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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第四章 交わる記憶
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7 宴の席で

 座るはずの主を失いぽつんと残されたクッションが視界に入り、レティスは脳直で思ったことが口に出ていた。


「あ、ミオさんご飯……」

「なに、お嬢の分は部屋に運んでもらうさ。俺が呼びに行ったとこで出てこないだろうしな」


 セイジが隅に控えていた使用人に目配せをする。同じ顔で並ぶ二人の使用人のうち、胸元のリボンが赤いことからリサと思しき使用人が心得たとばかりに席を立って部屋から出ていった。


「ま、ミツルが呼びに行ったら話は別だが、ご機嫌取りはしてくれないんだろ?」

「……」


 沈黙が何よりの答えになっている。

 ハシバは眼鏡を直す素振りを見せてすっとセイジから視線をそらした。その膝の上にはいつの間にかシズが丸まっていて、小さな口を大きく開けてあくびをしていた。


「あとは……そうだな、あいつらも呼ぶか。エマ、あの二人を呼んできてくれないか」

「かしこまりました」


 あの二人というのはクラキとトウマに他ならず、ほどなくして二人は応接室へ姿を現した。

 使用人であるエマから事情を聞いているらしく、ミオが不在であることが話題に上がることはない。二人はセイジを上座にしてトウマ、クラキの順に腰を下ろした。


「そうそう、良い酒が入ったらしいんだよ。お前らも飲むだろ?」

「え、いいんですか」

「俺は遠慮しときます」


 セイジの言葉に食いついたのはクラキで、丸眼鏡の奥の瞳がきらりと輝く。対してトウマはあっさりと首を横に振った。

 曰く、酒は一滴も飲めないらしい。

 飲めそうな外見をしているのに意外だ……と思ったのが顔に出ていたのか、トウマはじろりとレティスを睨みつけた。


「わりーかよ。飲むと気持ち悪くなって吐いちまうんだ」

「そういう体質の者もいると聞く。なに、無理に飲む必要はない。で、ミツルはどうなんだ?」

「あ、いや僕は……」

「なんだよ。酒は苦手か?」

「いえ、苦手というわけでは……」


 ハシバの回答はなんとも歯切れが悪い。


「あれ、ハシバさん、お酒は好き……ですよね」


 以前、そう確かナーシスの村で酒を飲んでいた際は心なしか上機嫌だったことを思い出す。ルーフェの許可がないと飲んではいけないのだろうかと首を傾げるレティスにハシバから鋭い目線が向けられた。

 余計なことを言ってくれるなと目で雄弁に語られても駄目な理由が分からない。レティスは頭の中が疑問符でいっぱいになった。


「そうなのか? じゃミツルもだな。三人分、グラス持ってきてくれ」

「かしこまりました」

「ちょ、セイジさん」

「飲めないなら理由はなんだ? 俺はお前と酒飲むの楽しみにしてたんだがなあ」


 セイジの心底残念そうな口振りにハシバはぐっと言葉に詰まる。

 逡巡したのは数瞬で、ハシバはふうと息を吐き、不承不承といった体で頷いた。


「…………分かりました。少しだけならお付き合いします」




 酒が届き、乾杯を合図として夕食が始まった。

 いただきますの礼をしてレティスはまず小鉢に盛られた野菜の和え物らしきものに箸を付けた。酸味の効いた中に甘みも感じられる、魚や貝も混ざった複雑ながらも繊細な味に驚く。後味はさっぱりしていて口当たりの良さが気に入った。

 次いで運ばれてきた椀の蓋を開けるとなんとも言えない優しい香りが鼻をつく。一口汁を口に含むと磯の香りだけじゃないどこか優しい味わいがした。薄味なのも具材そのものの味を生かしているようだ。

