十
早朝、色吉が八丁堀に向かっていたとき、八辻が原のへんで前方から卒太が駆けてきた。
「色吉親分、きっとここを通るころだと」
色吉は足を速めた。べつに卒太がわざわざこちらに来なくてもこれから長屋のそばを通るというのに、息を切らしてまで出迎えるようにこちらに向かってきたということは、なにかあったと考えるのが当然だ。現に、ふた月前はおりんが殺され、お良が行方知れずとなっていた。
「またやられました」
卒太も色吉と並んで自分の長屋のほうに引き返す。
「どこだえ」
「またあっしの長屋でさ」
「だれだえ」
「大工の権左ってやつと、その女房で、おさいさんっていう人でやす」
「夫婦もんか。ふたりやられたか。どんな具合だえ」
「へえ、それが――」
「まあいいや、直に見ようよ」
そのときちょうど鍋町の卒太の長屋についたので、色吉はそう言って戸をくぐった。勢い込んで話そうとしていた卒太はずっこけてその場でへたり込んだが、それは走りづめだったためかもしれない。
「おう」
「ああ」
現場らしい住戸のまえに立っていた太助と短くあいさつを交わし、色吉はなかに入っていった。
「うっ」
ひどい様子に思わず声が漏れる。六畳一間の畳は血に汚れ、そのうえに男女が身を重ねていた。
色吉はうつぶせの女、男とひっくり返した。ふたりともに中年だったが、男はのどに、女は太腿の内側に傷があり、血が固まっていた。
「傷はそれほど大きくねえ。死因は出血過多だな」
「おい、動かしちまったのか。また宇井野の旦那や馬道のあれ、あいつに叱られるんじゃねえか?」
戸口から太助が言った。検視役の宇井野のところには、根吉が知らせにいっているのだ。
「む。そうだな、戻しとこう」
元どおり男をうつぶせに、その上に女もうつぶせにした。
「さっきとずれちゃいねえか?」
太助は心配そうだ。
「そうか? ちいとくらいならわかるめえ」
長屋の廊下に出て、「じゃあおれはうるさいのが来るまえに退散するぜ」と木戸に向かったところで、間の悪いことにうるさいの――宇井野さまと武佐蔵――が入ってきた。
「てめえ金助町ェ、また縄張り荒らしかコラ」
武佐蔵が目を剥く。
「へい、すいやせん。――いや待った、親分ここはあっしの縄張りですぜ」
「うるせい、殺しの現場は全部宇井野様のものよ。てめえ血がついてるじゃねえか、宇井野様の現場を荒らしやがったな」
「いや、これは、うっかりこけちまっただけで、面目ねえこっ……」
「黙れ、その血だって宇井野様のものよ。宇井野様の血を勝手にかっさらうなんざぁ赦されねえぜ」
「おい武佐蔵、そのくらいでよい。いくぞ」
宇井野が渋い顔で言った。
「宇井野様がああおっしゃるから、今日のところはこのくらいにしといてやる。おまえら、さっさと失せやがれ」
まえの事件のときと同様、色吉と太助は縄張りなのに現場から追いだされた。あれからもうひと月半以上だ。もう夏も盛りをとうに過ぎた七月になっていた。
「傷の場所は違ったが、ふたりとも傷跡は同じだった。刃物ですっぱりじゃなく、切り口が粗かった。動物の爪でやられたようだった」
「おりんと同じか」
「傷口が粗いのはそうだけど、まえほど大きくも深くもねえ。臓器もとられてなかった」
「ふうん。で、やっぱりあのお良婆さんがやったのかな」
「そいつはわからねえが、おりんと同じやつがやったこともなくはない、ってとこだ」
「ちっ、どっちにしろ、あの婆さんの行方を早えとこ見つけてりゃあなあ」
「ああ……」
太助は悔しがったが、色吉はなにか他のことを考えているようだった。
「……だがなあ、どうも妙なんだよな」
しばらくして色吉がぽつりと言った。
「なにがでい」
「現場は一見、血の海のようだったろう。だからおれは土間で足袋を脱いだのよ。畳を踏んだらじわっと滲みでてくるんじゃねえかって用心だ。ところが案に相違して、血はほとんど乾いてたんだ。そういや臭いも、もちろん血腥くないことはねえんだが、去年の是坊の事件のときみたいにゲロを吐くほどキツくはなかったろう?」
太助も考え顔になった。
「そういやそうだな。単にいやなことに慣れちまったなあと思ってたんだが、まあまだマシだったってことか……ん? 待て待て、それのなにが妙なんでい」
「傷口を下にして倒れてたってのに、血の量が少なすぎる……」




