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9.純情派仕事人

この小説にはパロディ、オマージュがあるので、参照元を検索エンジンに入力したURLを脚注としてつけておくことにしました。

例)タイトル https://www.ecosia.org/search?q=The+Catcher+in+the+Rye


たぶんURLを踏むと草が生えます。

検索エンジンについて https://www.ecosia.org/search?q=Ecosia+wiki


全13話構成です。

拙い文章ですがよろしくお願いします。


※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。加えて、このなかで語られた言葉はいかなる真実をもふくみません。

「ジェームズとケビンがリビジョンされただって!?本当か?円さん?」


 外民田二丁(※1)にある寿司風万能食(※2)で大きな声が上がった。


「ああ!モンドさん!あの2人がやられちまった!CY-D地(※3)のアパートでだ。」


 カウンターに肘をつきながら、角刈りで青い制服を腕まくりした(※4)が言った。


「ジェームズはまだしも、ケビンまで……。」


 そう言うと、よれた灰色のスーツを着たモンドと呼ばれた(※5)は目の前の猪口に入った液体を一口含んだ。


「被疑者は昏一朗という若い男。こいつです。」


 円は鞄から板状の端末を取り出しモンドに見せた。そこには三白眼の若い男が写っていた。


「こんな青年が……?」

「どうもそうらしいですよ。昏は違法改造したドリームキャッチャーを使って周囲の電脳の情報を書き換えるんだとか……。アパートの前に病院で夢遊病者を発生させたらしい。」

「情報を書き換える?」

「ええ、何でも電脳をルー(※6)させたり、夢を見させて夢遊病者を発生させたり…。それで2人は記憶を書き換えられちまって、ルー(※7)の中に閉じ込められた。だから、リビジョンされたんです。2日前の夕方のことです。あ、板長!中トロ風味一貫!」


 円はカウンターの向こうにいるアンドロイドに声をかけた。


「はいよ。寛吉さん。そうくると思ってもう握ってるよ。」


 アンドロイドは万能食の載った皿を円に差し出した。


「ジェームズ…浅はかな夢を見るなと言ったのに……。」


 円は万能食を手で掴みながら言う。


「心配ないさ。モンドさん。リビジョンされても日常生活には支障がない程度らしいですぜ。治安維持管理者も続けられるみたいだし。」

「そうか……。この昏と言う男はどういう奴なんだ?」

「詳しくは聞いていません。基本的には大人しい男だが、熱中すると周りが見えなくなるとか……。あと、何だかよく知りませんが、民衆主義者?とか何とか言ってたな。」

「民主主義者か!」

「知っているんですか?モンドさん。」

「ああ。民主主義は古代のイデオロギーだ。人が為政を行う上で最も優れた理念、制度だ。大衆迎合主義に陥ったり、僭主を生み出すことがあるという欠点があるが、われわれ人類にこれ以上の理念を生み出すことはできないだろう。」

「はあ。そうなんですか。」


 円は湯呑みに入った緑色の液体を飲んだ。それから、モンドは少し考え込むような素振りを見せて口を開いた。


「円さん。私から言い出して悪いのですが、脱走したbio-Aの捜索について……。」

「分かってますって。ここはワシが片付けましょう。昏の捜査の時は気をつけてくださいよ。リヴァイアサンと取引のある“情報屋”の情報によるとこの街には何人もの民衆主義者が潜伏しているとか。」

