思いが誰かを傷つける。目を背けたくなるが、それが今の現実だ。
ならば、何かを夢見る事がいけないのだろうか。理想を抱く事が、間違いだというのか。
つまり、それなのだ。自分がかつて抱いた夢を、信じられなくなっている。
未来を、今日より良い明日を望み、理想に向かって歩み、手を伸ばしてきた。だがそうすればそうするほど、夢見た未来は遠くなっていく。
それでもまだ、剣を捨てる気にはなれない。諦めきれないでいる、という事か。蒼州公派の理想を。
「いや、違うな」
蒼州公派の理想。そんなもののために戦って来た訳ではない。蒼州に住まう者は、大部分が苦しい思いをしている。民だけではない、貴族の身分を持つ領主たちすら、困窮している者は少なくない。
それを、なんとかしたいと思った。自分の手で、なんとかできればいいと思った。
蒼州公派の掲げる理想は、この思いに、もっともらしい大義名分を与えてくれたに過ぎない。
自分はただ、一人でも人を救えればいいと思った。そして、それを思いだけで終わらせたくなかった。
それは、決して揺るがない。たとえ千度万度と挫折しようとも、己が己である限り、この思いは決して潰えない。
ただ、そのための手段が、今歩んでいる道で間違ってはいないのか、自信が持てなくなっている。
だが自信があろうとなかろうと、この道以外に知らぬのだ。なら、這ってでもこの道を進むほかない。
正しく無いかもしれない。誤っているかもしれない。だが、自分の歩む道に、完全に自信を持って正しいと言える人間が、どれほどいるだろう。
前に進もう。間違っても、進めなくても、前に進もうという意思だけは、確信をもって、間違いのない、己の思いだと言えるのだから。




