十
日本橋といえばきらびやかな商店が立ち並ぶにぎやかな通りが思い浮かぶが、一歩はいったところで、そのような華やかさとは無縁の路地も存在する。そんな通りにひっそりと日茂庵はあった。
「またずいぶんと襤褸なところに。父上もなにを考えているんだろう。まあそれどころではなかったか」
玄関先でぶつぶつと独り言をいっているのは二郎次だった。しかも近所で聞いたところによると、評判の藪医者だというはなしだ。たしかに流行っていないようで、医院というにはあまりにあばら家だった。そのうえ、あたりは背の高い木が立ち並んで昼なお薄暗いおもむきだ。
「やあ、迷ってらっしゃるんかい?」
背中から声がして、振り返るとどこぞのおかみさんがにこにこと立っていた。
「ここの先生を藪だなんて言う連中もいるようですけどね、とんでもない、名医ですよ。ただ、ひとの心がわかりすぎて、そのうえ優しすぎるもんだから、病気の見立てについてほんとのことが言えなかったりするんですよ。それでよく見立てをはずしちゃうだけなんです、ほら、心配せずに、はいったり入ったり」
いや、それを要するに藪医者というのではないか、と言おうとしたところが、おせっかい焼きの中年女は二郎次の背中をぽんと叩くといってしまった。
訪いを告げると出てきたのが坊主頭だったので、おそらくこれがお医者の先生だろう、しかしずいぶんと人相の悪い医者もあったものだ、と思ったら、
「先生はいま往診に出かけておりやすから、そこでお待ちになってくんな……ください」
坊主頭は入り口の脇の待合の間を手で示す。意外なことに何人かの老若男女がいて、彼らがいっせいにじろりとこちらを見た。
「あんたが先生ではないのか」
「おいら……あたしは日茂庵先生の弟子で、看護人の木庵と申しやす。ささ、どうぞおかけになって」
「いや、わたしは患者ではなく、見舞いにきたのだ。今日こちらに入院したものがいるだろう」
「さて、今日――」
と坊主が首をひねるのを、声を聞きつけたか奥から市左衛門が出てきた。
「これは二郎次、どうしておまえ、ここに」
市左衛門は驚愕の目で二郎次を見た。そこまで驚くことでもあるまいにと思いながら、
「父上、兄者が入院したと聞きましてな、見舞いに参じました次第です」
「誰から……といって、誰からであろうと大元の出元は平助に決まっておる。あの丁稚見習いめ、帰ったらさっそく馘首にしてやらねばならん」
「それは少々あの丁稚見習いに気の毒ですな、わたしが無理に言わせたようなものですから。まあどちらでもいいが。それよりもこれ、土産です」
二郎次は持っていた風呂敷包みをかかげた。
「それは」
「蜜柑です。兄上も滋養のあるものを食した方がよかろうと思いましてね」
市左衛門が包みを受けとると、看護人の木庵が、
「こちらで預かりやしょう」
と手を差しだした。
二郎次が文句を言おうとしたが、市左衛門はあっさりと包みを渡してしまった。