「大丈夫ですよ。円さん。私が奴らに遅れを取るとでも?」

「いやー、モンドさんに限ってそんなことがあるわけがないか!ハハハ。それはそうとモンドさん、bio-Aの捜索をワシが受け持つ、そのかわり……」


 円の顔に笑みが浮かぶ。


「もちろん、この店は私が持ちましょう。」

「やったーっ!じゃあ、板長!ワシに……ん?電話がかかってきた。」


 そう言うと円は目を閉じた。


「げ!部長!……いやー!もう作成し終わってはいるんですが!ついうっかり。はい、すぐに提出しますので…。」


 平謝りの言葉を口にしたかと思うと円はモンドを見た。


「すまん、モンドさん。始末書を提出していないのを部長に怒られちまった!」

「相変わらずだなぁ、円さんは。」


 モンドは慌てる角刈りの男を見ながら笑った。


「今日のところは引き上げることにします!」


 円がそう言うと、その目が一瞬赤く光り、脱力したように俯いた。


「オートパイロットで帰還します。」


 そう呟くと角刈りの男のドールは店を出て行った。


「さて、じゃあ私もここいらで。釣りは要らないよ。」


 モンドは今や誰も使うこともない紙幣を取り出すと、カウンターに置いて店を後にした。


 千鳥足で杖をつき、頬を赤く染めたモンドは暗く寂れた夜の町を民田(※8)に向かって歩いた。昌平(※9)に差し掛かると橋を挟むようにして走る二つのメトロのレンガ調の高架が川の上で合流するのが目に入った。モンドはそこで立ち止まり欄干から合流するメトロを眺めて風に吹かれていた。すると、頭の中で低い嗄れた声がした。


「モンド……。私は君に昏を追えという命令は出していない……。」

「リヴァイアサン…。酔いが覚めてしまったよ。」

「酔う……?面白いことを言う。本当に酔ったことなど今まで一度もないだろう。……君には明日からステルスゲームの夢遊病者の捜索をしてもらう。」


 メトロの光と騒音が高架の上を駆けていく。モンドのよれたスーツが風になびく。


「やれやれ。困ったなぁ。だが、リヴァイアサン……。私はお前の指示には従わない。」

「……何度目の命令違反だと思っている?君を捕らえることも出来るんだぞ?この都市に隠れる場所などない。」

「なら、捕らえてみなさい。やれるものならな……。」


 モンドは杖を握りしめた。


「……今回限りだ。君の独断的な行動を許すのは……。」


 舌打ちをする音とともにリヴァイアサンは沈黙した。モンドは川の水面に揺れる夜の光をしばらく見て、呟いた。


「さて、耶摩手中央(※10)に戻って資料を確認するか。」


 再び走ってくるメトロを後に男は立ち去った。

 耶摩手中央署に戻ると受付に座っていたローレルがモンドに声をかけた。


「モンドさん、聞きました?」

「…?……何をですか?」

「今日の昼、丸の外にある四菱重工社の電脳にルー(※11)が発生したって。」

「そうなんですか?それは一体どんな状況だったんですか?」


 ローレルは話に食いついたモンドを見て笑顔になった。


「ええと、事件が起きたのは14時ごろで、その時ある装置の設置されている部屋を中心に周囲450mの電脳がルー(※12)し始めました。」

「はあ……そのある装置というのは?」

「端末にお送りしますよ。」


 ローレルの目が赤く光ると、モンドは手に持った四角い板状の端末を覗き込んだ。そこには立方体のような装置が3つ並んでいた。


「これは……?」

「ご存知ないですか?素粒子プリンタというものです。」

「素粒子プリンタ?」

「マターと呼ばれる万能物質から物質を生成する装置です。」

「ほう。そんな装置があるんですね。」

「ええ。どうやらその装置が起動されたらしく、この一帯の電力消費量が急激に増加したのをリヴァイアサンが感知しました。」

「なるほど……。」


 モンドは手で顔を撫でて考え込み始めた。


「円さんから聞きましたよ。あなたが昏一郎の事件に興味を持ったと。」

「そうか…昏は自身のアパートでも電脳をルー(※13)させている……。」

「ええ、だから……」


 そう言うとローレルは目を閉じてピタリと動きを止めた。


「ローレル?」


 モンドが声をかけるとローレルは目を開けた。


「モンドさん。またルー(※14)が発生しました。」

「何だって?」

「今度はMN-T地(※15)の林美術館です!」

「よし、すぐに行こう。地図をくれ。ローレル。」

「わかりました。モンドさん、今回の被疑者は半径450mに近づくと危険と考えられます。念のためにスナイパーの下平を配備しましょうか?」

「いや心配無用さ。」


 そう言って、モンドは端末に地図を受け取ると耶麻手中央署から出て、メトロに飛び乗った。


 メトロH04(※16)に着くと、そこから見える林美術館のもとへと歩き始めた。道の途中、学生帽をかぶってボロボロのマントと学生服を着た男とすれ違った。モンドはそのまま歩こうとしたが、ふと気になって振り返るとその男の姿の影も形もなかった。少しその男を探したが、どこにも見つからず、違和感を感じたものの急いで目的地へと向かった。


