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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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104 なんて立派なたけのこと、可愛らしい菜の花なのでしょう

 街での満ち足りたお出かけから一夜明けた、柔らかな朝。

 森の診療所のキッチンスペースには、酸味を含んだ爽やかな香りと、バターが熱せられる芳醇な匂いが心地よく漂っていた。


 コルネリアは使い慣れた小刀を握り、先日裏庭の菜園で収穫したばかりの瑞々しいにんじんを、極めて細く、流れるような手つきで切り揃えていく。

 大地の水分をたっぷりと含んだ鮮やかなオレンジ色の野菜は、器の中で上質なオリーブの油と、果実から作られた豊かな酸味を持つ酢、そして微かな塩と絡められる。

 全体が美しく馴染んだところで、風味付けの木の実を散らせば、鮮烈な色彩と爽やかな味わいを持つキャロットラペの完成である。


 続いて彼女は、グリンダが牧場から届けてくれた新鮮な卵をボウルに割り入れた。

 空気をたっぷりと含ませるように手早く混ぜ合わせ、熱した平鍋に流し込む。

 火加減を細かく調整しながら木のへらで形を整え、表面は滑らかな淡い黄色、内側はとろけるような半熟状態を保った見事なオムレツを焼き上げた。


 円卓の上には、それらの色鮮やかな料理と共に、昨日街で出会った双子のハーフリング、ポポとココが営むトコトコベイクで購入したパンが切り分けられて並んでいる。

 真っ赤なビーツと胡桃くるみが練り込まれた固めのパンと、玉ねぎの甘みが詰まった柔らかな丸パン。

 温かい紅茶の入ったカップが二つ置かれたところで、身支度を整えたカエラムが寝室から姿を現した。


「おはようございます。今朝も、まるで春の庭園のように美しい食卓ですね」


 カエラムがアンバーの瞳を優しく和ませ、コルネリアの対面の席へと腰を下ろす。

 二人は向かい合って手を合わせてから、食事を始めた。

 コルネリアが作ったキャロットラペの心地よい歯ごたえと酸味が、寝起きの身体を内側からすっきりと目覚めさせてくれる。


「このビーツのパン、噛めば噛むほど野菜の深い甘みと小麦の香りが広がって、本当に美味しいですわ。昨日の双子さんたちが、あれほど自信を持ってお勧めしてくれた理由がよく分かります」


「ええ。野うさぎの台所の料理もそうでしたが、あの街には、素材の力を極限きょくげんまで引き出す素晴らしい技術を持った職人たちが集まっているのですね。昨日のお出かけは、新しい発見に満ちたとても良い一日でした」


 カエラムがオムレツを切り分けながら、昨日のデートの余韻よいんを穏やかに語る。

 二人が食後の紅茶を飲みながら、静かで満ち足りた朝の時間を共有していた時のこと。


 ――森の入り口へと続く小道から、土を深く、そして規則正しく踏みしめる重厚な足音が近づいてきた。


 カエラムが立ち上がり、診療所の分厚い木の扉を開け放つ。

 そこには、太く逞しい脚と、深い黒曜石こくようせきの瞳を持った見事な農耕馬の姿があった。

 その馬の立派な首筋を優しく撫でながら手綱を引いていたのは、近隣の村で土地を耕している初老の農夫――イザークであった。


「先生、コルネリアのお嬢さん、おはようございますだ。朝早くから押し掛けてしまって申し訳ねえです」


 顔の深いしわを寄せて柔和にゅうわな笑みを浮かべるイザークの姿に、カエラムとコルネリアはほっと安堵の息を吐き出した。


「おはようございます、イザークさん。怪我けがや急病でなくて安心いたしました。とても立派なお馬さんですね」


「おう、こいつは俺の長年の相棒ですだ。重い荷物も文句一つ言わずに運んでくれる、頼もしい家族でしてね」


 イザークが愛馬の鼻面を撫でると、農耕馬は応えるように静かで温かい呼気を漏らした。

 診療所の裏手にいるファノーネも、同族の気配を感じ取ったのか、短い挨拶のような鳴き声を上げている。


 イザークは馬の背に掛けられた荷袋の中から、新聞紙に包まれた大きな束を取り出し、コルネリアの前へと差し出した。


「今日はね、春の山の恵みがたくさん採れたから、いつも世話になっている先生たちにお裾分けに寄らせてもらったんですだ。それから、あの裏庭の菜園の様子も少し見させてもらおうと思ってね」


 包みを開くと、そこにはまだ湿った土の匂いを色濃く残す、根本が太く立派なたけのこがいくつも転がり出た。

 さらにその横には、これから黄色い花を咲かせようとつぼみを固く閉じている、瑞々しい菜の花がたっぷりと添えられていた。


「まあ……! なんて立派なたけのこと、可愛らしい菜の花なのでしょう。大地の生命力をそのまま分けていただいたようですわ」


 コルネリアがペリドットの瞳を輝かせて喜ぶと、イザークは「新鮮なうちにアクを抜いて煮物にすると、ほっぺたが落ちるほど美味えですよ」と得意げに笑った。


 ――山の恵みを台所へ収めた後、三人は連れ立って裏庭の菜園へと向かった。

 朝日を浴びて青々と葉を茂らせる野菜たちを前に、イザークはゆっくりとしゃがみ込んだ。


 そして彼は、土の表面を慎重な手つきですくい上げ、その湿り気や柔らかさ、そして土の匂いを確かめるように目を細めた。

 その横顔は、ただの気の良い村の農夫などではない。

 大地と共に生き、植物の微かな声を聴き取る、土の専門家としての研ぎ澄まされた表情だった。


「……なるほど。春の雨を吸って、少しばかり土が締まってきているだ。野菜たちがこれからさらに土の奥深くまで根を張るためには、もう少し空気を含ませてやる必要があるですだ」


