十五
深夜九つ、まわりの手代たちも充分に寝静まったと思えるころ、新吉はそっと布団から抜けだした。襖を音をたてないよう気をつけて、廊下もすり足だ。
「新吉、こんな夜中にどこに行くんだい」
暗闇からいきなり声がかかったから新吉は跳びあがった。星明かりの下に出てきたのは番頭の文造だった。
「これは番頭さん、へい、ちょいとはばかりに……」
「へえ、おまえは厠に行くのにわざわざ寝巻きを平服に着がえて、そんな大荷物を抱えてくのかい」
その通り、新吉は着物を着てひと抱えの風呂敷包みを手にしていた。新吉の顔色が変わった。
「俺のことを馘首にしたのはてめえだろうが。素直に従って出てってやろうってのに、今度はそれに文句か。いい加減にしやがれ」
「おや、いっぱしの口をきくじゃないか。なにがあたしに従うだ、千代を殺めたのがばれて、もう御用になりそうだ、ってんで逃げだすんだろう、卑怯なやつだ」
「なにい、いつそんなことがばれたってんだ」
「いつばれた、などと、語るに落ちたな、おまえがやったと言ってるようなもんじゃないか」
「この野郎、いまのは言葉の綾だ」
「昼間に岡っ引にだいぶ怪しまれていたようじゃないか。あの調子じゃあ、もう明日にもお縄を頂戴しそうだな。だから夜逃げってわけだ、この人殺しめ」
「もう勘弁ならねえ」
新吉は荷物を捨てて文造に躍りかかった。
「あれ、新吉、なにをするつもりだえ」
文造は大声を出し、その予期せぬ大声に新吉が思わずひるんだその隙を逃さず長い腕をうまくすり抜けた。
「新吉、おまえ、そんなものを……よせ!」
大音声でのたまいながら懐から取り出したのはドスだ。鞘を払うと、ふたたび迫ってきていた新吉が大きく目を見開いたが、はずみがついてとまらない。文造はそこに「うわ、やめろ」などと言いながら体ごとぶつかって元手代の腹にドスをぶちこんだ。新吉の目がさらに開かれる。
「うぐ……ん? あれ?」
新吉が戸惑い顔で自分の腹を見おろした。
「ぬ……?」
文造も新吉から体を離し、わが手を不思議そうに見て、それから新吉の腹を見た。手にドスはなく、新吉の腹に刺さってもいない。文造と新吉は計らずして目を見合わせた。
「おばんです」
そのとき庭の暗がりからぬっと顔を出したのは例の小者、色吉だ。
「新吉さん、夜逃げはいけません。お嬢さん殺しをゲロしたようなもんだ」
新吉は逃げ道を探して前後を見たが、もうひとりの小者の太助と、初めて見る小者ふたりが庭の要所を固めていた。
このころには、時ならぬ騒ぎに何人かの手代も眠い目をこすりながら手代部屋から顔を覗かせていた。
文造が我が意を得たりとばかり、にやりとうなずく。
「そう、わたしがそれに気づいて、止めようとしたのです」
色吉は文造に顔を向けた。
「番頭さん、止めるだけならいいが、殺めちまっちゃあいけません。お裁きは御上のお役目、そいつを侵害しちゃ、また違う咎に問われますぜ」
「いや、それはこいつがわたしを刺そうとしたから、手前は刃物を取りあげて――」
「という筋書きで新吉さんを亡きものにしようって魂胆、あいにく初っ端から八つの眼がその猿芝居、見届けていやすぜ」
色吉が文造の足元になにかを投げて、それを見て番頭は息を飲んだ。それは、新吉の腹に刺さったはずのドスだった。
「いや……まあ、親分たちに止めていただいて、わたしも人殺しにならずにすんで、助かりました。こいつは千代を殺めた憎きやつ、早くお縄にしてやってください」
「くそっ!」
自棄になったか新吉が、突きとばして逃げるつもりか色吉に向かってきた。色吉は軽くかわしてぴしり、十手で新吉の首根っこを打ちすえ、ふらふらになった新吉に手早く縄をかけた。
「浜門屋手代新吉、主筋にあたる娘の首に手をかけた咎で召し捕った」