 現場には既に数名の治安維持管理者が到着して何かを話し合っていた。


「こんばんは。ちょっといいかい?」

「何ですか?あなたは?ここは今治安維持管理者以外は立ち入り禁止です。」


 黒服の若い男がモンドの前に立った。


「あー、そうだなぁ…」


 その時、奥からもう1人治安維持管理者が現れた。青い制服を着て鼻の下に髭を蓄えている。


「おや、モンドさん!」


 黒服の男たちがその言葉を聞き表情を変えた。


「モンド……?では、あなたが仕事人の?」

「やあ、小原部(※17)。お久しぶりです。」


 奥から現れた男は若い男の肩を掴んだ。


「君、この方は古株の治安維持管理者で仕事(※18)と呼ばれた英雄だ。失礼のないようにな。」

「はい!」

「では、私は増援を指揮する。」


 そう言うと入り口のドアが開き男は外へ出ていった。後に残されたモンドが黒服の男に尋ねた。


「それで、状況はどうなっている?」

「この前の病院や四菱重工社と同じです。」


 黒服の男は緊張した面持ちで答えた。


「ルー(※19)しているんだな?」

「はい、保管庫の電子機器がループして、アンドロイドは夢を見ています。ただし、コモンセンスで確認したところ、保管庫内の作品に盗み出された形跡はありません。」

「それはよかったが……。やれやれ…わざわざ耶摩手中央署から急いで来たかいがあった。」


 入り口のドアが閉まりかけた時、モンドは視界の端で何かが動いたのを見た。


「ん?」


 モンドはその方向へ振り向いたが、そこには何もなかった。


「どうしました?」


 杖を両手で握りしめてしばらくその方向を見つめ、納得のいかない様子で言った。


「……いや……何でもない……。そういえばさっき、今時珍しい民主派のバンカラ青年を見たよ。」

「バンカラ?」

「最近の若い人たちは知らないだろうね……。」


 モンドはそう呟くと猫背で杖をついて美術館の中へと入り込んでいった。モンドは朝まで美術館の中を見回ったが、何一つ盗みも毀損もなく、収穫はただBanned Skyの作品の展示室の中で昏の姿が一瞬映った映像記録しかなかった。


「昏以外の音声が入っている……。例のbio-Aか。」


 署に戻り記録を保有していたアンドロイドに話を聞いても「赤い部(※20)」がどうとか事件とは関係のないことを話すばかりで真っ当に聴取ができる状態ではなかった。モンドは若い黒服の治安維持管理者と見解について話し合っていた。


「おそらく、昏は単にこの”Love is in the sin”を直接目視したかったのではないでしょうか?この作品には保存のために特に厳しい閲覧制限が課せられていますし……。昏の父親がこの作品を愛好していたのはレヴィより報告を受けています。」

「まあ、普通に考えるとそうなんだけどねぇ……何か引っかかるんだよなぁ。」


 そう言いながら、モンドは四角い画面のついた端末を取り出してみるも、ただ手が画面の上を滑るばかりで、何を見るでもなかった。


「全く、厄介だな。目撃者はいないし、周囲の電脳が改ざんされる以上、何も手掛かりが得られない……。」


 その後、モンドは丸の外にある四菱重工社に行って事件当日の話を聞くも、やはりまともな答えは得られなかった。


「刑事さん、この廊下が永遠に続いてい(※21)んです。ただそれだけです。ずっと走り続けて走り続けて……そして、気づいたら病院のベッド上にいたんです。」


 それから、署に帰投したモンドはロケットマンの起こしたバイオテロの後始末で署内が騒然としているのをよそに、1人昏の事件について考えていた。そして、日が暮れて今日もまた円とどこかに飲みにでも行こうかと考えていた時、再び事件が起こった。


