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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
後日談

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後日談 初恋の終わり 1

時系列としてはエピローグ「3 飴と鞭」と「4 居場所」の間。

最後にハシバが「神殿を出ていく」と描写しましたが、神殿を出てどこへ行くのか?のアンサーとなります。

※直接ではないですが性暴力の描写があります。苦手な方はご注意ください。




『どうしたの? なんで泣いてるの?』


 そう声をかけられ見上げた先で、初めて見る色彩にミツルは目を奪われた。

 さらりと肩から零れる癖のない薄い茶の髪。瞳の色は若葉にほんの少し青を混ぜたような色合いで、どこまでも透き通っている。

 小さなミツルに視線を合わせるようにしゃがんでくれた彼女は、へにゃりと眉を下げて困ったような顔をした。


『もしかして迷子? んー……サヤさんのとこに連れてったらいいのかな』


 形の良い唇から発せられる声は耳に心地良い上に、なんか良い匂いがする。

 困らせたくなくて、泣くのをやめた。


『……ぼく、イズミさんとはぐれちゃって』

『イズミさん……ってなると、マナ様のところの?』

『うん』

『そっか。それじゃ、連れてってあげる』


 差し出された手を取れば、にこりと笑ってくれた。

 滲む視界の先に立つその人は、きらきらと輝いて見えて――あの日からずっと、ミツルにとってルーフェは光だった。





 「話がしたい」とルーフェがハシバの部屋を訪れたのは大祭五日目の夜のこと。

 ずっとハシバを避けていたというのにどんな心境の変化があったのか。不思議に思うと同時に願ってもないことでもある。

 ハシバは一も二もなく受け入れようとするが、はたと置かれた状況を顧みて動きが止まった。


「……その、場所を移しても?」

「? ここじゃだめなの?」

「あいにく散らかっていまして……」

「……ハシバの部屋が片付いてないのは今に始まったことじゃないでしょ?」

「…………昔のことを持ち出すのはやめてもらえますか」


 一人部屋を与えられたばかりの頃のことを言っているのだろうと察してハシバは息を呑む。

 世話を焼いてくれていたイズミが消えたこともあり、一人ではうまく部屋の片付けができなかった。足の踏み場がなくなるまで部屋を荒らしてしまい、見かねたルーフェが片付けを手伝ってくれたことを覚えている。

 苦い記憶のひとつではあるのだが、ルーフェが覚えてくれているとなると話は別だ。ルーフェの中に、自分の存在がある。それがどんな些細なことであったとしても、ことのほか嬉しいと感じてしまった。


「足の踏み場くらいはあります。それでよければ……」


 どうぞ、と扉を開いて招きいれようとすれば、ルーフェはぱっと瞳を輝かせた。


「いいわよ。全然。じゃ、お邪魔します」


 満更でもない表情を浮かべたルーフェだが、中に入った途端に顔を曇らせる。散らかってはいるが、おかしなものは置いていないはずだとハシバは部屋を一望した。

 巫子に与えられた部屋はそう広くない。備え付けのクローゼットに机と椅子、棚とベッドがあるだけの空間に、紐で縛られた荷物やトランクが所狭しと置いてあった。

 整頓がされていないというより、引っ越し前という形容が正しいだろうか。

 椅子の上に置いてあった荷物を端に寄せ、空になった椅子をルーフェに勧めた。ハシバ自身はベッドに腰掛ける。


 話があるという割に、ルーフェはきょろきょろと室内を見渡してばかりで口を開こうとはしなかった。

 壁にかかった魔道具時計が時を刻む音がいやに耳につく。夜も遅いと言っていい時間で、長話をするのであればそう悠長にはしていられないだろう。

 促すように、ハシバから切り出した。


「話があるとのことですが……その、レティスから少しは聞いています。色々と言いたいこと、聞きたいことがありそうだと」

「あ、そう。そうなの」


 我に返ったようにルーフェが姿勢を正した。

 互いに座れば、いつもは合わない視線の高さが合う。

 部屋に灯りをつけてはいるが、遅い時間ということもあって光量は絞っていた。雲が晴れたことで月が顔を覗かせ、はめ殺しの窓から差し込む光によって充分な明るさが確保できている。


