九
あわてて顔を引っ込め、戸を閉め、転げるように石段を降りた。見まわしたが、がらんとした部屋のなかには身を隠すところなどなかった。祭壇のうしろなどすぐに見つかるし、西洋卓にも布がかけてあるわけでもなくむき出しで置いてあるだけだ。しかたなく祭壇の向かい側の壁の、石段を降りたところから反対側の隅にぴったりと身を寄せて棒立ちになった。提灯の火を吹き消すと、同時に頭上で跳ねあげ戸が開く音がした。
呪文とともに明かりがさがってくる。呪文は列となってあとから続いていたが、灯りは先頭の者が持っているだけのようだった。
列は壁沿いに伸びて、先頭のものは祭壇に、次の者からは茣蓙のうえに並んでいった。
列の最後の者も、提灯を持っていた。色吉の数えたところ全部で十五人だったが、異様なことにみな高僧頭巾のような、顔をすっぽりと覆う頭巾をかぶっていた。
提灯をもった先頭の者が、祭壇から他の者たちを振り返った。呪文がやむ。
あいつがパードレ――伴天連というやつか、と色吉は考えた。いや、パーテルだったか? 切支丹については色吉もどこかで聞きかじった知識しか持ちあわせないから確信はないが、面倒なのでとりあえず伴天連と呼んでおくことにした。
伴天連はなにやら低い声で話し、そしてまた呪文を唱え、これには聴衆も加わった。呪文というより、これが祈祷というやつなのかもしれない。
怪しげな集会は小半刻ほども続いたろうか。いつのまにか終わったらしく、こんどはみな無言のまま、来たときに最後だった者が提灯を掲げつつ、今度は先頭になって引きあげていった。
色吉はそれからもしばらく棒立ちのまま、充分に待ったと思われるころに深いため息とともに床にへたり込んだ。ごろりと横になってさらにしばらく待ち、それからのろのろと起きあがった。
静かに跳ねあげ戸を薄く開け、そっと顔を覗かせる。もう夜も遅いはずだが、地下室で暗闇に慣れた目には明るく感じられるほどだった。誰もいないと見てとって、拝殿にあがると、畳の扉を閉じた。すると閉じた向こうに人影が浮かびあがった。色吉の息がとまった。
「色吉の親分」
その声と、暗いなかでの姿かたちでそれが大次だとわかった。
「あんた、あれを見ちまったね」
「おう、見たぜ。……あんた、まえから知ってたのか」
驚かされたが、それが人間だとわかれば怖いことはない。たとえ大次がふいに襲いかかってきても応戦できるように、色吉はそっと身構えた。
そんな気配を感じ取ったのか、大次は、
「こんなところじゃなんだ。飯でも食いながら、どうだ」
と言った。
外はすでに真っ暗で、月明りに頼ってふたりは付かず離れず歩いた。表通りに出ると人通りがありほっとした。
浅草寺からすこし離れたところにある、大次のいきつけという小料理屋はなかなか繁盛していたから、色吉はちょっと落ち着いた。やはり人混みはいい。大次も妙なことはできないだろう。もっともそれは、向こうだって同じことを考えているかもしれなかった。
「まあひとつ」
大次の差し出す酒を、色吉はおとなしく湯呑みに受けた。ふだんは呑まないが、まずは大次の出方を見る意味もある。
「安心しな、ここに武佐蔵親分はこねえ」
ムサゾー? 誰だそりゃ。と思ったが、さすがにすぐ馬道の親分のことだと思いだした。
しばらくはふたりとも黙ったまま、適当に肴をつまみながら勝手にやった。
「で……?」
「で……?」
「あんたはあすこが、隠れ連中の南蛮寺だって知ってたのか」
「ああ、内偵してた。おれの縄張りだ、荒らしてもらっちゃ困るぜ」
「いつからだ?」
「そんなこと言う必要あるまい」
「ご禁制の邪教について知っていて黙ってるとなると、黙ってるわけにもいかねえ」
「ややこしい言いかたするない。やつら別に、ご公儀の転覆を狙ってるわけでもねえ、ただときどき集会をしてるだけだ。だからちいと様子を見てるんだよ」
「ふん……」
色吉はしばらく考えた。
「もしなんかあったら、おれが責任をとるし、あんたが知っていたことは、だれにも漏らさねえ」
「なんかあっちゃあ困るぜ。おれが知ってる知ってねえの問題じゃねえ」
「そうだな、おれが悪かった。だがな、ここはひとつ、おれに任せてくれよ」