 造りや焼き物といった魚介類はスーティラ出身のレティスは食べ慣れないものだったが、一度口にしてしまうと箸が止まらない美味しさだった。


「お口に合ったようでなによりです。ネネさん、喜ぶと思います」


 ぱくぱくと一心不乱に食べるレティスを見て、配膳するエマが顔をほころばせた。


「ネネの作る料理は美味いからな。成長期だし、しっかり食えよ」


 セイジは嬉しそうにグラスを傾ける。グラスは背が低く、繊細な紋様からおそらく切り子だろう。スーティラ名産の品を遠く離れた地で見ることになるとは思いもよらなかった。


 食事が進むうちに空気が和らいでいき、当初のおだやかでない雰囲気は綺麗さっぱりなくなっていた。

 上機嫌なセイジがおどけた物言いをするとハシバが呆れたように辛辣とも思える言葉を返す。けれどそれは気心の知れている者同士の会話に他ならなくて、聞いていて心地が良かった。


「セイジさん、お注ぎしますよ」

「おう悪いな」


 隣のトウマが気を利かせてセイジの空いたグラスに酒を注ぐ。ついでに反対隣のクラキの空いたグラスにも注いでいた。


「お前もいるか?」

「え、……あ、はい」

「あんま飲み過ぎんなよ。介抱するのはクラキで間に合ってるからな」


 くつくつと笑いながらトウマはハシバのグラスへ酒瓶を傾ける。

 隣のクラキがむっとした顔をしたが、心当たりがあるのかそれ以上突っ込んではこなかった。そもそもすでに赤い顔をしているので酒は好きながらあまり強い方ではないようだ。


(ハシバさん、は……そんな変わらないな)


 少しだけと言いつつすでに結構な量を飲んでいる気がする。

 顔色はさほど変わらないものの、酒だけでなく相当な量の食べ物がハシバの胃に収まっていた。


「そうそう、明日のファーファネル卿との話し合いだが、トウマとクラキにも出てもらうぞ」

「えっ」

「それは光栄っすね」


 クラキは驚き、トウマはえたりとばかりに笑う。


「ってことは、サヤ様の話もするんすか?」

「その可能性もあるということだ。お嬢もいるから部屋の隅に控えてもらう形にはなるがな。必要に応じて声をかける」

「え。ミオさんも同席するんですか?」


 目をしばたかせたレティスにセイジは当然だろうと頷いた。


「あぁ、明日は日曜で学校が休みだしな。イチヤから俺が知らない何かを聞いているとも限らん。なにより除け者にするとあとが大変そうだ」

「あぁ……」


 それはそうだろうな、と納得するレティス。


「それになにより、お嬢のおかげでファーファネル卿がノルテイスラにいることが分かったからな。ミツルを帯同してるってことも。すでに影の功労者だよ、お嬢は」


 セイジは昔から折に触れて神殿に足を運んでいて、一昨年の大祭以降、いつ行ってもハシバは不在だったという。巫子に話を聞こうにも守秘義務の一点張りで跳ね返される中、ミオが風の魔導師たるルーフェと共にいたという話をもたらして状況は一変した。


 五家の目が届かないところで他地方の魔導師と巫子が動くというのは前代未聞のこと。


 大神殿でルーフェと付き従うハシバに会ったというミオの証言は五家の中で問題視され、きゅうきょ話し合いの場を持つように動くことになったらしい。

 当初は五家の一角であるゴジョウ家が行方を探っていたが、しっぽを掴んだかと思いきやするりといなくなってしまう二人に業を煮やした末、ハシバと親しい間柄のセイジが駆り出されることになったそうだ。


「ま、体のいい厄介払いだよ。一銭にもならない上に魔導師と渡り合えって言うんだからな」

「その魔導師に勝負を挑んだことがあるってのはスルーっすか?」

「はは、若気の至りって言ったろ」


 茶化すような物言いのトウマに同じノリでセイジが軽口を返す。


「しかしまぁあの時のお嬢の荒れっぷりはなかなかだったぞ。学校から設備をひとつふたつ破壊したって苦情が来たくらいだ」

「え。なんでまたそんなことに?」


 素朴な疑問が思うままに口をつく。

 答えるセイジは「ここだけの話だが」と前置きしてぐっと身を乗り出した。


「見つけたタイミングが最悪でな。大神殿に行ったのにミツルは不在で、翌朝、ファーファネル卿と一緒に帰ってきたらしい。『ミツルくんが朝帰りしてきた』ってうるさいのなんの」