「モンドさん!ペインテロルが起こりました!」


 若い黒服の男がモンドのデスクに駆けつけてきた。


「柴田くん……そう騒ぐんじゃない。今となっちゃ珍しいことだが、私が若かった頃はそこまで珍しいことではなかった。」

「でもモンドさん。重要なのはそれだけじゃありませんよ。ペインテロルの犯人が昏と見られる男に殺されたんです。声帯認証によれば同一率は98.97%です。」

「何だって?」

「今回は被害者のコモンセンスに記録が残っています。もしかしたら、現場からも何か手がかりが出るかもしれません。」

「なるほど。すぐに向かおう。」


 モンドはすぐに署を飛び出してメトロに乗り込み、G01(※22)へと向かった。駅の改札を出ると、ペインテロルのニュースの報道が始まり、駅周辺のモニターが一斉に赤い画面に切り替わりはじめ、夜の街を赤く染めていた。


 モンドの見た事件現場は小綺麗なアパートで、青い制服のアンドロイドが現場検証を済ませて、人気の引いた後だった。


「ハァ、もう片付けられてしまったかァ。」


 モンドは端末を取り出し、残っていたアンドロイドに声をかけた。


「おい君、私のこの端末に被害者とこの部屋のコモンセンスの記録をくれないか?」


 するとアンドロイドの目が赤く光り、口を開いた。


「モンド、何度でも言う。君にこの件の捜査を頼んだ覚えはない……」


 リヴァイアサンはしわがれた声でそう言い放った。するとモンドは端末を操作し始めた。


「フフフ。そうだな。お、でもデータベースにアップされているじゃないか。」


 リヴァイアサンは苛立ち紛れに言った。


「チッ!見たければ見ればいい。」


 モンドが再生すると、画面は血の色で染められていたが一瞬で補正された。

 映像を見るとミキサーに手をかけている少女の部屋にbio-Aと昏が入ってきた。昏が少女を説得しようとするも、コモンセンスの切断は不可能だと言われ、錆びた斧が振るわれたところで映像が切れた。


「これだけかい?」

「それだけだ。余計なことをせず君は夢遊病者の捜査に取り掛かれ。」


 リヴァイアサンはすぐさまモンドを追い払おうとした。


「なるほど。説得しようとするあたり、まともな感性を失っているわけではなさそうだな……。」

「……犯罪者に共感するのか?」

「いやあ、そういう訳じゃないが、まだ何かこの若者には弁明の余地があるような気がしてね。」

「くれぐれも変な気を起こすなよ……。」


 それから、モンドは数日間何をするでもなく、署内で自身の端末の映像を何度も見直しては昏の動機について考えるということを繰り返していた。そして、署内が“科学的幸福”の崩壊でざわめき立っている中、モンドは最初に事件のあったSJ-K地(※23)のWアカデミー医学部付属病(※24)に向かうため、メトロに乗り込んだ。


