取水施設奪回2
デモフェイ以下先導が水中から施設内まで張ったはずの縄に、微かな反応があった。上手く施設内まで侵入できた合図だ。
張られた縄を導線に、選りすぐった第一陣をまず送り込む。敵に発見されれば最前線を担い、後続のために橋頭保を確保しなければならない危険な役目だ。
生き延びられたら、特別手当を出してやるべきかと思う。テオがまた予算がどうこうと言いたてるだろうが、手柄には相応に報いてやるべきだ。
口の中で百を数えた。第一陣も、侵入に成功したはずだ。今度は、ゲオルク自身が小隊を率いて侵入を試みる。
「では、行こうか。テオ」
「本当に、大丈夫なんでしょうかねえ」
「ここで待っていても良いのだぞ」
「いえ、行きますよ。私だけ留守番と言う訳にもいかないでしょう」
妙な所で律儀な男だ。だがそれが、好ましく思える。
「無理はするなよ」
鼻から胸一杯に息を吸い、止めた。川に飛び込む。水が温い。見習い時代の修行で、水練も修めている。しかし、潜って敵陣へ潜入するというのは、初めてだった。
デモフェイが張った縄を掴みながら、取水口内に入る。一列になりながら、水道内を泳いでいく。
前で何かあったときが危険だと思った。狭い水道内では、前方で何があったかを知ることが出来ず、体の向きを変えるのも容易ではない。
一人ずつ進めば危険も減るのだろうが、あまり時間を掛け過ぎても、発見される危険が増える。五、六人ずつが一列に並んで進むしかなかった。
不意に、人間の下半身が見えた。水上に明かりが灯っている。水面に顔を出し、声を上げないようにしながら息をした。
「団長、お疲れ様です」
通路に上がっていたデモフェイが手を差し出してくる。手を取り、体を持ち上げた。テオや他の者も、続々と上がってくる。後がつかえない様に、奥に移動した。夏だというのに、施設内はひんやりとしていた。
取水施設内部は、水路と通路が一体になった構造で、見取り図で見た通りだった。水路の各所に、濾過のための砂の層や、砂やごみを沈殿させる水槽がいくつもあるはずだ。
ゲオルクとテオに続き、ハンナとワールブルクもそれぞれ小隊を率いて追いついてきた。傭兵団全員が、施設内に潜入することに成功した。
この間、敵兵がやって来ることは無かった。総石造りなので、近づいただけでも足音が分かるはずだ。それすらも無かったので、敵兵は案外少ないのだろう。
「施設を制圧する。テオは入り口を固めている敵を背後から襲い、味方を内部に引き込め」
「了解」
「ワールブルク殿は、施設内各所に潜伏しているはずの敵の掃討を頼みたい」
「いいだろう」
「残りは奥の部屋だ。おそらくそこに、敵の指揮官もいる。頭を叩くぞ」
取水口から水路は直線だったので、大体の方角は分かる。迷う事は無いはずだ。
「奇襲だ。派手に鯨波の声を上げてやれ。この石造り、良く反響するだろう」
ワールブルクが壁を軽く叩きながら言う。確かに、今の会話すらも反響していた。
剣を抜き、鯨波の声を上げながら走り出した。声が反響して、音源がどこかも分からない。
十字路にでた。テオドールが右へ、ワールブルクが正面へそれぞれ分かれて行く。
「抜かるなよ」
そう叫びながら、ゲオルクは左の通路を進んだ。一度突き当たりにぶつかって、引き返した。立ち塞がる敵は数人で、しかも狼狽えている。出会い頭に斬り倒して進んだ。
奥の広い部屋に突入した。指揮官級と思しき男が、三人いる。雑兵は任せて、指揮官の一人に斬り合いを挑んだ。
胸を狙って突いた。狭い屋内だ、あまり大きな動きはできない。突きを躱され、卓を蹴り倒してきた。
横転する卓を避け、突き出した剣を横に振り抜いた。切っ先がかすったが、服を切り裂いただけだ。首筋を狙った斬撃が来る。
体を沈めた。剣が頭上を抜ける。腹を薙いだ。堅い。鎖帷子を着ていた。
左手で相手の腕を掴み、投げた。しかしうまく受け身を取られ、すかさず体ごとぶつかってきた。吹っ飛ばされ、椅子を蹴散らす。
上体を起こしたところに、相手が斬り込んできた。とっさに首筋を狙って剣を振る。相手が怯み、距離を取った。
剣を振り上げ、打ち込んだ。技も何も無い、力任せの打ち込みだ。受けられる。だが打ち込んだ勢いのまま、相手の体を押し込み、押し倒した。