「……眼鏡は? ずっとかけてないみたいだけど、なくて大丈夫なの?」


 おずおずと、どこか気まずそうに切り出された。

 言われてみれば、救出されてからはずっと裸眼で過ごしている。


「問題ありません。元からなくても見えるので」

「え?」

「あった方が、貴女が過ごしやすいかと思ったのでかけていました」


 眼鏡をかけるようになったのは視力が落ちたからではない。閨でのことを思い出すのか挙動不審になるルーフェを見ていられなくて、見た目を変えればと思ったのがきっかけだ。

 ルーフェと距離を取るためだったが、その必要がなくなったから、かけるのをやめた。

 それだけの話だと告げれば、ルーフェは不満げに唇を尖らせる。


「……そんなの、聞いてないんだけど」

「僕が勝手にしたことです。気に障ったのであれば申し訳ありません」

「そうじゃなくて。ずっと嘘ついてたってこと?」

「否定はしません。けど、貴女を傷付けたくてついた嘘はひとつもないです」


 自分の気持ちに蓋をして、漏れないように仮面を被っていただけだ。

 ルーフェは理解できないとばかりに頭を横に振った。


「認めないでよ、もう。……嘘をつくならつき通してよ。今更実は、なんて言われても……」


 睨みつけてくるエメラルドグリーンの瞳は揺れている。


「なんでそんな……嘘をついてまで一緒にいるのが嫌だったのなら、どうして私を庇ったりしたの」

「あれは身体が勝手に動いて……僕は、」


 貴女の巫子なので――と、これまでならば続けていた。

 それは嘘ではないが真実でもない。あくまで事実を述べただけであり、同時に二人の間に一線を引く言葉だ。

 本音は、巫子かそうでないかは関係がない。


「……貴女が好きだから。好きな人に傷付いてほしくなかっただけです」

「……っ」


 ものすごい勢いで顔を逸らされてしまった。

 髪の合間から覗く耳先だけでなく、首筋までほんのりと朱に染まっていく。


「…………――ってたんじゃないの?」


 しばしの沈黙の後、ぽつりと漏らされた言葉はよく聞こえなかった。


「? すみません、よく聞こえなくて」

「……私のこと、嫌ってたんじゃないの?」

「嫌ったことなんて一度もないです」

「嘘。ならなんで突き放してきたの。名前で呼ぶなって」

「それ、は……距離を取らないといけないと思ったからで……」


 痛いところを突かれてハシバは口ごもる。

 ハシバへ向き直ったルーフェの表情は険しい。


「ほら。そう思ったってことは、私のことが嫌になったんでしょ?」

「違います。あれは、あの時は……他にどうしようもなくて……」


 言い淀むハシバの身体は強張り、手足から血の気が失せていく感覚に襲われる。

 みるみるうちに顔色が悪くなっていくハシバを前に、ルーフェはぎょっとした。


「え、え? やだハシバ、まだ体調悪いの? 誰か呼んで、」

「待ってください。大丈夫、です……」

「でも」

