十一
「こちらにお入りになって」
と、自分の屋敷きどりで千代の部屋を示す。新吉は襖を開けて、なかに入った。布団が乱れていたが、雑然とした室内とかえって調和して千代の性質をあらわしているようだった。
「こんなところで、なんのお話しです?」
新吉はきょろきょろと落ち着かなく目をあちこちにやった。覚悟はできていたつもりだったが、やはりつい昨夜のことだ。なまなましく思いだしてしまう。
「なにか気のつくことはないかと思いまして。なんでもいいんです、いつもと違ったとことか」
「いつもと違う、つったって、あたしはお千代の部屋になど、来たことはございません。逢引はいつも庭の、祠のまえで、でしたから」
これもほぼ本当のことだった。千代の部屋に入ったのは、昨日の晩が初めてだった。
「ああ、そうでしたが。それじゃああまりためになる話は聞けそうにないですね」
「はい、おそれいります」
なぜ自分がこんな下手にでなければならないのか、と腹が立ったが、そのときあることを思いついた。
「そういえば、千代があんなことになっているのをここで最初に見つけたのは、番頭さんだったとか」
「そうでやすよ」
「そして、ここから千代のなきがらを運んだのも、やっぱり番頭さんだったとか」
「そう、番頭さんと女中頭のお登和さんのふたりでね」
「おかしいじゃあありませんか。なぜわざわざ番頭さんが、朝の忙しい時間に千代の様子を見にくるんです。それこそ女中にでも言いつければいいじゃありませんか。なぜだかわかりますか。あたしに罪をかぶせるためですよ。だから自分で発見したふりをして、そのとき虹時の葉っぱを千代に握らせたんでしょう」
岡っ引はうんうんとうなずきながら聞いている。新吉はちょっと気分がよくなった。こいつは案外いいやつなのではないか。
「なるほど、でもどうやって番頭さんは都合よく喫みもしない葉っぱを持ってたんでしょう。しかも手代さん……いや、新吉さんの喫んでる銘柄の」
「そ、それは……あたしは、この、煙草入れは、そこらに置きっぱなしにするのがしょっちゅうでしたからね。葉っぱなんぞ抜こうと思えばいくらでも抜けたでしょう……」
「そうでしたか」
岡っ引はまたひとつうなずいて、しかし続けて、
「でも、なんで番頭さんは新吉さんの煙草を盗んだりしたんでしょうね、自分が喫むわけでもないってのに」
「そ、それこそ、こういうときのためでしょう。あたしに罪をなすりつけるためだ」
「ああ、なるほど」
色吉がまたうなずいたので新吉は密かにほっと息をついた。こいつがいいやつというのは撤回だ。
「ところで、番頭さんはなぜお千代さんを、その、殺めた、そのすぐあとで虹時を握らせなかったんでしょうね。そうしておけば、わざわざ自分でお千代さんを発見するふりをして握らせるなんて手間を取らずに済んだでしょうに」
「え……あ……その、き、きっとそのときは持っていなかったのでしょう。自分の部屋かなんかに置いてあって――」
「ふむふむ、なるほど、きっと、そうか。……いや、でも、うーむ……でもそれならなぜ、取りに戻ってその場で握らせなかったわけはどうしてでしょうね。今日になってからお千代さんを発見するふりをするわけですが、ひょっとしたらそのまえに、お女中の誰かや、お父上の忠兵衛さんがさきに見にいっちまったかもしれないでしょう。じじつ、お登和さんがお嬢さんと番頭さんのことを知っていたからこそまず文造さんに知らせたが、そうでなけりゃ女中がご注進にきたときにお登和さん、ご自分で見にいったでしょうからね。そうなったらもう握らせられないじゃあありませんか」
「い、いや、だから、そうだ、そのときは思いつかなかったんじゃあござんせんかね。そ、そうだ、きっとそうだ。それでひと晩たってから思いついて、それで自分から千代の部屋に行ったんでしょう」
「なるほど、きっとそういうことなんでしょうね」
色吉はうなずくと、しかしまたすぐに、
「ところでお嬢さんを絞めたのが番頭さんだとしたら、いったいなぜそんなことをしたんでしょうか。もうじきに結納、祝言も迫っていたというのに」
「そ、そりゃ、もちろん、さっきも言った通り嫉妬でしょう。番頭からしたら下っ端の手代に惚れるなんて、赦せなかったんでしょう」
「でもねえ、それならなぜあんたにではなく、お嬢さんに恨みが向かったんでしょうね」
「そ、そりゃあ、可愛いさ余って憎さ百層倍というやつでしよう。それから、あたしは男だし、このとおり体もいいから手を出しにくいってこともあるでしょう、だから弱い女に向かったんだ、まったく、卑怯なやつだ、陰険な野郎ですよ、あの番頭は。そうだ、それに、結納祝言が迫っていたからこそ、そんなときに女に駆け落ちなんかされたらいい笑いものだ。そんな恥をさらすくらいならいっそ……てなことになったんでございましょう」
「なるほど、なるほど。いや、たいへんありがとうございました」
色吉は頭をさげた。
じゃあ自分の間にひきあげて、どこにも行かないようにしてください。ご当主の旦那と番頭さんにはあっしのほうから許可をいただきやしたから、しばらくは浜門屋にご厄介になってください。なに、二三日じゅうには目鼻をつけてみせやすから。
千代の部屋を出たところで、そう言い残して岡っ引は店のほうへ戻っていった。新吉はどっと疲れが出てその場にへたり込みそうになった。
座敷の外で聞き耳をたてていた文造はほくそ笑んだ。千代の部屋で話す間抜け者ふたりは、煙草を握らせた時機を完全に見誤っている。それに、動機もだ。その間違った前提をもとに自分に咎を押し付けようとした――といってもまあ実際そうなのだが――新吉は、岡っ引に質されて、かえって怪しまれる問答を繰り広げてしまった。あの岡っ引、頼りになるやつだ。その調子で新吉を縛るがいい。