九
「とざいとおざあい、当世最上の軽業を見せるよ、西国曲芸団、一年ぶりのお江戸興業だ、こいつを逃す手はねえぜ、見てらっしゃい」
呼び込みの口上の通り、西国曲芸団が一年ぶりに巡業に登場したということで、多大有が家族孝行にために羽生一家を引き連れて見物にやって来た。当主の多大有、その父で隠居の歩兵衛、多大有の妹の理縫、その子守りの留緒というあいかわらずの面々に、今回も色吉が相伴している。
鞠のような玉だけでなく、下駄だの箒だのまったく丸くないものを手玉に取る曲芸や、筋斗や前転後転の軽業、居合い抜き、手妻などに喜んで拍手をしたあと、いよいよトリの綱渡り曲芸だ。
「落っこちるやつだね」
留緒が言った。ちゃんと去年のことを覚えていたようだ。
「おっとちるやつだね」
理縫もそう言ったが、これは子守り娘の真似をしただけだ。
色吉は当然、あの女曲芸師吹田雲之丞が出てくるものだと思っていたので、男の曲芸師が出てきたのには驚いた。
「次なるは、吹田亭六陸の綱渡りにござい」
口上役が大声で言った。
「おいおい」
色吉が思わずつぶやく。屋号は変わっているが、その名の通りそいつは六陸だった。
六陸はまえに雲之丞が使った、上方に昇っていく仕掛けで綱に乗り移ると、あとは自分が去年やったと同じ芸を綱のうえで見せた。
そして最後に、舞台のうえのほうで手を滑らせて、舞台に顔から落ちた。ぐぼ、と鈍い音がした。
「ひえっ」「きゃあ」「うをあっ」
客席からも去年と同様に悲鳴があがった。
そのあと場内は静まりかえった。
しかし、去年と違うのは、六陸がすぐに起きあがったことだ。そして首が曲がって顔が横に倒れているところは、また去年と同じだった。
六陸は笑いを浮かべ、
「へへへ、どうも寝違えちまったようで、すぃやせん」
と言って客席に向かって一礼した。
見物が沸いたのは、去年と違うところだった。留緒も理縫も小さな手をぱちぱちと叩いている。拍手と歓声のなか六陸は頭をさげながら引っ込んだ。
「面白かったー」
留緒が言った。
「おもしろかたー」
理縫が言った。他の客たちも興奮冷めやらぬ、といった感じで声高に話しながら引きあげていく。羽生一家が木戸をくぐったとき、背中から声がかかった。
「親分さん、見に来てくだすったんで」
振り返ると六陸だ。「いや、色吉のあにさん」と言ってにやりとした。すこしましになってはいたが首は傾いていた。
「おめさん、無事だったか。もうとっくにひょっとしたんじゃねえかと思ってたぜ」
「へへへ、いろいろありやして。ここじゃなんだ、楽屋にどうです」
「これから旦那の供なんでな、せっかく誘ってもらったのに悪いが」
「へ、旦那? どこにおいでで?」
六陸が不思議そうな顔をする。
「おめえの目は節穴かよ」
と言って色吉は振り返る。「あれっ、いねえ」
しかしご隠居と子供二人はまだそこにいた。
「いってきなさい」
と言って歩兵衛はうなずいた。
「いってきなさい」
と言って留緒もうなずいた。
「いてきなさい」
理縫もうなずいた。
見世物小屋自体も簡素なものだが、客からは見えない楽屋はさらに簡単な作りだった。大部屋なので他の芸人、軽業師もいて化粧落とし、着替えなどしていた。
「その節はお世話になったのに、いろいろご心配、ご迷惑をおかけしやした」
腰をおろすなり、六陸は言って両手をついた。
「おいおい、やめてくれ、おれはあんたを見捨てたようなもんなのに、そんな挨拶されたんじゃあかえってこっちの寝覚めが悪くなる」
「これだけはあにさんに謝っときたかったんで、すっきりしたぜ、ありがとよ」
「うん、まあ、それでおめさんの気が済んだならよかったよ。しかしおれぁ、あの綱渡りで失敗して、てっきりもういけなくなったんじゃあないかと思ってたよ」
「へへ、あにさんにまでそう思わせたんなら大成功だったな」
「ちぇ、なにしろあのあと江戸から消えちまったからな」
「へえ、心配かけちまってすまなかったけど、ここについて巡業に出ちまったんで」