敵が肩だけ床から離し、なんとか押し返そうとして来る。腰の後ろから短剣を抜き、鎧の隙間に差し込んだ。敵は目を見開き、目から光が消えた。
肩で息をしながら立ち上がると、ほぼ制圧は完了していた。他二人の敵指揮官のうち、一人はハンナに討ち取られていた。もう一人を討ち取ったのは、デモフェイだった。意外に腕も立つらしい。
部屋の入口から、兵が数人駆け込んできた。味方だった。テオもいる。
「これは、もう終わってましたか」
「見ての通りだ。そっちは?」
「正規軍が施設内に突入、すぐにここまで来ますよ。後は残党掃除ですかね」
「ならそれは、正規軍の仕事として残してやろう。何一つ戦果が無いのでは、さすがに気の毒だ」
言って、自分も皮肉な事を言う様になったものだと思い、笑った。きっと皮肉な笑みを浮かべていたことだろう。
取水施設の奪回は、無事に成功した。施設に深刻な破壊は無く、水質も問題無いということだった。
ユウキ家としては胸をなでおろした、というところだろう。傭兵団の活躍を誰かが伝えたらしく、功績を讃える使者がわざわざ来たほどだ。
当然のことをしただけだ。そういう意識しかゲオルクには無い。どうせ功績を讃えてくれるのなら、兵に特別の恩賞をやるだけの金が欲しい所だが、そういうことはテオが上手くやるだろう。
それよりも気になるのは、取水施設を占拠した部隊が、どこの誰の差し金かということだった。
これに関してはすぐに割れた。ワールブルクが捕虜として捕らえた敵兵が、アイヒンガー伯爵家に雇われた傭兵であることを、あっさりと自白した。
「アイヒンガー家か」
ラウ川を挟んで対岸、シュレースヴィヒ郡に領地を持ち、同郡の太守職を代々世襲している家だ。そしてもちろん、総督府派だ。
ただ純粋に総督府派として行動をしているかというと、微妙なところではある。
「実際に交渉役を担ったのは、ケルジャコフらしい。あるいはアイヒンガーは名前を出しただけで、実際はケルジャコフの独断かもしれんな。ありうることだ」
「妙に自信がありますね?」
「何年か前に、アイヒンガー家に雇われていた。ネーター家雇いになる前の雇い主だな。だからあの家の内情は、多少知っている」
「数年ずれていれば、ワールブルク殿も敵だったかもしれないという事か」
「そんなものさ。傭兵というものはな」
「しかし、アイヒンガー家がねえ」
ユウキ合戦は蒼州公派と総督府派で蒼州を二分した大乱だが、必ずしも思想の対立だけが原因でもない。
お家騒動、相続争いで家中が割れた結果、思想信条に関係無く、どちらかに就いたという者も多かった。
アイヒンガー家もその一つで、むしろユウキ合戦が大乱になった原因の一つとも言えるほど、その影響は大きかった。
事の発端は、先代のアイヒンガー伯爵に男子が生まれなかったことに起因する。そのため跡継ぎを、長女の婿か次女の婿のどちらかに選ばなければならなくなった。どちらもアイヒンガーの一族であり、いとこ同士だった。
しかし婿という立場が事態を複雑にした。次女の婿の方が長女の婿よりも年上で、さらに実家の勢力も強かったのだ。
結局、明確な決着が着けられないまま先代は没し、家督争いは一触即発の事態になった。そこへユウキ合戦の勃発と言う火の粉が飛び込んできて、着火してしまったという訳だ。
ユウキ合戦が総督府派の勝利に終わった事に因り、アイヒンガー家の家督争いも、総督府派に就いた、次女の婿側が勝った。
これが現当主オットマール・アイヒンガー伯爵であり、その最大後援者が伯父のキム・ケルジャコフだ。
しかし、ただ運よく勝者にくっ付いたというのではなく、総督府派の勝利にも貢献した戦上手として名が知られている。
だがそれ故に、総督府派に就いたのは方便であり、総督府の言いなりになる気など、毛頭ないという態度を隠さない。そのため、総督府とは何かと軋轢を生じているようだ。
「私はアイヒンガー家の軍とぶつかる機会はなかったが、戦が上手いという話は聞いている。今後、我らの強敵となるだろうか」
「さあな。私は敵として何度か見かけたが、アイヒンガーよりもケルジャコフの方が戦は上手い。だがそれ以上に、オルデンブルクと言う男が強かった」