「確か報告書によると……。」


 モンドはメトロE03(※25)に降り立つと四角い板状の端末を見て目を細めながらホームを歩いた。


「すいません。お客さん。」


 後ろから声をかけられたモンドが振り向くと制帽をかぶり、真っ黒のフロックコートを着た中年の男が背後に立っていた。


「歩きながら何を見ているんですか?危ないですよ。」

「ああ、これはすいません。ちょっと資料を見る必要がありまして。……。」


 フロックコートを着た駅員は訝しげに端末を見た。


「はあ、“Share”のデータベースを見るに……それは“超薄平板手写筆記本電(※26)”というのですか?原子歴3年に生産停止した骨董品じゃないですか。」

「ええ、まあ。こいつは私の愛用品でして……。」


 モンドは端末の画面を見て微笑んだ。


「それより、駅員さん。あなたは斉藤丙竹さ(※27)ではありませんか?」


 駅員は驚いたようで目を見開いた。


「ええ。そうですが。それが何か?」

「私は実は治安維持管理者でして……。」

「治安維持管理者?すでにメモリーキャッチャーにて聴取は完了しましたが……。」

「すいませんねぇ。私はこの目で見たものと直感を一番に信じていて、実際に関係者が感じ、思ったことを自分の足で聴取していくんです。」

「はあ。アナログというか奇妙なというか……」

「署でははぐれ者と呼ばれていますよ。」


 そう言ってモンドは笑いながら、端末に一朗の姿を写し、駅員に見せた。


「この男について何かご存知ですか?」


 駅員はその画面を見るとすぐに思い出したようだった。


「ああ、そういえば記憶を聴取されたのはこの青年についてでしたね。」

「ええ。彼について聞きたいのです。」


 駅員は少し不機嫌になった。


「聴取は終わったのにですか。」

「私が聞きたいのは、ただの事実ではありません。」

「じゃあ一体なんですか?」

「聞きたいのは、あなたがその青年を見てどう思ったかです。」


 駅員は解せない面持ちであった。


「どう思ったか……?そんなものが捜査に何の役に立つんです?」

「私は人の感情に基づいて直感で捜査を進めていくタイプでして……。」

「はあ、わかりました。一応モノスコードもお伝えしておきますね。私のモノスコードは978-4-08-321_189-(※28)

「いいですよそんな番号は。それよりも、その青年を見てあなたはどう思ったか聞かせてください。」

「ちょっと見かけた程度ですがね…まず、聴取された記憶にもありましたが……2月6日の昼過ぎに私が鉄道員室で休憩をとっていた時、改札でブザーが鳴ったんです。同僚のアンドロイドが呼ぶから私が出ていくとこの青年が脳波認証でエラーが出ていました。ドール用ゲートと間違えたのかと思ったのですがね、そうでもなかったようで、すぐに立ち去って行きました。」

「なるほど。」

「その時、同僚のアンドロイドが病院に行くかと尋ねたんですが、慌てて断りました。」

「その時の青年の様子を見てあなたはどんな印象を持ちましたか。」

「青年の様子……そうですね。私には何かに怯えているような様子に思えました。」

「怯えている?」

「ええ、辺りをキョロキョロ見渡しながら……まるで人の目を恐れていたかのように……。」

「そうですか。他には何かありましたか?」


 そして、2、3何でもないような質問を繰り返すとモンドは言った。


「ありがとうございます。またお話を聞きにくるかもしれません。」

「もう終わりですか?」


 駅員は拍子抜けしたように聞いた。


「ええ。私はあまり長く聞き込みを行わないんです。それでは。」


 そう言ってモンドはその場を去り駅を出た。駅舎から外に出るとすぐに巨大なWアカデミー附属病院の建物がそびえ立つのが見えた。病院は封鎖が解除され、人気のないいつもの様子を取り戻しているようだった。

 モンドは病院の建物の前に立つと、中には入らずに銀色の棒状の装置を取り出して高く掲げた。そばを走る車が過ぎ去るのを確認すると、その装置のスイッチを押した。


「来い。バタフライ。」


 その言葉とともに装置から青い閃光が発せられた。すると、病院の前を飛んでいた黄色い蝶、道端に飛んでいるアゲハチョウ、曲がり角の向こうからアオスジアゲハ……周囲からどこからともなく色とりどりの蝶が集まり巨大な渦となってモンドの周りを覆った。モンドの目は赤く光り、取り巻く極彩色の渦巻きから大量の市街の記録情報が流れ込んだ。


 数分経つと蝶が1匹、また1匹と渦巻きから離れていった。そして、病院の前にはよれたスーツを着て、杖をついた男がポツリと残った。


「モンド……、バタフライを集めるとこの都市の情報収集に支障が出る……!」

「悪いなァ、リヴァイアサン。私はどうも現地で集めないと気が済まなくてね。奴が歩いていったのはこっちか……。」


 そう呟くとモンドは東に向いた。


「おおっと、道路の補修作業は、ああ、これは過去のものか。」


 モンドは視界に映る道路のひび割れの記憶を踏みしめて、歩き始めた。


「ふむ。本当に特に何もない道なのにキョロキョロと周囲を見ながら歩いている……。」


 視界に映る青年の過去を追い、何かに怯えるようにして歩くその後を歩き続けた。時折、立ち止まってはバタフライを集めて、自身の持っていた水筒から水を飲んだ。


「休憩もせずよくもまあこの長い道を歩くもんだ。」


 民群(※29)まで来ると、青年の肩が大きく揺れ始めた。


「息づかいが荒くなってきたな。」


 生活排水の流れる川を越えたあたりで青年の眼差しが一瞬王家の墓の黒い壁に向いた。そこから青年は強い風から身を守る旅人のように身を縮こめて、一歩一歩踏み出して壁に向かって歩き始めた。そのまま跡を追って行ったモンドは青年の影がアパートに入るのを見送った。


