◇光の檻~とある神の誕生~中
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女神白華は、正確に云えば女神では無かった。神々にも性差はあるが、性別を転ずるのも自由である。しかし、白華が男神より転じて女体で過ごしている訳でも無かった。寧ろ、白華の外見は男神と称されるに相応しい。
神々の中には両方の性別を持つモノが存在するが、白華はそれでさえ無かった。神々の中には性別を持たぬモノが存在し、白華はそれに相当した。
通常、両性で女神と呼ばれるモノはその外見上、つまりは豊かな胸や手弱女の如き繊細だったり、淫婦の如き妖艶だったりする美貌から自然と女神の呼称が冠される。
無性の場合は豊かな胸など持ち様筈が無いが、ある意味では似た様なモノである。結局は、その容貌やその魂魄に、女性らしさを見出だされてこそ女神と呼ばれるのだ。
そういう意味では、女神白華は例外と云えた。唯一の例外では無いが、珍しくはある。
白華の美貌は確かに繊細と呼んで差し支え無い程の造作だが、その精緻に造り上げられた美しい造作は、寧ろ冴え冴えとした冷たい印象ばかりが強く、女性らしさなど欠片も見当たら無かった。当然乍ら胸や腰になよやかも感じられず、外見どころかその仕種も女性の柔さなど含まなかった。
ムキムキした男性らしさとも無縁の少年に見える肉体に、上品ではあるが優美さには欠ける何処か硬い物腰。低音と呼ぶ程では無いが、硬質で甘さを含まない声。抑揚に欠ける淡々とした物云い。
そんな女神が存在しないとは云わないし、そんな女神に魅力が無い訳でも無い。だが、だからと云って、そんな神に、性別が無いならば、それはどう考えても女神と呼ばれる事にはならないだろう。
しかし、白華は『最初』から女神と呼ばれた。
それは白華の前身が女性だったからでは無かった。
女神リルーラに『縁』あるモノが、『雄』では『不快』になる『存在』がある。それを無意識に忌避した周囲と、憚られた当の神、冥王が。
白華を女神と『決めた』のだ。
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長い…永い時をワタシは過ごした。いつからココにイルのか。どうしてココにイルのか。最初からなのか。途中からなのか。
ワタシはワタシの存在する理由も、ワタシが何者かも知らなかった。
ソレを意識したのは、最近の事だ。
『最近?』
首を傾げた客人が、理由を訊ねるままに語った。元より、隠すような事でも無い。
いつからか、ワタシはココに存在するが、最近になって、ワタシを訪ね来るモノたちがいる。友好的とは程遠い訪問者たちは、一様にワタシを滅しようとしていた。
まあ。
殺されてやる義理も無いので、返り討ちにしているのだが。
そんなことを繰返していれば、否応もなく理解する。
ワタシは。
どうやら世間では『悪しきモノ』なのだ……と。
害があるモノ。悪。ワルモノ。それが害虫レベルの認識なのか、怪物も斯くやと恐れられているのかは知らない。
しかし、害虫の認識だとしても、かなり厄介な虫だとは思われているのだろう。そうでなくては、わざわざ徒党を組んで来るモノが途切れない理由に説明がつかない。彼らはワタシを『退治』する為に来るのだ。
そう告げると、客人は僅かに開いた口を閉じた。
珍しい事だ。
彼とはかなり永い付き合いになるが、こんな風に云い淀む姿を見たのは初めてだった。
ワタシを訪問するモノは、前述した通り、ワタシを退治する目的を持つモノが殆どだ。それが総てでは無いのは、偏に彼の存在が在るからに過ぎない。
つまり、彼と、彼の関係者以外は、みんなワタシを倒す目的を持つ『敵』だった。敵……と云う言葉を遣うには、余りに弱々しいモノたちで、それこそ邪魔な害虫とでも呼ぶべき対象である。
