裏切りと復讐
サクの眼前にあったのは、大量の血、そして肉片、元は人間だったもの。
サクに両親はいない。
ツアッシュに引き取られ、彼の仕える屋敷に住み込みで世話になっていた。
貴族に魔術は必要不可欠。
魔術を操る者達から身を守るためには、魔術で対抗するしかないからだ。
サクは屋敷の主の息子付きの魔術師として、ツアッシュに教えを乞い、魔術を極めようとしていたのだ。
しかし今、師ツアッシュの頭部が胴から切り離され、転がっている。
敵が魔術師だったなら、ツアッシュが敗れることはなかっただろう。
偉大なる魔術師、ツアッシュ・アールは死んだ。
サクは部屋から転がり出て、自分の仕える主の部屋へと走った。
廊下には既に息絶えた屋敷の使用人たちが転がっていた。
サクは直視せずに、ただひたすら前だけを見据えた。
主でありながら、友でもある、少年の部屋のドアを勢い良く開ける。
しかしその部屋にも、血の臭いは充満していた。
「サクッ」
主の声が聞こえた。
即座にそちらに目を向ける。
息子を案じて駆けつけたのか、彼の両親が床に倒れていた。
そしてその後方には二つの影。
ひとつは自分の主。
そしてもうひとつは……。
「ロークッ! おまえ一体なにをしているんだ!」
サクはロークと主とのあいだに体を滑り込ませた。
ロークは自分と同じく、ツアッシュのもとで学び、同じ主に仕える者のはずだ。
だが今、ロークは手に剣を持ち、主の両親を殺し、主にすら手をかけようとしている。
「目撃者は消しておかないといけない。そうだろう」
「馬鹿なことはやめるんだ」
「もう引き返せないさ」
ロークが言い放つ。
「残ってるのは、そこの二人だけだぜ」
突然、部屋の入り口から低い声が聞こえた。
見ると、下卑た笑いを浮かべた男たちが肩を並べて立っていた。
その数、五人。
ぞろぞろと部屋に入って来る。
サクも、主も闘うための武器など持っていない。
魔術は学んでも、殴り合いや斬り合いの方法など学びはしなかった。
殺される。
そう思った。
背後に主を守りつつも、膝が震えた。
その時、ぐいと肩を引かれた。
守っていたはずに主が、サクを守るために前に出たのだ。
そのままロークに向かって突っ込み、ロークの手から剣を奪い取った。
そのまま男どもに向かって剣を構える。
しかし男たちは余裕を失わなかった。
武器を手にしたとはいえ、相手はまだ子ども。
しかも貴族の教育の一環としての武術を学びはしても実践経験があるわけもない。
「おやめくださいっ!」
サクが叫ぶのと、男の中のひとりが刃物をちらつかせながら主に斬りかかるのとが同時だった。
ダメだ。
ダメだダメだダメだ。
頭の中で警鐘が鳴る。
このままではダメだ。
サク指先を噛み切り、床に魔法円を描く。
ギイィンと刃物と刃物の合わさる音が響く。
どうか、あと少しだけ……。
「我の声に応えよ。我の望みを叶えよ。この世ならざる世に棲まう者たちよ。我に応え、姿を現し給え」
召喚魔法。
師には使うことを禁止されていた。
しかし今、サクに頼れる者は他にいない。
たとえ失敗して命を失うようなことになろうとも、なにもしなければ殺されるのは間違いないのだ。
やるしかない。
しかし呪文を唱えた後も、魔方陣に変化は見られない。
再び同じ文言を唱える。
キイィィィンッ。
刃物の弾かれる音に、サクは顔を上げた。剣が主の手の中から遠くへと飛ばされたところだった。
殺すのを心から楽しんでいる男の笑み。
おぞましい笑みが、主に迫る。その剣先が主に……。
その時、部屋は閃光に包まれた。
突如巻き起こった風に吹き飛ばされそうになり、サクは床にへばりつくような姿勢になる。
なにも見えなかった。
風の渦巻く轟音だけが耳に届く。
そしてそれは現れたのだ。
※※※
カランと氷が鳴った。
グラスの中には、氷のとけた水が浅く溜まっている。
「なんだ、珍しいな。酔ってるのか」
酒屋の店主が、カウンターに座るサクに声をかける。
いつも酒を買う、馴染みの店だ。
「え? 酔わないよ。ちょっと昔のことを思い出していただけ」
サクは軽く頭を振り、左目に触れた。
この左目は代償。
この印は封印。
そして絶えず体内に流し込み続けるアルコールは、保身のために必要な物。
兄弟弟子だったローク。
あいつもあの時死んだはずだ。
全てが終わった時、あの場所に生きているものはなにひとつなかったのだから。
そう、自分以外には。
しかしミイは現れた。
ツアッシュクロスを身体に刻みこんで。
サクは直接見たわけではない。
見たくない。
もしも……、もしもそれが正真正銘ツアッシュクロスであったなら、それを刻める者は、自分以外にひとりしかいない。
その印を見てしまったら、真実がわかってしまう。
真実を知ってしまったら……、もしもロークが生きているのならば……。
「僕は必ず復讐を果たさねばならない」
サクは小さく呟いた。
師を殺し、主に刃を向けた愚かな魔術師。
その罪は彼の命で償ってもらわなければならない。
その為には……。
なにも生み出さない代わりになんの苦痛もないそんな場所。
二人をただ守る為の空間。
あの時二人が逃げ込み、その後もずっと二人を守り続けてきたその場所。
そこに留まっているわけにはいかなくなる。
その場所を去ることになる。
それが怖いのだ。
だから見たくない。けれど、避けてばかりはいられない。
サクは立ち上がった。
「おう、帰るのか? 飲み過ぎるなよ」
「ありがとう」
店主の声にサクは笑顔を返し、店を後にした。