 その後、モンドは前楽園の方向へ歩いて、民田川を見下ろした。


「昏はここでも一度ループを発生させていたな…。」


 モンドは。数日前に円と一緒にこの川を捜索したのを思い出しながら、ただ落ちていく夕日を眺めていた。そして、日も暮れるから帰ろうかと考えて振り返った時、夕焼けに照らされる王家の墓の黒い壁が見えた。そして、ある言葉が思い浮かんだ。


「あと、何だかよく知りませんが、民衆主義者?とか何とか言ってたな。」


 なぜだかその円の言葉が頭から離れなくなった。帰路を辿る昏の、あのどす黒い壁に押しつぶされまいと歩く様子と結びつき、その何の根拠のない繋がりを信じてモンドは歩き始めた。


 “科学的幸福”が崩壊した翌日、一朗達は夕暮れの中、リヴァイアサンの中枢に潜入するために、メトロG07(※30)に降り立った。辺りは警備アンドロイドが徘徊し、ドローンやベネフィシャルインセクトが飛び交っている。


「で?これからどこにいくんだ?」


 ニルは駅の構内から出るや否や樫田に尋ねた。


「フフフ、竜の(※31)にはリヴァイアサンをメンテナンスする科学者達が集う研究所がある、と言うよりもこの研究所群こそが竜の門なのだが…。そのうちの一つから王家の墓に侵入する。」


 樫田は特にこれといった理由もなく笑いながら言った。それを見ながら一朗が尋ねる。


「だが、樫田。ここにはいくつも研究所があるじゃないか。そのどれが王家の墓につながっているんだ?」

「どの研究所も王家の墓につながり得る。ただし、その日その時でつながっている研究所は違う。どの時間にどこで繋がるか知らなければ、竜の門を通ることはできない。」

「へえーそうなのか。」


 一朗は怪訝な顔つきで樫田を見て言った。


「なぜお前はその情報を知っているんだ?」

「……それも俺の商品だからさ。とある開発者に夢を見せて、その中で“説得”して、契約を取り交わした。」


 樫田は自身のポケットから取り出したドリームキャッチャーを振り回した。


「夢の中で?そんなことができるのか?」


 ニルが聞き返すと、樫田に代わり一朗が答えた。


「恐らく共有夢を介して、契約を取り結んだのだろう。普通ならそんなことはできないが、こいつのドリームキャッチャーはリミッターを外せる。」

「それは違法じゃないのか?」

「フフ、それは白でも黒でもない。そこを取り締まる法律は整備されていないからな。」

「そして、今から俺たちが向かうのが……」


 そう言って樫田が近くにある建物を銀色の装置を持った左手で差した時、その肘から先が消えてなくなり、義体から血液が吹き出した。樫田はそこにあったはずの手がなくなっているのを見て、あまりの驚きに思わず口角が引きつった。すぐさま強力な衝撃波が発生するとともに、血飛沫の陰からよれたジャケットをなびかせて、老年の男が現れた。


「何」


 ニルがそう言うが早いか、一朗はドリームキャッチャーを取り出す。しかし、次の瞬間にはその装置は真っ二つに切断されていた。そして、樫田の腕と握られていたドリームキャッチャーが地に落ちて転がった。


「やれやれ、やはり現れたな。」


 仕込み杖を鞘に直しながら、灰色のスーツを着た男は目の前に現れた2人と1匹を見て、ため息まじりにそうこぼした。


「勘で切ったが首を跳ねずにすんだな……。」

「ハハッ、何て運が悪いんだ!こいつは、純情派はぐれドール、モンド!」


 体液の循環が部分停止され、液体の出なくなった左腕を抱えながら樫田が叫んだ。


「純情派?」

「純情派はぐれドール、通称仕事人だ。こいつは“火の一週間”で投入された戦闘用アンドロイド、モデル:アーノル(※32)と同じボディを持つ、最後の戦闘用ドールだ。誰も接続していないのに意志を持って動き続けている……。」


