二
夕刻、北町同心羽生多大有が色吉を伴って羽生宅の玄関をくぐったとき、子守り兼女中の留緒はまずは手をついてそれを迎えたが、多大有が奥に引っ込んでしまうと、ニカーッと満面の笑みで色吉に近寄ってきた。
「なんでえ、気持ち悪いな」
「なに言ってんだよ、色吉さん。はい」
と両手のひらを見せる。
「ん? なんだ、なにもねえじゃねえか」
「ばかね、おまえがくれるんじゃないか。え……まさか……忘れたのじゃないだろうね」
にこにこしていた女中の顔が曇る。
「忘れた? なにを言……あ……いけねえ、忘れてた」
色吉は考えこむ顔つきから、はっと思いあたったという顔になった。
「なんだい、ひどい! あれほど念を押したってのに」
留緒がふくれる。
「すまねえな、つい」
困惑する色吉を見るとしかし、留緒はふ、と表情をゆるめた。
「よほどお役目に忙しかったんだね。それなら仕方ない。浅草にも回ってる暇なんかなかったんだろうね」
「いや、今日は旦那についてぶらぶらそこいら廻ってただけだ。なんもなかった。浅草にも行ったどころか、店のまえも通ったぜ」
留緒はまたみるみるうちに夜叉の形相となった。
「ばか! それでなんで忘れたっていうのかい。ひどいじゃない! あたしの頼みなんか、どうだっていいんだね。色吉さん、きらい!」
その夜、歩兵衛の座敷でその日の報告や雑談などしているとき、茶を持ってきた留緒が色吉に対しては無愛想に給仕したうえ顔まで露骨にそらすのを見て、とうとう歩兵衛もきりだした。
「なにかありましたかな。夕餉のときも留緒殿あの調子で、色吉殿に含むところあったように見受けられたが」
「へえ、実は今日、芽実江屋で菓子を預かってくるよう頼まれてたんですが、すっかりすっぽかしちまいまして。店のまえまで通ったってのに、なんで忘れちまったのか自分でもわからないくれえでして」
「ああ、そのこと。理縫も楽しみにしておったらしく、さっき泣いていたのを留緒殿がしきりになだめておったな」
「ええ、理縫ちゃん……理縫殿まで。そいつはごめんなすって」
「よいよい、人間、たまにそんなこともあるもの。明日わしが散歩ついでにいってこよう。実のところわしも芽実江屋の新作、少しく楽しみにしておった」
「そいつは……」
色吉はますます恐縮し、頭をさげた。




