五
武佐蔵に追いだされた色吉と太助は、とりあえず大家に話を聞いた。
「お良さんとこの隣の鳶の平八というのが、朝でかけようとしてお良さんとこの戸が開けっぱなしなのを見て覗きこんだんですな。へんな臭いがするし、目を凝らすとなにやら真っ黒いもんが転がってるんで、土間に入ってみたんだとか」
「則兵衛さん、お良さん、いるかい。戸が開けっぱなしだぜ」
平八が土間から声をかけると、黒いものがもぞもぞと動いたかと思うと、それが煙のように広がったその下から、寝乱れた女が現れた。黒いものはおりんの死骸にびっしりとたかった蠅だったのだ。
「そのときは誰だかわからなかったそうですが、死んでいるのはすぐにわかったって話でした。腰を抜かしそうになりながらわたしのとこへやってきたものですから、わたしがお良さんとこに行きまして、平八は入りたがらないものだから卒太さんを呼びにやらせて、でもわたしも見るもんじゃなかった、おりんさんだってことは確かめたんですが、それが精いっぱい、なにしろあの臭いとあの傷――さっきも言ったが、おもてに出て吐いちまいました」
卒太はまず親分の太助に知らせ、それから色吉を迎えに駆けたというわけだった。
「則兵衛さんはのんきに寝てなさったが、お良さんがいないようでしたが」
「それが、わたしもいま話したようなあんばいで、お良さんのことは気がつきませんで、そう言われてみれば確かにいませんでしたねえ」
おりんの旦那というのは船乗りで、来年の春まで戻ってこないとのことだったから、ついで鳶の平八を訪ねた。
「さああんときゃとにかくおっかなくて、どうだったかねえ。いや、あの狭い部屋だ、誰かいりゃあさすがにわかったはずだ。衝立の陰にでもいりゃあ見えなかったかもしれねえけど」
衝立の陰には則兵衛が寝ていて、他に人の居る余地はなかった。
「となるとお良がおりんを殺めて逃げたってことだな」
太助が言った。色吉と太助は羽生の屋敷へと向かっていた。そのまえに太助は自分の長屋に寄って汚れた衣服を替えていた。
「大家や鳶はああ言ってたがよ、おめえさんは婆さんは見なかったか?」
「ああ、おりんの死体に気をとられてそこまでしっかり見渡したわけじゃあねえが、それでも誰かが部屋から出ていこうとすりゃあさすがのおいらでも気がつくぜ」
「そうだよなあ、あの様子からすると、おりんが死んだのは夜中だろう。下手人だって朝までぐずぐずしてるわけはねえよな」
羽生邸では、客間で卒太が飯を食っていた。
「この野郎、ずうずうしいことしやがって。親分のおいらが恥をかくぜ」
「すいやせん、留緒ちゃんがせっかく支度してくれたもんで」
すると留緒も、
「そうだよ、卒太さん、走りどおしだったらしくて、しばらく倒れてたんだから。ご隠居さんがご飯を用意するように、ってあたしに言ったんだから」
とにこにこと加勢する。
そこに着替えをすませた色吉が入ってきた。
「うん、ご隠居さんがそう言うならいいじゃねえか」と色吉も卒太の肩を持ち、それから留緒に向かって、「すまねえな、留緒ちゃん、汚れ物も外に置いといたぜ。いつもありがとうよ」と言った。
「いいんだよ、おまえさん」
留緒は奥に引っ込んだ。
「おまえさん……?」
あとに遺された色吉がとまどっていると、太助と卒太もぽかんと色吉を見ていた。
「おまえさん、っておめえ……」
「おいおい、妙な誤解はやめてくれよ。あの娘は莫迦だから言葉遣いを知らねえだけだよ」
「誰が莫迦だって?」
留緒が戻ってきた。
「うわおめえまだいたのか」
「お茶です」
太助にはにっこりと笑いかけながら茶を置き、「卒太さんはお代わりね」と卒太の茶を代え、
「はいお茶」
色吉には無愛想に乱暴に茶を置く。
「ありがとよ、御用のじゃまだ、すっこんでろ」
すると留緒はまたにこにこ顔になり、「はいよ、おまえさん」と言いながら去っていったものだから、色吉は頭を抱えた。
「なんだありゃ」
さすがの太助もあきれ気味だった。
「おまえさん、て言いたいだけみたいでやすね」
「最近覚えたんだろうなァ」
「昨日の晩、念仏はあったか?」
太助が卒太に訊いた。
「お経でやすね、ありやせんでした」
「祝詞だよ、そいつは確かか?」と色吉。
「ここんとこ毎晩あれで起こされてやしたが、昨日はぜんぜんで、朝までぐっすりでやしたから、間違いねえです」
「むむ。するとお良婆さんがおりんを殺して逃げたのは、お経のまえってこった。ありゃあ時間にしてどんくれえだった」
「だいたい真夜中九つくれえに始まって小半刻は続いたでしょうか」
「悲鳴なんかは聞こえなかったのかえ」
「うむむ」
卒太は腕を組んで考えている。なかったようだ。
「どたばた暴れるような音は、聞こえなかったんだろうな」
「うむむ」
卒太は腕を組んで考えている。なかったようだ。
太助と卒太がひきあげたのち、入れ替わるように多大有が見廻りついでにおりよく羽生邸に寄ったので、歩兵衛の座敷でまずはざっと事件の話をした。
「すぐに宇井野の旦那がいらしたんで、詳しくは調べられなかったんですが、胸の傷に手をつっこんだときの感じじゃあ、どうも心の臓がなくなってるようでした」
「それで、色吉殿はこれからどうするつもりかの」
「へい、則兵衛への聞き取りは太助たちに任せて、お良のゆくえを追ってみようかと思ってやす」
「うむ」
歩兵衛がうなずいた。そのとき、壁際に座っていた羽生多大有が立ちあがり、首を左右にふった。
「え。旦那、どういうことでやしょう」
色吉は多大有を見、それから助けを求めるように歩兵衛を見た。
「役目を入れ換えろ、ということじゃろう」
「と申しやすと、あっしが則兵衛を、太助たちをお良にあてろ、ってことで?」
多大有がうなずいた。そしてそのまま座敷を出ていった。見廻りに戻るのだ。