 モンドは一朗たちを見て言った。


「リヴァイアサン。昏とbio-A、そして7年前に死んだ青年……樫田を見つけたぞ。」


 モンドは笑みを浮かべながらそう呟いた。


「なぜ位置と映像を遮断しているんだ!情報を共有しろ!モンド!」


 リヴァイアサンがインカムで叫ぶがモンドはそれに答えず、通信を切った。


「さてと、お前さんたち。ほんの少し僅かな時間、話をしようか。リヴァイアサンがコモンセンスから私を見つけ出し、契約者どもをよこすまで…。」


 一朗たちの前に立ちはだかったモンドは仕込み杖を握りながら言った。


「くそっ。逃げるぞ!」


 一朗がその場から逃げようと踏み出すと、モンドが居合の構えをとった。


「待て!伏せろ!」


 樫田がそう通信したのを聞いて一朗は身をかがめた。次の瞬間、何かがとてつもない速度で通り過ぎて一朗の身体は歩道を転がった。


 一朗が顔を上げると近くのドローンとインセクトは吹き飛び、歩道を歩いていたアンドロイドが一刀両断されていた。路面には二筋の炎が立ち上り、焼け焦げた合成皮革の匂いが漂った。モンドは樫田の残された腕を掴んでいて、首筋に刃を当てて言った。


「逃げようとするのは関心しないな。」

「昏!こいつは抜刀術の達人だ!ハハッ恐ろしい!さっきのは恐らく500m圏外から切りかかって来たんだ。次は逃げられない……!」


 捕らえられた樫田は腕を振り払おうとするも、モンドの手はピクリとも動かない。


「目的はリヴァイアサンか?やめときな。お前さんたちの両親が悲しむぞ。」

「揺さぶりだ!まともに取り合うんじゃないぞ!」

「なるべく穏便に済ませたいんだ。……悪いようにはしない。」


 数秒の膠着の間、一朗は何か手はないかと考えた。しかし、音速を超えて追跡してくる男にもはや為すすべがなくなったと感じた。そして、どうしていいかわからず、一朗はただ話し始めた。


「父が…僕の父親が死んだんだ!」


 モンドは自分の追った男の思いがけない幼さにため息をついたが、諭すように話そうとした。


「一朗くん、それは誰もが…」


 一朗の言葉はモンドの話を遮り、ただ口から溢れ出す。


「し……知っているか!?リヴァイアサンの行っていることを!」

「ちょっと落ち着きなさい。」

「この都市は……リヴァイアサンは、癌で人を殺すんだ!」


 モンドはその言葉を理解できなかった


「何を言っている……?何の話だ……?」

「“科学的幸福”の教祖の話だ。リヴァイアサンはこの都市で癌を治療する医師に対して、その治療方法を提示する時、可視化する選択肢から患者を救える手を選ばせないようにしているんだ。」

「確かにこの都市の死亡原因は癌が飛び抜けているが……。」

「リヴァイアサンはこの都市の人口抑制のために人を殺すんだ。癌で死ななかった人間の寿命は5倍になる……。」

「………その話は本当なのか?」

「少なくとも、その調査の情報は残されていた。“科学的幸福”のサーバーからデータを確認したからな…。」

「そうか……。」

「僕の父は殺されたんだ!リヴァイアサンに!」

「……。」

「法律を破るのはわかっている!……でもどうしたらいいんだ!……どうしたら……どうすればいいのか……それは僕にはもうわからない。でも、ただ一つ分かることがある!僕がしたいことだ!僕はリヴァイアサンを破壊し、父さんを蘇らせる。あの……あの笑顔をもう一度……。そのためならどんなことだってする……!」

「一朗君、君は……君の父さんを愛していたんだな。」


 モンドの気が変わり、哀れみを含んだ目で一朗を見始めた時、都市にサイレンの音が鳴り響いた。遠くにいたアンドロイドやドールが最寄りの建物に避難し始める。


「緊急警報。緊急警報。マグニチュード8.5の地震が発生します。予想される震度は6強。市民の皆様は安全な場所へ退避を」


 間もなく、地面が揺れ始め道路の舗装に亀裂が入り、一朗と樫田は勿論、モンドさえも地面に膝をつき立つことすら叶わなくなった。その隙をついて樫田がモンドの手から逃れると、倒れた一朗の足が樫田のドリームキャッチャーを蹴飛ばした。それはそのまま樫田の目の前に転がった。


