九
玉六郎が軽くなった。
上空で、玉次郎は人形の足が落ちたのを敏感に感じとっていた。
あの浪人の奴めが、だいぶ腕をあげたようだ。
「奥州さん、うえ、ずっとうえのほうだ!」
この声はあの小者だ。向こうから駆けてくる。ちょこざいな。したの浪人にもこちらの姿を見つけられてしまったようだ。
浪人が斬りかかってきた。玉六郎の刀をあげ回り込むために凧を動かすよう糸で兄に通信して刀が交わったところで玉六郎をまた巻きあげようとしたがそのとき凧がおかしな揺れかたをしたので遅れが生じそれがために糸を切られてしまう手応えがあった。
「うっ」
右腕と刀を扱う糸を切られた。
玉次郎の目が敵意に燃える。
同時に玉太郎に通信する。兄者、揺すらんでくれ。跳び鼻を使うぞ。
同時に玉六郎の鼻を発射させる糸を使った。が、またそれと同時に、凧が大きく引っぱられて大きく揺れた。
「うわあっ」
ここまで急な動きは兄者にもできない。なにかが起こったのだ。しかしなにが起こったのか玉次郎にはわからないまま、今度は凧が上昇を始めた。兄からの返信もなく玉次郎は自分でも気づかぬうちに声を発していたがわけのわからぬままぐんぐんと高度をあげる凧に玉次郎は不安になり動転し脂汗をかきついには気絶した。
玉太郎ははるか先の空中に浮かぶ弟と連絡しながら糸繰り車の取っ手と留め金を使って凧を操っていた。ぐるぐると取っ手を回して繰り出す凧紐の長さを調整し、留め金で紐をその位置で固定するのだ。
玉六郎は、去年の浪人と対峙している。こいつを斃せば、面同心をおびき寄せることができるだろう。目論見通りにことが進んでいることに玉太郎は満足し、ひとりニヤリと笑った。
そのとき、ちょいちょいと肩を叩かれた。
振り返ると当の面同心が立っていた。玉太郎は心臓がとまるほど驚いた。驚いた拍子に取っ手を緩めてしまいガラガラと勝手に回ったので慌ててつかみなおした。
するとすぐそこにいたはずの面同心がいつの間にか松の根元に立っていて、幹と糸繰り車をむすぶ縄に脇差をかざしていた。
「うわやめろ」
それを切られたら凧は玉次郎と玉六郎と糸繰り車ごとどこかに飛ばされてしまう。
しかし面同心が玉太郎の言うことを聞き入れるはずもなく、短刀は振りおろされた。縄が切られ糸繰り車は猛烈な勢いで凧に引かれた。
玉太郎もまた腕が抜けそうな勢いで引っぱられつかんでいた取っ手も留め金も放してしまい強烈に地面に投げ出されそのまま意識をなくした。
羽生多大有は松の幹と巨大な糸繰り車を結んでいた縄を切ると、目にもとまらぬ速さで糸繰り車のところに移動し留め金をはずし、ふたたび切った縄の端に戻りそれをつかむと、もう一方の手で凧に引かれて離れていきかけていたもう一方の端をつかんだ。この間、人間が瞬きを一回終えるよりも短かった。
留め金をはずされた糸繰り車は綱をがらがらと繰り出していき、その先につながった凧はその下の操り師、さらにその下の人形とともにぐんぐん上昇していった。
多大有は縄どうしを結わえると、糸繰り車のところに戻りすごい勢いでぐるぐると回る取っ手をつかむとだんだんとその回転を緩めていった。一気にとめたり、あるいは綱の繰り出しが凧まかせのまま終わったりすると、勢いがつきすぎて糸繰り車が破壊されてしまうおそれがあったのだ。
綱の残りの長さぎりぎりのところで繰り出しがとまった。多大有は取っ手を逆に回し綱をたぐっていった。ある程度までくると、凧は勢いを失って人形と操り師は地面に落ちた。
多大有は玉太郎を縛り、担ぎあげると、何町か離れたその現場に向かった。