「ちゃんと話しますから。……気分の良い話ではないんですけど、聞いてもらえますか?」


 腰を浮かせかけたルーフェを制し、ハシバはふうと息を吐く。


 ――許されるのであれば、今すぐにでも逃げ出してしまいたい。


 そうしなかったのは、逃げていては一生ルーフェに向き合うことなどできないと悟ったからだ。

 願いを叶えるためにも避けては通れない。

 ハシバは意を決して、胸の奥底に横たわるどす黒い記憶の箱に手をかけた。





『名前で呼ばないでほしいんです』


 そうルーフェに告げたのはハシバがちょうど今のレティスくらいの年のことだ。

 神殿に暮らして早十年。シラハの姓ではなくハシバとして生きることの方が長くなり、周囲の目も随分と和らいできていた。

 背も伸びて、次にルーフェが大祭に訪れた時には目線の高さが逆転しているかもしれない。

 時折訪れるセイジと行動を共にすることを除けば何の変哲もなく、穏やかに日々が過ぎていく。

 そんな毎日は、馴染みの巫子から声をかけられた暑い夏の日に終わりを告げた。


 相談したいことがあると呼び出されたにしては夜遅いのが気にはなったが、断る理由というほどでもない。

 指定された部屋へ向かったハシバを待っていたのは、見慣れた巫子の見知らぬ姿だった。

 上衣がはだけて胸が露出している。上気した顔で抱きつかれてハシバは一も二もなく逃げようとしたが、入り口を塞がれてしまった。

 戸惑うハシバに巫子は妖艶な笑みを浮かべてにじり寄ってくる。


『逃げないでよ。わたしと一緒に、巫子の力のお勉強しましょ?』


 公にされていない巫子の力のひとつに、魔力移し中は『子ができなくなる』というものがあった。嫉妬深い精霊によって、子種が魔力へと変換されるのではないかというのが通説であるが真偽の程は不明。ただ、史実から避妊効果があるのは明白で、疑いようがない事実でもあった。

 そのために巫子は神殿で、力の制御の仕方を学ぶ。いついかなる時も感情に流されないよう――不用意に子を孕み、孕ませるということがないように。


 とはいえ、いきなりの実地訓練は聞いていない。

 あるとも思っていなかったというのが正直なところで、心構えも何もあったものではなかった。

 怯み、後ずさるハシバに、巫子は断るのなら大きな声を出すからと囁いてくる。

 この状況で人を呼ばれたらどうなるか――衣服の乱れた女の巫子と、そうでない男の巫子。どちらの言い分を聞いてもらえるかなんて、分かりきっていた。


「……嫌で嫌でたまらないのに、拒めなかったんです」


 気持ちとは裏腹に、身体が勝手に反応する。立場が上の巫子相手に抗うことなどできず、そのままずるずると関係を持ってしまった。


 そこから、歯車が狂い始めていった。

 一度きりのことだと思っていたのはハシバだけで、その後も巫子は訓練を強要してくる。おまけに一人、また一人と相手が増えて。幾度も重なり、万が一の重圧に押しつぶされそうになるのに、誘われると抗えない。


