二
次の朝のこと。
お糸が台所から膳を運んでいると、平助がうろうろしていた。
「ああ、お糸さん。手伝いましょう」
ほっとしたように言う。何をしたらいいのかわからないようだ。
「ああ、ならばお台所にいって聞いてくださいな」
ふつう平助くらいの年――おそらく二十四、五といったところだが――になると店のことばかりで、こういう下働きのようなことはしないのだが、丁稚だとのことだからお糸はそう言った。
「はい」と、早足に廊下をお糸の来たほうに戻っていく。
お糸もまた離れに向かう。
「お糸さん、こいつはどこに運びましょう。ついていけばよろしいんで?」
いつのまにか平助が並んで歩いていた。両手にそれぞれ膳を持っている。なんとすばやい男だろう。
「ああ、だれかに訊かなかったの? それはお台所のすぐ横の囲炉裏の間に運んでくださいな」
「え……」
平助がとまどっている。
「これはお粥。一朗太様のところにお持ちするのです。ご病気で臥せっておられるから」
お糸は渡り廊下でつながった離れ座敷に目をやった。
「ああ、こいつは……これはどうも……」
平助は素直にもと来たほうに戻っていった。
「失礼いたします」
襖を開けて顔をのぞかせたのは、今日から働くことになったという丁稚だった。しかし丁稚というにはやけに薹が立っている。二十四だという話だったから、二郎次よりも五つも年上だ。兄の一朗太と比べても三つもうえだ。まったく、親父もなにを考えてこんなのを雇ったのだろう。ちょうどいいのがいなかったからといって、あんな年のいったのをいまさら丁稚で使って、将来役に立つようになったとしてもその頃にはもう隠居の年だろう。だいたいこの年まで何をやっていたのか、ひょっとしたら足を洗ったやくざかなにかではないか。
「これは二郎次様、お役目ご苦労様でございます」
しかしやくざは、腰を折ってていねいに挨拶をしてきた。にこにこと笑った顔はなかなか愛想がよく、元やくざとはとても信じられない。
「おまえは新入りの」
「平助でございます」
「なにしに来たんだい、こんなところへ」
「いえ、わたくし昨日より来たばかりで、何もできませぬゆえ、いろいろとお手伝いのできることはないかと廻っているのでございます」
「反物の目利きなぞ、おまえにはできないだろう」
その小部屋には、引き出しかけた反物がいくつも散乱していた。
「はい、おそれいります。ただ、お引きだしになったものを巻きなおして、しまうくらいならばできるのではないかと、はい」
「巻きなおす、といってもちょっとした骨がいるんだがねえ。まあいい、じゃあこのへんの安いのを巻きなおしてごらん」
二郎次は新入り丁稚に二、三の反物をほぐして渡してやった。
最初はうまく巻けなかったものの、しかしすぐに慣れて二郎次が渡した最後のものを巻き終わるころには、すっきりでこぼこなく巻けるようになっていた。
「おまえ、意外に器用だねえ」
やくざのくせに、と二郎次は目を丸くした。
それから平助は二郎次の目利きを横で眺めて、見終わったものを手早く片づけていった。
「二郎次さんは分家、というか暖簾分けをしてもらって、ご自分のお店を持つおつもりですか」
手を動かしながら、平助が訊いてくる。
「いや、わたしに店を構えるほどの蓄えはないよ」
「でも、旦那様から補助をいただけるんじゃございませんか」
「まあそうだね、この店もそれほど余裕のあるほうでもないが、わたしひとりくらいになら、別に店を持たせるくらならなんとかできないこともないだろう」
「さようでございますか、そうなるとようございますね」
しばらく黙々と目利き、片付けなどおこなっていたが、唐突に二郎次が、
「しかしできるものならわたしはこの店を継ぎたいね。兄貴などよりよほど目が利くと思うし、商売だってうまいつもりだ。兄貴は人が好過ぎるからな」
と言った。
「そうですか。しかし一朗太様はお身体がお弱いようだから、ひょっとして若隠居などなさって、その通りになるかもしれませんね」
「うん、それだ。妙なことに、兄貴は気は弱いが体だけは壮健だったのだ。それがここ三月ばかりで突然、まっすぐ歩くこともおぼつかなくなり、しばらくまえからとうとう寝込むようになってしまった。まさかわたしの考えが呪いになって、と思うとちょっと怖くなっているところなんだ。そんなことがなければいいのだが。兄貴はお人好しなだけで、商売には向いていないってだけで、じつにいいやつなんだ」




