03
(でも、カミラの言うことはわからなくもないのよねぇ)
これが儀式でも何でもない日に告げられた言葉ならば、両親だって信じていなかったかもしれない。
「ということは、やっぱりわたくしは来年までに伴侶を得ないと命を落としてしまうってことね」
ソフィーは意気消沈するように見せかけて、カミラをからかう。案の定、侍女の息を呑む音が聞こえてきた。自分の失言にようやく気がついたのだろう。声を上擦らせ、まくし立ててくる。
「だ、大丈夫ですお嬢さま。まだ一年ありますから」
「あなたさっきと言っていることが逆よ」
拳を二つ作り応援してくる侍女を、ソフィーは半眼で見つめた。カミラが口に手をあて、肩を落とす。
「あ、申しわけありません」
自分より三つ上の彼女が同年の少女のように見え、ソフィーは顔を綻ばせた。
「ふふふ、あなたの慌てる姿を久しぶりに見られたからいいわ。それよりカミラ、あの仔も荷物の中に一緒に入れておいてちょうだい」
ソフィーは、枕元に置いてあるシルバーグレーと白色の毛足の長い布地できている仔狼のぬいぐるみを指差した。ふわふわとした肌触りでずっとなでていても飽きない。ピンと立った耳に、つぶらなアーモンドの形をした黒い瞳は昔拾った仔狼に似せたものだ。
「あのぬいぐるみも持っていくのですか?」
カミラが枕元の仔狼を目にし、首をかしげた。
「ええ。あの仔がいないとわたくしよく眠れないもの」
ソフィーは仔狼を手に取ろうとベッドへ近寄った。そのときだ。小さな黒い影が足元を横切る。
「キャァ!」
「いかがなさいました?」
「な、何かが今、通って……」
ベッドからあとずさり、足元を凝視する。カミラがベッドの下を調べ始めた。
「ああ、お嬢さま問題ありません。この子が遊びにきていただけのようですよ」
ソフィーは、侍女の腕に巻きついた黒い物体を認識した瞬間、悲鳴をあげる。
「キャー! ちょ、ちょっとカミラ、何を持っているのよ! それ蛇じゃない!」
「大丈夫ですよ、お嬢さま。この子はおとなしい子ですから」
カミラが平然とした顔で近づいてこうようとする。ソフィーはその分、彼女から距離を取った。
「おとなしいとか、おとなしくないとかの話じゃないでしょう! というか、あなたのせいで蛇が部屋の中に入っていたんじゃないでしょうね」
「そんなお嬢さま、濡れ衣でございます」
「じゃあ、なんで窓もちゃんと閉まっているのに蛇がいるのよ!」
さっきカミラがカーテンを閉めたときは、窓はきちんと閉まっていたように見えた。それにも関わらず蛇が侵入しているということは、つまりそういうことなのだろう。ソフィーが指を震わせながらカミラに指摘すると、彼女はそっと目を逸らす。
「それは……どうしてでしょうかねぇ? あ、きっとお嬢さまにお会いしたかったのですよ。ほら見てくださいお嬢さま。この柘榴石のような紅い瞳。とても人懐こそうな蛇でございましょう。それにこの滑らかな黒い肌は、弾力があって触り心地がとってもよいんですよ?」
「イヤー! ちょっとこないでよ、カミラ! わたくしが蛇嫌いなことを知っているでしょう!」
カミラが恍惚とした表情で蛇の魅力を語るが、さっぱり伝わってこない。むしろ嫌悪感で、総毛だったままだ。
「失礼します、お嬢様。いかがなさいました?」
ソフィーがバタバタと音を立て逃げていると、ノックの音と同時にまろやかな低い声音をした男が入ってきた。
皺のない白いシャツと黒いベスト。それに同色のズボンと革の靴を履いた端整な顔立ちの男を目にするや、ソフィーは彼の元へ駆け寄った。
「フィン! ちょうどよかったわ。カミラが持っている蛇を外へ捨ててきてちょうだい!」
「蛇? 悲鳴が聞こえたので何事かと思いましたがそれが原因でしたか……カミラさんの蛇好きには困ったものですね」
ソフィーよりも顔一つ以上背の高いフィンが、訝しげにカミラを見る。そしてため息をつきながら額に手をあてた。後ろ一つで束ねられたアッシュグレーの髪が肩甲骨あたりで揺れる。
「お嬢さまとフィンさんには蛇の魅力がわかっていただけないようですね。仕方ありません。蛇さん、今度は見つからないように遊びにきてくださいね」
年はフィンの方が上だが、仕事では後輩にあたる彼の態度にカミラの口調が刺々しいものへと変わった。そして渋々といった態で、蛇をなでながら窓へ移動する。
(よく平気で触れるわよね……)
庭先に出たカミラの表情は、恋人との別れを惜しむ女性のようだった。
「あの蛇は何度もきたことがあるのですか?」
侍女と蛇との逢瀬を一部始終観察していると、おもむろにフィンが話しかけてきた。
「え? 知らないわよ。蛇なんてどれも同じでしょ。何度もきたかどうかなんてわかるわけないわよ。何? もしかしてフィンもカミラみたいに蛇を見わけることができるの?」
まさかこの侍従もカミラと同類なのだろうか。蛇と戯れる男の姿を想像しゾッとした。しかしソフィーがフィンから距離を置こうとする前に、彼が否定してくる。
「いえ、できません。ただあの蛇は珍しい色の瞳をしていましたので」
「そうなんですよ! フィンさん意外と見る目がありますね。あの子はとても綺麗な蛇なんです」
室内に戻ってきたカミラが食い気味で侍従の意見に割り込んでくる。瞳を輝かせ語る彼女の白い頬が薔薇色に染まっていた。
「カミラ、蛇談義はいいから作業を進めて」
蛇の話など聞きたくもない。ソフィーはカミラの話を途中で遮り、元々の目的でもあった仔狼を手に取った。柔らかな質感に癒されていると、フィンが顔をしかめる。
「お嬢様、そのぬいぐるみもあちらへ持っていかれるのですか?」
「もちろんよ。この仔がいないとわたくしは眠れないのですもの」
ね、と眼前に仔狼のぬいぐるみを持ちあげ、黒い鼻先にチュッとキスを落とす。つぶらな瞳にたまらず、ソフィーはギュウッと仔狼を抱きしめた。