「ハハッ!やるじゃないか!昏!」


 樫田がドリームキャッチャーを掴むのを見て一朗は叫んだ。


「よせ!樫田!」


 その瞬間赤い閃光が一帯に広がった。そして、地震が止んだ。モンドは少し沈黙していたがやがて目を赤く輝かせて叫んだ。


「なんじゃこりゃあぁぁ!…………死にたくねぇ(※33)


 一朗は呆然としたが、すぐに我に返って樫田を睨みつけた。


「借りができたな。……テスト用のこいつはくれてやるよ。」


 樫田は一朗にドリームキャッチャーを差し出した。一朗は乱暴にドリームキャッチャーを奪い取った。


「ハハッ。情に流されるなよ。純情派ドールが証明したように、所詮感情なんざプログラムに過ぎないんだから。」


 ニルが倒れてピクリとも動かないモンドを嗅ぎ回りながら、尋ねた。


「どうしてこいつははぐれ者と呼ばれていたんだ?」

「こいつは感情任せに命令を無視して気まぐれに動くのさ。しかも、誰も…リヴァイアサンですら止められないから結果としてはぐれになったのさ。」

「そうか。」

「さて、早く王家の墓に侵入しよう。すぐに治安維持管理者が集まってくるぞ。」


 そのまま、一朗たちは研究所の中に入り、地震の後始末で慌ただしい館内を進んだ。そして、その地下奥深くにあった通路から王家の(※34)に侵入した。







脚注:

※1 https://www.ecosia.org/search?q=%E5%A4%96%E7%A5%9E%E7%94%B0%E4%BA%8C%E4%B8%81%E7%9B%AE

※2 https://www.ecosia.org/search?q=%E8%B6%85%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%AF%BF%E5%8F%B8

※3 https://www.ecosia.org/search?q=The+Ward+of+Chiyoda

※4 https://www.ecosia.org/search?q=%E4%B8%A1%E6%B4%A5%E5%8B%98%E5%90%89

※5 https://www.ecosia.org/search?q=%E8%97%A4%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%93%E3%81%A8

※6 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※7 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※8 https://www.ecosia.org/search?q=%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D

※9 https://www.ecosia.org/search?q=昌平橋

※10 https://www.ecosia.org/search?q=%E3%81%AF%E3%81%90%E3%82%8C%E5%88%91%E4%BA%8B%E7%B4%94%E6%83%85%E6%B4%BE

※11 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※12 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※13 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※14 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※15 https://www.ecosia.org/search?q=The+Ward+of+Minato

※16 https://www.ecosia.org/search?q=Roppongi+Station

※17 https://www.ecosia.org/search?q=%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E9%83%A8%E9%95%B7

※18 https://www.ecosia.org/search?q=%E5%BF%85%E6%AE%BA%E4%BB%95%E4%BA%8B%E4%BA%BA

※19 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※20 https://www.ecosia.org/search?q=Harmony+in+Red+%28The+Red+Room%29

※21 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96

※22 https://www.ecosia.org/search?q=Shibuya+Station

※23 https://www.ecosia.org/search?q=Shinjuku+ward

※24 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E9%83%A8

※25 https://www.ecosia.org/search?q=Wakamatsu-Kawada+Station

※26 https://www.ecosia.org/search?q=超薄平板手写筆記本電脳

※27 https://www.ecosia.org/search?q=%E4%BD%90%E8%97%A4%E4%B9%99%E6%9D%BE

※28 https://www.ecosia.org/search?q=出版書誌データベース

※29 https://www.ecosia.org/search?q=%E7%A5%9E%E6%A5%BD%E5%9D%82%E4%B8%8A

※30 https://www.ecosia.org/search?q=Toranomon+Station

※31 https://www.ecosia.org/search?q=%E8%99%8E%E3%83%8E%E9%96%80

※32 https://www.ecosia.org/search?q=The+Terminator%281984%29

※33 https://www.ecosia.org/search?q=太陽にほえろ!

※34 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B01

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。加えて、このなかで語られた言葉はいかなる真実をもふくみません。

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