こう素直に引きさがられると責める気もなくなるというものだ。
まあ、おりん殺しやお良の行方を追うのに手いっぱいだから、余計なことに首をつっこんで余計に首が回らなくなってもつまらない。
「わかった。だが万が一、なにかあったらおれも黙っちゃいないぜ」
それから色吉は譲歩した代わりとして、大次から邪教についていろいろと訊いた。
あの頭巾をかぶった一団は、ここらへんの者もいるが、広く御府内から集まってきているとのことだった。神田日本橋の商家はもちろん、遠くは新宿あたりの武家地からも、という。
「そいつぁつまり――」
大次はうなずいた。
「そう、つまり、商家のおかみや、お武家の奥方なんぞ、ってこと」
色吉が眉をひそめると、大次はまたうなずいた。
「そのとおり、あの集まりは男より女のほうが多い。一九……かせいぜい二八ってとこだ。だからあまり大それた心配はしてねえ、ってのもあるんだ」
色吉はうなずいて杯を干したが、ふと思いついて、
「まさかそんなかに、お良婆さんがまぎれこんじゃあいまいね。なにしろ頭巾で顔が見えなかったからな」
「いないよ……いまはな。ああ、そうだ、先月まではいた」
大次は少し迷ったようだったが、そう言った。
あの邪教の寺院に参拝している連中は、神社の境内に出入りする前後で頭巾を脱着するとのことだ。
「集会はいつも薄暗くなってからで、お互いに顔を見ないよう、知られないようにしているってわけだ。万が一摘発されたとしても、蔓をたどれないようにな。用心深いこった。だからおれは様子を見ながら、ひとりひとり信徒の身元を洗ってるってわけだ」
「待てよ、そんなかに婆さんをかくまってるやつがいねえとも限らねえ。お互い知られないように、たって限度ってもんがあるだろう。そいつをひとつ探りいれてみようじゃねえか」
色吉が言うと、大次は眉をひそめ険しい顔をした。色吉は重ねて、
「おいおい、たといあんたが協力してくれなくとも、おれは勝手にやらしてもらうぜ。青山はもちろんあんたの縄張りじゃねえし、神田、日本橋ならこっちの縄張りだ。ここいらだって、天下の往来を歩くのに馬道の親分の許可はいるまい」
と言った。色吉としてもせっかくつかんだ手掛かりだ。このまま捨ておくわけにもいかない。
大次の顔はさらに渋くなったが、しぶしぶ、といった風情で助力を認めた。
次の日から色吉は、まずは自分の縄張りの商家を見張って廻った。
邪教の信徒はたいていはおかみさんで、主のほうが信徒なのは八軒のうちの一軒だけだった。夫婦ともに信徒、というのは大次の話によると一軒もない。店に押しかけて直接当たれば話が早いのだが、それはやらないというのが大次と約束させられたことだった。「まだ内偵中だ。もし万一、おまえさんが下手なことやって散られちまったら、あんた殺すからな」と大次は冗談めかして言ったが、目は笑っていなかった。
婆さんを置いとくような場所のなさそうな小さな店はそのまま通り過ぎ、あるていどの大きさの店は何日か見張った。婆さんのゆくえ探しに行きづまっていた太助たちにも手伝わせた。もちろん詳しい話はせず、適当にごまかした。
「どうでえ、そっちは」
何日かに一度、桐里で具合を話しあった。
「いまんとこもなんもねえぜ。ほんとに婆アをかくまってんだろうな。どっから聞き込んできた話なんだよ。おいらがどんどん、と直に聞きただしてやろうか」
「それだけはやめてくれ。しばらく様子を見て、婆アの気配がなけりゃ次にいってくれりゃいいんだ」
「どうにもまだるっこしいな」
人間をかくまうというのは、たとえそれがひとりだったとしてもなかなかにたいへんなことだ。その人間が出歩かなかったとしても、その気配のようなものは表にも漏れだしてくる。かつぎ売りから買いあげるおかずの量、酒の量、内風呂があるようなお大尽の家には煙の量、出入りする者たち――家人にしろ店の者にしろ、さらには客にしろ――の挙動……など注意深く観察することによって見極めることができる。それにはときに数日からもっとかかるかもしれないが、熟練した観察者の目には必ず映るものだ。
「まあよろしく頼むぜ。明日もまたな」
しかし一夜明けたときにはそれどころではなくなることになる。