 イザークは立ち上がり、野菜の根元を指差しながら、横で真剣に耳を傾けるカエラムへと的確な助言を与え始めた。


「この時期は、夜の冷え込みから根を守る工夫がいるですだ。落ち葉が完全に土に還った極上の腐葉土ふようどを少し多めにすき込んでやって、保温効果のある特別な肥料を根元に敷いてやるといいだ。そうすれば、野菜たちは安心して根を伸ばし、驚くほど甘く強い味に育つですだ」


 素人の目には全く分からない土のわずかな変化を読み取り、植物の命を最大限に引き出すための具体的な手立て。

 医学の道を究めるカエラムは、分野は違えど、その道を極めた職人の言葉に対して深い敬意を持ち、一つ一つの教えを自らの知識として真摯しんしに刻み込んでいった。


「大変勉強になります。ただ水と光を与えるだけでなく、土の呼吸を整え、根の温度まで配慮する……やはりイザークさんの知識と経験は、計り知れないほど深いのですね」


 カエラムが感嘆の声を漏らすと、イザークは照れ臭そうに日焼けした首の後ろをかいた。


「いやいや、俺はただ長年、土の機嫌を取ってきただけのただの泥まみれの男ですだ。野菜たちが何を欲しがっているか、毎日顔を突き合わせてりゃ、自然と分かるようになるもんです」


 菜園の視察を終え、イザークは再び自身の農耕馬の元へと戻った。

 手綱たづなを握り直し、荷袋の紐がしっかりと結ばれているのを確認しながら、彼はふと独り言のようにこぼした。


「さて、俺はそろそろ行くとするですだ。今日はこれから、街の食堂と、新しく路地裏にできたパン屋に、野菜をたんまりと卸しに行かなきゃならねえんでな。あそこの料理人たちは、俺の育てた野菜の味を誰よりも引き出してくれるから、届けるこっちも気合いが入るってもんですだ」


 ――その言葉を聞いた瞬間。

 カエラムとコルネリアは、ぱっと顔を見合わせた。


 街の食堂。

 そして、新しく路地裏にできたパン屋。


 昨日彼らが訪れ、その素材の奥深い味わいに心から感動した野うさぎの台所とトコトコベイク。

 双子のハーフリングが語っていた、「近所の農家から仕入れた新鮮な野菜」という言葉が、二人の脳内で鮮やかに一つに結びついたのである。


「イザークさん……もしかして。あなたが野菜を卸しているそのお店というのは、ヨーリスさんたちの食堂と、ポポさんたちのパン屋のことですか?」


 驚きを隠せないカエラムの問いかけに、イザークは丸い目をぱちくりと瞬かせた。


「おや、先生たちもあのお店を知っているですか? その通りですだ。あそこの料理長もパン職人も、素材に対して一切の妥協を許さねえ恐ろしい腕の持ち主でしてね。俺の畑で一番上等に育った野菜じゃないと、納得してくれねえんですだ」


 点と点が繋がり、一つの壮大な事実が二人の前に姿を現した。

 王都で心をすり減らしていたカエラムを救い、昨日も極上の昼食を提供してくれたあの温かなスープ。

 そして、色鮮やかで力強い生命力に満ち溢れていた双子の野菜パン。


 街で評判を呼んでいるそれらの料理の根底を支え、あの素晴らしい味を生み出すための最高の素材を土から創り出していたのは、他でもない、目の前に立つこの泥にまみれた初老の農夫だったのである。


 カエラムは背筋を真っ直ぐに伸ばし、イザークに対して、最上級の敬意を込めた深いお辞儀をした。

 コルネリアもまた、ドレスの裾を摘んで丁寧な淑女しゅくじょの礼をとる。


「……イザークさん。あなたの育てられたお野菜、昨日私たちは街で、本当に美味しくいただきました。あなたの長年の知識と愛情が込められた土の恵みが、どれほど多くの人々の心と身体を癒やしているか……言葉では言い尽くせないほどの深い感銘かんめいを受けております」


 カエラムのあまりにも真摯で重い感謝の言葉に、イザークは驚き、やがて顔を真っ赤にして豪快に笑い声を上げた。


「よしてくだせえ、先生! 俺はただの農夫ですだ。俺が土を耕し、彼らが料理にし、先生たちが命を救う。そうやって、この土地の人間はみんなで支え合って生きているんですだ。俺の野菜が先生たちの力になれたのなら、農夫としてこれ以上のほまれはねえです」


 イザークは愛馬の背にひらりと跨り、手綱を力強く引いた。


「それじゃあ、また来るですだ! いただいた命を、精一杯美味しく食べてやってくだせえ!」


 重厚な蹄の音を響かせながら、森の小道を力強く進んでいく一人の偉大な農夫と農耕馬の背中。

 二人はその姿が木々の向こうへ完全に消えるまで、深い尊敬の念を込めて見送り続けた。


 静けさを取り戻した診療所の前で、コルネリアは隣に立つカエラムの横顔を愛おしそうに見つめた。


「先生……今夜は、イザークさんが届けてくださったたけのこと菜の花を使って、春の息吹を心ゆくまで感じられる、特別なお料理にいたしましょう」


「ええ。彼が土と共に育て上げた生命の力を、私たちも余すところなくいただきましょう。あなたが作る料理であれば、きっと世界で一番の御馳走ごちそうになりますよ」


 カエラムが彼女の肩を優しく抱き寄せ、コルネリアが幸福そうに寄り添う。


 人々の温かな繋がりと、土がもたらす豊かな恵み。

 森の診療所の穏やかな春の朝は、今夜の食卓への甘い約束と共に、どこまでも優しく輝き続けていた。

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