十四
「三良さん、あんた何か聞いてないの?」
お糸の声が言う。
「番頭から、父上と兄上がしばらく深川にいるって聞いただけさ。他の皆とかわらないよ」
三良の声がこたえる。
「それより、お糸」
「あっ、なにするんだよ」
「だってもうひと月にもなるじゃないか。もう私は我慢できないよ」
「こんなところじゃ、やだよ。一朗太様が出ていかれたんだから、あんた、離れに戻れないのかい」
「言っただろ、しばらく開けるだけだから、と父上が許してくれなかったんだ」
「その『お父上』だって戻ってこないじゃないか。なんでか二郎次様も戻ってこないから、今じゃあんたがこの店の当主だろう、堂々とあすこを使うって宣言して使えばいいじゃないか」
「父上も兄上たちも、いつ戻ってくるかわからないじゃないか。戻ってきたときになにを言われるか……」
「ええ、意気地のないことったら」
夜の四つ半過ぎ、真夜中も近いころ、庭の暗い場所、祠のよこだった。
「だったらこれもお預けさ。欲しかったら、部屋をなんとかするんだね」
「ちぇ」
「そういえばそれより、二郎次様までどうして帰ってこないのさ」
「さあ、なんだか、深川が気に入って、父上とともにしばらく逗留したいってことになったようだよ。詳しくは知らん」
「へえ、人手が足らなくてたいへんだってのに、のんきなことですこと」
しかし市左衛門と一朗太は実は近所の日茂庵の所にいるはずだ。医者の所がそんなに気に入ったなどとは信じがたいから、やはり……。
「とにかくあんた、明日には番頭に、あんたがここの当主だってこと、ちゃんと言うんだよ。店をほったらかしてのんびりしてるような人たちに、伊勢屋は任せられないってね」
「でも、私はまだたった十七だし……」
「ちぇ、ちょっとまえには俺はもう十七で、立派な大人だって言ってたじゃないの。戦国の世ならもう元服も済んでるころでしょ、しっかりしてよ、あたしがついてる」
お糸が背中をどやすと、三良も細い声ながら、「うん……」と同意した。
平助と坊主頭の町人が、長屋の木戸を入っていった。一軒の住戸のまえで坊主頭がうなずくと、平助がその戸を叩いた。
「ちょいとごめんなさいよ、いらっしゃいますかえ」
返事はないが、耳をすますと中にいる気配。
「ごめんなさいよ」
と戸をがらりと開けると、ヒュッと風を切る音とともに何か飛んできた。キラリと光る様子から小柄のようだが、もう逃げられない。顔に刺さって死ぬな、と思ったそのとき目のまえに火花が跳んでチャリンと音をたててそれが落ちた。ヒュ、ヒュ、と続けざま第二撃、第三撃も火花と音とともに落ちた。
「この野郎」
平助と坊主頭は土足であがり、そこにいた物売りに躍りかかった。