それから六陸は、あの興業のあとの話をぽつぽつと語りだした。
今日観てもらったんであにさんにもわかってもらえたと思うけど、あの綱渡りの最後に失敗した、ように見えた、のはもちろんこっちのねらい通りなんで。
綱から落ちるのは吹田雲之丞がやってたのの真似と言われても仕方ねえ。でももうひと工夫かさねりゃ、猿真似にゃあならないと、まあおれの勝手な理屈かもしれねえけどそう考えたんだ。で、綱もちょっと高く張って、そいからおれの得意な顔から落ちたってわけだ。
でも格好つけてこんなこと言ってるけど、実はおいらでもあんとき芸も受けなくなってたし借金もあったしあにさんにも見捨てられて、ちいとやけになってたとこがあった、だからあの芸は実はぶっつけだったんだ。振りじゃなくてほんとに失敗して死んじまってもいいとまで思ってたんだ。
でも自分でも驚いたことに失敗の振りが成功した。だけどぶっつけだったもんだから予想より痛くて、起きあがるのにしばらくかかっちまった。おまけにやっと立てたと思ったら首が寝違えたようになって戻らねえ。そんで思ったより、というよりまったく客受けはしねえし、落ち込んだね、どん底だったよ。
お笑いになるかもしれねえが、楽屋も早々に引きあげて、長屋に帰ってからいっそのこと自分で、なんてことまで考えたぜ。
そこにやってきたのが吹田雲之丞だった。化粧をしてなかったし地味な格好だったんで始めは誰だかわかんなかったんだけど、開口一番、落っこちたあと首が曲がったままで、なにも言わず礼だけ、とかだから受けないんだ、怖すぎるんだよ、なんて言いやがる。
挨拶も抜きでそう言ったんだ。面食らったけど、すぐになんだかうれしくなっちまった。
おめえだって礼しかしねえじゃねえか、と言ってやったら、ばかだね、芸風の違いってもんがあるだろ、芸人のくせにそんなこともわからないのか、ときやがった。
ちぇ、考えてみりゃ、おれの芸だって以前は筋斗に失敗したあとで、見事成功しやした、つって笑いをとってたんだ。ぶっつけだったから機転が利かなかっただけだよ、って言い返してやると、機転よりも大事なのは稽古だ、ぶっつけなんて芸人としちゃ最低だ、なんて説教してきやがった。そのうえで、うちに来ないか、あたしが仕込んでやる、なんて生意気を言いやがるんで、もちろんおれは呆気にとられたけど、なんだか自分でもわからねえけど、気づいたときにはふたつ返事で引き受けちまってた。すぐに荷物をまとめて、その足で自分の小屋を売っ払って、この曲芸団に合流したってわけ。
ところがこの雲之丞ってのが厳しい女で、あにさんにはずいぶん言われたのに辞めらんなかった酒まで辞めさせられたんだ。とにかく二六時ちゅう付きっきりで厳重に監視されてるもんだから飲めやしねえ。でもおかげで今日はおれは胸を張ってあにさんに挨拶できたんだ。
ま、そんなこんなで巡業を続けて、江戸に舞い戻ってきたってわけよ。
「そいつぁよかった。でも今日はそのかんじんの吹田雲之丞が出てなかったみてえだけど、なんかあったのかい」
色吉がそう言うと、六陸は困ったような、泣き笑いのような顔になった。
色吉が嫌な想像をしたときだった。
「ごめんなさい、お茶をお出しするのがすっかり遅れてしまって」
という声とともに、色吉と六陸のまえに湯呑が置かれた。
「あんたもたれかあいてるもんにでも言いつけりゃいいのに、気が利かないね」
とこれは六陸に言い、それから色吉に改めて頭をさげる。
「ああ、失礼しました親分さん。その節はずいぶんうちのがお世話になったようで、ありがとうございます」
「あの、女房のお夏で」
六陸が言った。「いま、こういうことなんで」
色吉が振り返って見あげると、最後に見たときよりもさらに地味な格好をして、そのうえずいぶんとふっくらとしていたが、吹田雲之丞だった。
「ははあ、そういうことか。そりゃあ、おめでとう、なにしろめでてえな」
六陸と色吉は、茶で乾杯した。
〈了〉