「へえ、やるじゃんお前」

「……そ、そうなんだ」


 聞くべきではなかったかもしれないと後悔するも時すでに遅し。

 ちらりと横目でハシバの様子をうかがうとひゅうと口笛を吹いて口角を上げたトウマを冷ややかな目で睨んでいた。


「…………あの時はそうする他になかったんです。神殿へ戻る馬車がなかったので、やむを得ず」


 ハシバはあくまで不可抗力であると主張する。


「その最後の馬車を使ったのはイチヤ嬢なんですよ。御者に相当無理を言ったらしく、定刻より前に馬車を動かしたんです」

「はあ? それじゃ朝帰りになったのってお嬢のせいじゃないか。お嬢は知ってんのか? 自分で蒔いた種だって」

「お伝えはしましたし、さすがの姫も五家の名を使って無理を通すのは感心しないと苦言を呈していました。ご理解いただけたかは今ひとつですが」

「あぁ……まぁ、こりてはないだろうな……」


 セイジは同情した口振りでぼやき、おもむろにグラスに口を付けた。


「なるほどなー、イチヤ嬢がやたらルーフェちゃんを敵視してるのってそれが原因か。純情な恋する乙女とか、かわいい婚約者じゃん? そりゃ無下にはできねーな」

「……ですから、婚約者ではないと。僕もイチヤの家も承諾していません」


 にやにやと笑うトウマに揶揄され、ハシバはあきらかに気分を害したようだ。

 眼鏡の奥の瞳が剣呑な光を帯びるも、トウマはどこ吹く風といった体で口角を上げた状態を崩さない。


 緊張感の走る空気を破ったのはセイジで、ハシバの空いたグラスに酒を注ぎつつ「そうは言ってもだな」と諭すように口を開いた。


「そろそろ覚悟を決めておけよ。イチヤとお前の思惑は一致しているとはいえ、イチヤはお前の味方じゃないからな。あれは相当の親馬鹿だぞ? そしてお嬢はそこまで馬鹿じゃない」

「……? すみません、言っている意味がよく……」

「俺が言えた義理じゃないが、卿に向ける忠義の一欠片でもお嬢に向けるべきだと思うぞ。結婚するにしろしないにしろ、いずれお嬢がお前の仕える相手になる可能性は高い」

「縁起でもないこと言うのやめてもらえますか」

「現実を見ろって話だよ。お嬢は次の春には卒業だ。まず間違いなくイチヤはお嬢を補佐に任命するだろうし、お嬢は当然のように巫子を求めてくるだろうな。これにはさすがのイチヤも文句を言わないだろう」

「…………」


 有力な魔法使いが従者として巫子を求めるのはごくありふれた話だ。

 そして補佐――魔導師補佐には巫子が付けられるのが慣例で、魔導師が不在の状況でも補佐には一定の役割があった。

 あくまで巫子側が仕える魔法使いを選ぶという条件があるが、相手が五家ともなればそれは建前にしか過ぎないだろう。


「どうせ卿は遅くとも春には三日月の東(バジェステ)へ戻るんだろ? 次の首長会議はバジェステ主催だ。主催地の魔導師が不在なんて論外だからな」

「なーる。だからその前にとっ捕まえて話し合いを?」

「口は悪いがそういうことだ」


 戻られて何事もなかったかのようにされては五家の面子が丸潰れだとセイジは言外に告げる。


 ちらりとハシバを覗き見ると眼鏡の奥の瞳が揺れていた。苦虫を噛み潰したような、とてもではないが納得いかないといった心情がありありと読み取れる。

 レティスの視線に気付いてわずかに和らぐも、ハシバは憮然たる面持ちのまま、ぐいと手元のグラスをあおった。



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