害虫。それも、然して危険もない羽虫程度の認識しか、ワタシは彼らに感じる事は無かった。害が無くても、寄ってくれば煩わしい。だから手で払う。その程度の『反撃』とも呼べない対処で、彼らは全滅する。また暫くは静かな生活が続き、そしてまた、新たな羽虫がやってくる。
それがワタシの日常で、故に、共に茶を飲むくらいとは云え、訪問してただ会話を交わすだけで帰る男は特殊と呼んで良い存在だった。
そもそも、ワタシは攻撃をされたからこそ羽虫を叩き落とすのであって、何もしない相手に特に関わる事はしない。彼が初めて来た日が、どれくらい前か等は忘れたが、その日の出来事は覚えている。
常の訪問者たちは、招きもしないのにやって来ては、いきなり攻撃を加えてくる害虫ばかりである。彼らは、徒党を組んでやって来る。ワタシに罵声を浴びせ、煩わしく纏わりつく。ソレが攻撃だと気付くまでは、些か戸惑いを覚えたモノだが、気付いてからは、躊躇なくワタシは彼らを排除する様になった。
ワタシはいつしか、魔王と喚ばれていたが、人間が呼ぶ『魔王』が何なのかは未だによく解らない。とはいえ、ワタシは魔王では無いので、ワタシの知る魔王と違うのは確かだった。
つまりは人間にとっての『悪』なのだろうが、そもそも『魔王』とは何をするから『悪』なのか?そして、魔王退治にやって来る彼ら以外に、人間との関わりを持たないワタシが一体『魔王』と呼ばれる『何』をしたのか。相互理解が出来ない相手に、何を求めるモノでも無いが、人間とは謎であると云わざるを得ない。
魔王とは魔物を統べる王であるらしい。人間たちの言葉を繋ぎ合わせると、どうやらそう云う事だとは知った。
魔界の魔王とは別物なのか、と。そんな風に考えた。自身の記憶は定かでは無いが、世界にまつわる知識は辛うじて残っている。別の云い方をするならば、知識を磨くくらいしか、ワタシが出来る事は無いので、ワタシは所謂賢者と呼ばれてもオカシク無い程度の知識を持つ。ただし、日々移ろう短い命の『常識』には疎い自覚があった。
神々や世界や、せめて妖精や長命族の事情ならば知る価値も有るし、知識は蓄積され研鑽を積み重ねられるモノである。しかし、人間は余りに短いサイクルで入れ代わり、時代も文化も人間自体も世代交代が激しくて、目まぐるしく移ろうスピードにウンザリするから知ろうとも思えないのが実情だった。知った端から事情も常識も『変わる』のだから、人間はいつまでも推し測る事が出来ない『相手』だった。それ以前に興味も無いし、どうでも良い『相手』でもある。
ワタシの知識は、非常に偏りがある。
別に不自由は無いし、問題が有るとも思わない。何故なら、ワタシの知識は、単なる趣味と暇潰しにより積み上げられたモノだからだ。
ワタシは白い空間から出る事が出来ない。けれど、望むモノを取り寄せる事は出来る。
そして、永い時の無聊を慰めたのは、主に書物だったのだ。それしかする事が無いから、ワタシは賢者と称される迄の知識を得た。もちろん、単なる趣味で有るからには、好みに拠って傾向が偏るのは当然でもある。
ワタシに膨大な時間が有ったが故に、その欠点はしかし見逃されがちだった。そもそも、ワタシは唯一の訪問者と、その関係者としか関わりを持たない。故に、その知識を披露する機会も、欠点を晒す機会もそうは無い。逆を云えば、ワタシはワタシの知識の価値も把握しているとは云えなかった。客人の関係者がワタシを賢者と称したが故に、その呼称に足る知識がワタシの中に蓄積された事に気付いたに過ぎないのだ。
その日も、ワタシはただ漫然と書物の頁をめくっていた。
白い空間から、外の世界に手を伸ばし、無聊を慰める書物を手繰り寄せた。
『へえ。そうやってウチの本も取ったんだ?』
今思えば、随分と呑気な云い草では無いだろうか?
