6 そして物語が始まる
翌日のワインの試食会は大成功だった。
礼装に身を包んだエリオはかなり見た目も良かったし、私も久し振りのしっかりとした服装は恥ずかしさもあったが、彼の隣に立つのに普段通りと言うわけにはいかなかった。待ち合わせ場所で会った時のエリオは、私を見て息を呑んで「お綺麗です」と何とか言葉を吐き出したようだった。
マスターと相談して、各種ワインに合う各国の料理と、こちらの土地の郷土料理を準備してもらうことが出来た。それらの料理をカウンターに並べ、隣におすすめのワインを並べる。それぞれの特徴などはエリオと私で分担しながら説明し、それぞれの出身地の人たちの口に合うようなものをプレゼンしていく。
美味しい料理とワインで上機嫌になったところで取引を持ち掛ける。まだ若い商人たちは、酔った勢いで調子よく契約してくれた。こんなやり方で良いのか、とエリオは悩んだようだが、契約してしまえばこちらのもの。商品は自信を持ってお勧めできるものだったし、契約上商人たちが不利益を負うようなものにもなっていない。
「大丈夫よ。誰も損はしないわ。得をするのはこちら側、というだけよ」
「本当、コスタさんが商売敵じゃなくて良かったです」
「あら」
1日で手にした複数の契約書を胸に抱えたエリオは眉を下げて笑う。
「もうちょっとエリオのことも鍛えてあげられたら良かったわね」
「まだ、これから鍛えていただける機会もあると思います」
「そうかしら」
ありがとうございます、と何度も頭をさげたエリオは、それから2日の間に新たに地元のレース編みの取引先を見つけたようだ。頑張っているのね、と感心している私の前で、一台の馬車が止まった。
「コスタンツァ様、お久し振りですな!」
つやつやした顔のブルーノさんが、満面の笑みで手を差し出してくる。
「お久し振りです。お元気そうで何よりですわ」
「まさか、またコスタンツァ様のお名前を聞けるとは思っていませんでしたよ」
皮の厚い職人の手で、しっかりと両手を握られる。ああ、この手だ。何度も新しい特産品になるようなものをともに検討し、失敗を繰り返しても何度でも挑戦してくれた人の手の温かさに一瞬しんみりしそうになるが、そんな時間はない。再会を喜ぶのは、全部が上手くいってからでいい。工房のマスターであるブルーノさんと、その娘であり新進気鋭の若手女性職人であるニーナと握手を交わして、ジェンマの店に連れ立って歩いていく。
「それにしても、また変わったことを考えましたね」
「そうかしら。今まで誰もやっていなかっただけで、そんなに突拍子もない発想ではないと思うわ」
「あ! あたし! もう細工済みの土台も持ってきたんですよ! 石のサイズが合えば、ここに嵌めてしまえばすぐにサンプルになるかなって」
「まあ! ニーナってば準備が良いわね。素晴らしいわ」
ニコニコと笑っているニーナは胸を張る。それから、胸の前で抱えている大きなリュックサックを探ってガラス瓶を取り出した。
「それから、えっと、ルーチェの香水もちゃんと持ってきました。これ、どうするんですか? コンスタンツァ様がお使いになるんですか?」
「違うわ。もっと良いことに使うの」
今は秘密、と人差し指を立てて唇に押し当て、軽くウィンクをする。何故かビクっとして立ち止まりかけたエリオは、数歩遅れてみんなの後からついてくる。ジェンマの店は準備中、となっていたが、関係なく戸を開ける。店の奥、椅子に浅く腰かけて上を向いているジェンマの姿が目に入ってくる。
「ジェンマ、お邪魔するわよ」
「ああ……ティア、そこ、石、置いてある」
「ありがとう、助かるわ」
よほど苦労したのだろうか。ぐったりしているジェンマは、そう言うと机に突っ伏してしまった。
「ちょっと、ちゃんとこっちの細工品も見てくれないと困るわ」
「あとはそっちでどうにかしてぇ……」
寝させて、と言うなり、彼女は寝息を立てはじめる。一応自分が喋れなくなってもこちらが困らないようにしてくれたようで、磨き上げられた石にはそれぞれどのような効果を封じ込めたかメモが添えられていた。