 罪悪感を募らせ、日に日に病んでいくハシバの異変に気付いたのはシオンとセイジだった。

 シオン相手には何でもないと虚勢を張れたが、セイジ相手に隠し事ができるわけもなく、気付けば洗いざらい事情を話してしまっていた。

 そこからのセイジの動きは早い。マナには知られたくないと拒むハシバを説き伏せ、セイジが直接マナへ直訴することとなった。


「……それで? マナはなんて?」


 ルーフェはおそるおそる問いかけてくる。


「姫はすべてをご存知でしたよ。その上で、容認しておられました」

「……」

「セイジさんが言うには、最初からそのつもりで僕をそばに置いていたそうです。……残された巫子の、訓練相手となるようにと」


 サヤが消えたのを契機に、ハシバを除く男の巫子はすべて免職となっていた。巫子の役目を思えば男女揃っているに越したことはないのに、だ。

 合わせてセイジはマナから巫子の力の一端を伝えられたらしい。

 大切な役目のひとつでもあり、巫子として生きるのであれば避けられないことだと。


「……そうね、マナならそう言うでしょうね」


 眉間にしわを寄せ、ルーフェは苦々しくつぶやく。ルーフェも似たようなことをマナから言われたことがあるのだと容易に想像ができた。

 儚げな見た目に反して、マナの内面は苛烈だ。そのことをハシバはあの時までちっとも理解できていなかった。


「……割り切るしかないのだと、セイジさんには諭されました。巫子として生きるんだろう、と」


 巫子を辞めるという選択肢は、なかった。

 裏切り者の『白』の生き残りであるハシバに、マナの庇護下を外れて生きていく術などなかったのだ。


「今なら分かるんです。そうすることで、姫もセイジさんも僕の居場所を作ってくれていたんだろうと。でもあの頃は、ただ……夜が来るのが怖かった……」


 マナへは大恩とともに、恨みとも悲しみともつかない思いがある。

 今でこそ清濁を併せ呑み、凪のように落ち着いたがしばらくは荒れてしまった。


 ぎりぎりのところで踏みとどまれたのは、セイジのおかげだ。

 気分転換に神殿の外に連れ出してもらい、淀む胸の内を吐き出させてくれた。しばしばセイジの仕事を手伝わされることもあったが、それはそれで余計なことを考えずに済んで助かったとも言える。

 そうして少しずつ、気持ちに折り合いをつけていった。



 短い秋が過ぎて冬になる頃には、ハシバの新たな仕事(・・)を神殿内で知らぬ者はいなくなっていた。

 巫子たちのハシバへの態度が様変わりする中、近くにいたシオンは変わらぬ態度で接してくれた。

 今にして思えば、クロセ家での境遇に重なるところがあったせいかもしれない。

 それが同情からくるものだったとしても、当時のハシバには救いのひとつでもあった。


 ――なのに、シオンは急に手のひらを返してきた。

 何がきっかけかは分からない。分かるのは、友と呼べる人を失ったことだけ。

 シオンに押し倒され「他の子とはするのに私はだめなの? どうして?」と責められて、抵抗する気は消えてしまった。

 それからシオンの態度が変わっていく。これまで以上に距離が近くなり、さながら恋人のように振る舞われたが、ハシバは見て見ぬ振りをすることにした。

 シオンを相手にするようになって、助かった面もあったためだ。

 他の巫子からの誘いを断る口実にシオンを使ったことは一度や二度ではなく、そのことでシオンから文句を言われたこともない。

 行為自体もそう頻繁ではなく、奉仕を求められることもない。


「楽な方に流されてしまったんです。……シオンに恨まれるのも無理はないです」


 自嘲するかのようにハシバはつぶやく。

 刺された時は戸惑ったものの、蓋を開けてみればあれは因果応報だった。

 シオンの気持ちに薄々勘付いていながら、素知らぬ顔をした。利用しているのはお互い様。そんな傲慢な思いが招いた結果なのだろう。

 そっとルーフェの様子をうかがえば、エメラルドグリーンの瞳が揺らいでいる。唇は真一文字に引き結ばれ、わずかに震えているようにも見えた。


「……貴女と距離を置いた方がいいと提案してきたのはシオンなんです。これまで通り振る舞えるのかと問われて、……それは無理だな、と……」


 ハシバがルーフェを慕っているのは、神殿に長くいる巫子の間では周知の事実だ。

 当然シオンが知らないわけはない。ルーフェのように髪を伸ばし、立ち振る舞いまで寄せたシオンを前にして、目の前が真っ黒に染まっていく。

 どろりと汚れた手で、身体で。どんな顔をしてルーフェに会い、言葉を交わせばいいのか。


「いえ、シオンは関係ないですね。僕が一番、僕自身を許せなかったんです」


 ――光のようなルーフェには無垢な”ミツル”だけを覚えていてもらえたらいい。

 そうして出せた答えが、呼び名を変えてもらい、関わりを断つことだった。


「だからその、けして貴女が嫌になったわけではなくて。……合わせる顔がなくて、逃げてしまったんです。もしそのことで貴女を傷付けていたのなら、申し訳な――」


 下げた頭がぎゅうと何かに抱えられて、謝罪の言葉を最後まで言うことはできなかった。






続きは夜に更新予定です。

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