ワタシは突如として顕れた『扉』に眸を瞠り、その『扉』が開いて現れた男とその『扉』を見比べる様に視線を動かした。随分と永い年月をこの白く耀く空間で過ごしているが、こんな事は初めてだった。『人間』が、イキナリ現れる事はある。彼らはこの空間に一瞬驚き当惑する様子を見せる事はあるが、すぐに『私』を敵と見定め攻撃を開始する。
しかし、この男は、この白い空間に戸惑いひとつ見せず、ただワタシに話し掛けてきた。
今まで、ワタシに向けられた『言葉』に、答えを求めるモノは無かった。ただ、敵と断じて、恨みつらみを述べる声を聴いた。ただ、悪と決めつけ、滅殺する意志を聴かされた。
そこに、ワタシがワタシである意味は無い。ただ、彼らが思い込む、思い描いた『敵』が在るだけだ。
だから、向けられた悪意や敵意、その殺意を、攻撃と共に打ち返した。ワタシは、ワタシの意志を示す必要すら無かった。鏡の如く、ワタシのチカラは勝手に彼らを滅ぼした。纏わりつく羽虫が煩わしいと感じたから、その攻撃を手で払うように反射させる事で返した。彼らは彼らのチカラで滅んだとも云える。この空間で、この空間の意味を知らず、どうしてあんな埒も無い攻撃をするのか。
それすらも、無知なる人間の子に訊ねた事は無かった。
彼らはワタシを『悪』の化身だと云う。そして、勝手に決めつけた事柄を勝手に述べて、勝手に滅びるのだ。
ワタシは、ただ、攻撃に攻撃を返すだけ。反射するチカラを、そのまま本人たちに向けただけだ。
だが、男はワタシに話し掛けた。男はワタシに攻撃しない。敵意も悪意も向ける事なく、ゆったりと微笑んだ。
『何も無いんだな。』
そう云って、テーブルと椅子を取り出した。出現させた、と云うべきだろうか?ただ白いだけの空間に、書物以外の色が、初めて現れた。人間と、人間が滅びる際に飛び散る血肉。塵と化して白に熔ける前の、煩わしくも五月蝿いだけの存在。
書物以外の存在で、嬉しいモノはイマまで無かった。
テーブルと椅子は、五月蝿くは無い。この男も……煩わしくは無い。
勝手に現れたのは同じだが、彼らと違い、ワタシの応えを待つ仕草をする。ワタシと、一緒に、お茶を飲みたいと云う。
男の望みはよくワカラナイ。何がしたいのだろうとも思う。
だが。
特に嫌でも無かったから。
男は、ワタシにとって、唯一の客人と成った。
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白く耀く空間は月の光を紡いだ檻だ。しかし、永い永い時を経て、囚人は光に同化した。
記憶すらも定かでは無い囚人は、もはや囚人ですら無いのかも知れない。
そう考えたのは、囚人が囚人であると見当を付けた客人で、もとより囚人である自覚の無い当事者では無かった。
そして、訪問者たる神が、冥王の側近だった事が、囚人の未来を決した。
檻は、既に檻の役目を果たしてはいなかった。
何故なら囚人が囚人とは『変わって』しまっていたからだ。女神リルーラに囚われたのは、あくまでも人間の女である。
神では無かった。
それでも、その性質に、その精神に、魂魄に人間の名残りがあれば話は違ったのかも知れなかった。
その囚人の自覚も無い、既に囚人ですら無い存在は、しかしもはや前身の残滓を、一筋の残り香すらその身に纏わなかった。
本来のオンナの未来を知らず、本来ならば辿る道程もその覚悟も知らない。
それでも、その未来は喪われた訳でも無かったが、それを知るのは女神リルーラ唯一柱。精々が、知らぬ振りをしているかも知れない冥王が存在するだけだった。
だからこそ。
女神と喚ぶのだとは…………それこそ誰も、知る由も無かった。
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