「聞かない名だな?」
「だろうな。ユウキ合戦で多くの戦果を挙げ、ケルジャコフの重臣に成り上がった男だ」
「乱世に台頭してきた男か」
戦の多い世の中になれば、埋もれていた戦上手が台頭してくるのも当然だろう。
家督争いに勝利したオットマール・アイヒンガーは、敵対派閥をほぼ壊滅させ、強権を確立している。
代々世襲状態になっているシュレースヴィヒ郡の太守職も手に入れ、郡内における警察権・行政権・徴税権を握り、所領以上の力を蓄えているそうだ。
そしてそれを、伯父であるケルジャコフが支えている。そもそもアイヒンガー伯爵家とケルジャコフ家で、シュレースヴィヒ郡のほぼ全域を押さえている。半ば独立国の様なものだ。
「オットマール・アイヒンガーはどういう男だ? 今後も、いろいろと謀略を仕掛けてきたりするのだろうか?」
「詳しい訳ではないが、手練手管を使うタイプだとは聞かないな。むしろ不屈な男で、相続争いで何度となく戦に敗れ、亡命することになっても這い上がってきた男だ」
「意外に叩き上げなんだな」
「ユウキ合戦では、いち早く総督府派に味方した。先を読む目がある。負ける度に大きくなってきた男だ。手強いぞ」
「しかし、それならなおの事、取水施設に下手なちょっかいを出すようには思えないな」
「やはりケルジャコフだろうな。歳を食っている分、甥には無い狸な所がある。大方、今のユウキ家の戦力や、内部のせめぎ合いを確かめようという魂胆だろう」
「なら、俺たちもどこかからか見られていたのかな」
「かもしれないな」
そうだとしたら、ユウキ合戦の名将たちから見て、今の傭兵団はどの様に見えたのだろうか。一角の戦力として認識されたのか。あるいはやはり、取るに足らない存在でしかないと見られたか。
どちらにしろ傭兵団は、知らぬうちにその存在を、広くお披露目したのかもしれない。
少なくともユウキ家上層部からは、予想以上に使える戦力かもしれないと評価された事は、間違いないだろう。
だがむしろ、これからが本番だ。これからの働きで、本当の評価が定まると言って良いだろう。
「ワールブルク殿。春の終わりに、総督府とアイヒンガー家の小競り合いがありましたな」
傭兵団がネーター家からの依頼を受けて、盗賊掃討を行っていた頃、南下した総督府軍が、ラウ川を挟んでアイヒンガー軍とにらみ合ったらしい。その巻き添えを食うのを避けるため、兵を休める名目で、しばらく様子を見た。
「ああ。両者の対立は、意外に深刻であるらしいな。その後、総督府内部でアイヒンガー家に内通していた者が、粛清されたらしいぞ」
「それは知らなかった。どこでそんな情報を?」
「ちょっと同業者がその件に関わっていてな」
裏切者のあぶり出しと粛清と言う汚れ仕事に、金で動く傭兵を便利に使ったのだろう。
今のところ傭兵は、そういう汚い仕事を押し付けるくらいが使い道な存在。というのが一般的な認識だ。
取水施設を占拠した傭兵も、今にして思えば、捨て駒として扱われたと言える。誰の差し金であるか割れる事も、多分織り込み済みなのだろう。
実際今のユウキ家にできる事は、せいぜい防備を強化するくらいだ。アイヒンガー家と一戦交える余力はないし、訴え出る先もない。泣き寝入りするしかないだろう。
「総督府の内部が掃除された事で、アイヒンガー家は総督府への攻め手を失った。一方の総督府も、これ以上アイヒンガー家との対立をこじらせても無益だ。両者の争いは一旦手打ち。そうして生まれた余裕を、ユウキ家へちょっかいを出すのに使ったというところだろうな」
「我らへの手出しはそんな扱いか。まあ、無理もないか。残党の寄せ集めに過ぎないことは事実なのだから」
あるいは、今のユウキ家には取水施設を奪還などできない、と思われていたのかもしれない。
もし奪還に失敗していれば、水源を押さえられた弱みに加え、無様に負けたとして名声も失っていただろう。そうなれば、離反者が相次いでいたかもしれない。
今のユウキ家には、この程度すら存亡に直結する事態であり、それだけに、傭兵団の果たした役割は、思った以上に大きかったのかもしれない。
素直に喜べないのが、何とも切なかった。