桃色のクオーツには、素敵な出会いを引き寄せるおまじないが
紫色のクオーツには、愛を強固にするおまじないが
淡い美優白色のクオーツには、愛される力を強めるおまじないが
それぞれ込められているようだ。
ブルーノさんとニーナはそれらを見るなり持ってきた細工を取り出してどれにどの石を嵌めるかの検討を始める。
私はその間にニーナから受け取った香水の瓶に、細かなクオーツの屑石を入れていった。
「コスタさん、それは何をやっているんですか?」
後ろから覗き込んで来たエリオは私の作業を不思議そうな顔で見ている。香水に沈めた石は、ほんのりと輝いているようだ。
「これにも魔法をかけてもらったの。こっちの甘いフローラル系の香水には、肌を輝かせ、表情を明るくさせるような効果を、こっちの少しスパイシーかつ甘く濃厚な香りの香水には、愛を再燃させて相手を改めて虜にするような効果を、それから最後、石鹸のような爽やかな香りのするこれには、運命の相手だけがこの香りが違って香るような魔法をかけてもらったわ」
「石に魔法を?」
「ええ、元々魔石には魔法を閉じ込められるでしょう? そして、魔石の元になっているのはクオーツ。魔石が産出される鉱山から採れるクオーツには、特に魔法を保持する効果があるんですって。だからそれを利用してね。ほら、見た目も綺麗でしょう?」
ガラス瓶の中で、小さな石がキラキラと輝いている。
「魔法をかけてしまっても、香りに変化はないんですか?」
「ない、と思うけど」
確かめてみましょうか、と私は手に持っていた香水を自分に振りかける。清潔感のある石鹸の香りは、以前嗅いだものと変わらないように思える。
「うん、大丈夫そうだけど……」
「随分と甘い香りですね」
「……え?」
「そんなに甘い香りだったでしょうか? 甘い、蜂蜜のような香りがします」
「………………ねえ、ニーナ」
ブルーノさんと額を突き合わせて話し合っていたニーナを呼んで、香りをかがせる。彼女と入れ替わるように、エリオは装飾品に興味をひかれたようで石が仮に止められているそれらを興味深げに眺めていた。
「あ、いい香りですね! こういう香り、好きです」
「石鹸の香り?」
「はい! 洗いたてのタオルみたいな」
「……そうよね」
……どういうこと……
私は頬が熱くなるのを感じて、思わず押さえる。
これは、運命の相手には違う風に感じられる香りに変化させる効果をつけた、とジェンマのメモには書いてあった。もしも本当にエリオだけにはこれが違う香りに感じられたのなら――
いや、今はそんなことを考えてはいけない。
「跡取り様、ずっとコンスタンツァ様のこと好きでしたもんね」
「え?」
突然ニーナが小声で囁いてくる。
「昔から、ずっとコンスタンツァ様のこと、好きだったじゃないですか。今付けていらっしゃるそのネックレスも、跡取り様からの贈り物ですよね」
「な、なんでそれを」
確かに、私がずっとつけているこれは、エリオからの贈り物だけれども。
どぎまぎしながら返せば「だってそれ、あたしが最初に作った商品ですもん」とニーナは軽く笑った。
「えー素敵じゃないですか。商品を販売してる2人が、その商品の品質と効果を保証できるなんて」
「ちょ、ちょっと変なこと言わないでちょうだいよ。私、エリオの父親の――」
「血は繋がってないですよね。コンスタンツァ様、お子様産んでいらっしゃらないでしょ?」
「……なんでも知ってる相手っていうのもやりにくい時もあるのね」
ふぅ、と息を吐いて横目でエリオを見る。
前よりもずっと大人っぽく、凛々しい青年になっている彼が急に眩しく見えてくる。
「そういう売りって、すっごい良いと思います」
「ニーナ!」
「何の話ですか?」
大きな声を出してしまったせいで、エリオとブルーノさんに気付かれてしまう。言葉に詰まった私の代わりに、ニーナが声を張る。
「この香水とアクセサリーの効果を、跡取り様とふたりで保証したらどうですかって話です!」
その言葉に、エリオも一瞬で理解したのか、顔を真っ赤にした。
そして、ニーナの提案通りになるのは、それから2年後の話だった。




