七
またひとしきり強く風が吹き、また左馬之介は身を震わせた。
よし、風も強いし月も明るい。今日のところはこのへんでよかろう。
下屋敷から出て二町ばかりきたところで、左馬之介はそう考えた。
もと来たほうへ向いた目のまえに黒い影が立っていた。聞いていたとおりの、頭には笠、黒ずくめの袴姿、そして右手に無造作に抜き身をさげていた。
左馬之介は驚いて心のなかではそのままうしろに倒れてへたり込みそうになったが体のほうは踏みとどまって剣を抜いていた。久貫家への奉公以来このかた、それだけがとりえの真面目さで稽古を重ねていた甲斐だった。
「どりゃあああ」
左馬之介は、誰何も挑戦もなく裂帛の気合とともに斬りかかった。抜き身を持っているというだけで敵意は充分だからである。
昨春の教訓を生かし、斬りかかるときに飛びあがった。あのときは人形に頭上を越えられた。今回、楢藤のものどもは同じやつであるという確信が揺らいでいるようだが、左馬之介は玉太郎玉次郎兄弟であることに賭けていた。
そしてその賭けには勝ったようだ。曲者がまったく人間業ではない動きで上方に昇っていくのを、左馬之介は上段に振りかぶった刀を振りおろしながら見た。
人形の動きは予想以上に速かったが、左馬之介は振りおろす刀から手応えを得た。
ずば、という鈍い音とともにぼそりとなにかが地面に落ちる。
ほぼ同時に地に降り立った左馬之介が体を返すと、曲者の右足の膝からしたがなくなっていた。しかし曲者は、血を流すわけでもなく、そのまま宙に浮くようにそこにたたずんでいた。
やはり人形だ。
しかしここは百姓地で、周りを見渡す限りあやつり師が潜む場所はなさそうだ。しかも体を入れ替えたはずなのに、曲者は、やはり右手に抜き身をさげていた。
どういうことだろうか。人形が刀を持ち替えたのか。それとも体を回したのか。
曲者が人形かどうかにこだわっているときではないとはわかっていたが、だがしかし敵の正体がわからなければ、出し抜かれる危険がある。
左馬之介に迷いが生じた。
「奥州さん、うえ、ずっとうえのほうだ!」
そのとき前方から大声が言った。あれは、岡っ引の色吉殿が駆けてくる。
左馬之介は後退しながら上方に視線をやった。月明りのした、それが見えた。
曲者のまっすぐ頭上に巨大な凧が浮かんでいる。そしてその凧から人影がぶらさがっている。あやつり師だ。
正体を得た。となれば攻撃は――
じりじりとさがっていた左馬之介は、一転、まえに跳んだ。曲者の剣をはじいて火花が飛んだ。「うっ」と人形がうめいたのかと思ったが、頭上のあやつり師だ。進みながら相手の頭上を薙ぎ払う。ぷつぷつ、という手応えがある。
しかし人形も回り込むように横に逃げ、左馬之介がふたたび体を反転させて向かいあったときには刀を持つ右手をだらりとさげていた。
糸を切った。しめた。
と思ったそのときびいいんと空気を裂く音とともに曲者の笠のしたからなにかが飛び出してくるのが暗さに慣れた目にはっきりと見えた。
「うわあっ」