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クチナシの花に復讐を  作者: 松井駒子
彼のしあわせ
8/8

1(了)

 オーレリアは、おとうさまのことが、だいすき。


 オーレリアには、おかあさまが、いない。オーレリアが生まれたときに、お空におかえりになったの。だからすこし寂しいけれど、おとうさまがいるから、オーレリアは泣いたりしない。オーレリアは『れでぃ』ですもの。

 おとうさまは、いつもお仕事で忙しい。特に春から夏のはじまりにかけて、この時期はいつもロンドンへおでかけ。だけど、今日ナニィがおしえてくれた。とっておきの秘密をうちあけるみたいに。オーレリアの耳に唇をちかづけて、おとうさまが、かえってきますよ。だから、今日はずっと、世界がきらきらしているの。朝から、おとうさまを出迎える準備をして、それがおわってからは玄関で外を眺める。まだ戻ってきませんよ、なんて、バトラーがわらっていたけれど、オーレリアははやる心が暴れださないように膝をかかえてまっていた。

 そして、ひさしぶりに帰ってきたおとうさまに、オーレリアはとっておきのお出迎えをする。

 おとうさまに座ってもらって、エプロンドレスのスカートいっぱいに溜めこんだお花を、オーレリアはその上に降らせた。降り注ぐ色とりどりの花びらに、おとうさまは微笑んだ。そしておとうさまは、舞い散るたくさんの花びらの中から一枚、白いはなびらを見つけて、すくいとってキスをした。


 おとうさま! おかえりなさい!


 興奮に顔を赤くするオーレリアの手の平に、おとうさまは、白い花びらを贈る。それはあまい、あまい匂いのする、純白の花びらだった。


 ただいま。僕のかわいい、おじょうさま。


 そう囁いて、おとうさまは、オーレリアの金の髪をすくいとる。おかあさまと同じ色。その髪にゆびをからませて、オーレリアのほっぺにキスをした。肌にふれる指先がくすぐったくて、オーレリアはいっぱい笑って、おかえりなさいと、キスをした。

 屋敷の三階。東の奥の間には、入らない事。

 それは、おとうさまとオーレリアの、大切なおやくそく。だけど、オーレリアはいい子じゃないから、もうそこに、何があるかを知っている。

 奥の間は、肖像画のお部屋。おおきな壁一面に、おんなの人の肖像画が並べられている。ひときわ大きな絵の中で、オーレリアのおかあさまと、もう一人のおんなの人が寄り添い、ほほえんでいる。おかあさまの横に立つ、赤毛のおんなのひと。彼女は、きれい。きれいな女は、絵の中に閉じ込められて、わらう。わらうわらう。

 今よりずっと、小さなころ。おとうさまにきいてみたことがある。どうして、オーレリアの名前は、オーレリアなの? それは、可愛らしい問いかけ。自我を意識し始めた子供の、自己確立の一過程。それに、おとうさまは、やさしい眼差しでこたえた。


 お母様が、オーレリアのことを、愛していたからだよ。


 その言葉の違和感に、幼いオーレリアは気付かなかった。

 日が落ちれば、夜の時間がやってくる。おとうさまが、夜毎オーレリアの部屋にひそんでくる。疲れたおとうさまの、ひそかな愉しみは――オーレリアの髪を梳かすこと。


 ひさしぶりにおとうさまがオーレリアの髪にふれるときには、いつも緊張がまっていた。


 すこしでも髪がいたんでいると、おとうさまは途端に機嫌が悪くなる。ナニィを解雇することは、一度や二度ではなかった。おとうさまはいつも笑顔だったけれど、この時間だけは、少し怖かった。その顔から笑みが消え、黙々と鏡を前に、オーレリアの髪の毛を見分する。


 忙しいおとうさま。夜はすこし怖いけれど、いつも、オーレリアとの時間をたいせつにしてくれる。オーレリアの髪を梳かしいつくしんでくれる。だから、その日。オーレリアはおとうさまの手から、櫛を奪った。驚くおとうさまにむかって、オーレリアはとっておきを、言い出した。


 おとうさまに、しかえしがしたいの。


 そういうと、おとうさまは目をみひらいて、そのあと壊れたみたいに笑いだした。大きな声で、わらい続ける、おとうさま。そんな姿はじめてで、びっくりしてしまった。おとうさまはいつも、湖のように静かにわらっていたはずだった。オーレリアは、見慣れぬ父の姿に驚いて、おそるおそる、声をしぼりだす。だから、おとうさまの、髪をといてあげたいの。すると、おとうさまは、笑みをふかくした。


 かわいい、オーレリア。それは、しかえしではなく、おかえしだよ。


 わらいこらえる、おとうさま。その目だけが爛々とかがやいて、何だか怖くて、逃げ出したいと思ったけれど、おとうさまがオーレリアを離さない。逃げ場をうしなったオーレリアは、手にした櫛を、戸惑いがちに、父の金色の髪に添えた。おとうさまの髪の毛は、たっぷりとあまい、蜂蜜色。ひとくし、ひとくし、丁寧に。おとうさまが、オーレリアにするように、やさしく。たくさんの思いをこめて、しかえしをした。そうしているうちに、恐怖は溶けて、むしろ興奮がまさった。うつくしい、おとうさま。おとうさまの髪は、まるで絹糸のように滑らかで、光沢を放っていた。おとうさまがいなくて、さびしいとき、偶に考える。もしもオーレリアに兄姉がいたら、さびしくなかったのかなって。だけどそんな夢想も、こうして父と過ごす時間の中で、消えていく。光悦とした時間は、ふたりだけのもの。きれい。そう思わず声がもれて、鏡を見ると、鏡の中でおとうさまが泣いていた。


 おとうさま?


 オーレリアは瞬いた。泣くおとうさまなんて、はじめてみたから。咄嗟に抱きしめて、涙をぬぐう。なかないで、なかないで。必死に慰めると、おとうさまは涙を止めて、いつもの、とけいるような、はかない笑みをうかべた。


 ありがとう、オーレリア。


 あいしているよ。鏡越しに、おとうさまと目があって、そのお空の色の瞳に、オーレリアがうつる。ちいさな、『わたし』。わたしは、オーレリア。では、オーレリア。あなたは――誰? 三階の、東の奥の、肖像画。そこでわらう彼女は、だあれ?


 おとうさまは、『オーレリア』のことが、だいすき。



               クチナシの花に復讐を――アレンの幸せ―—了


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