スライム戦
雑踏の中、息臭勇者を背に大見得を切って歩き出したはいいものの。
(……で、どうすんだよ俺)
数分歩いたところで、俺は盛大な溜め息をつきそうになった。
啖呵を切ったのはいい。胸はスーッとした。だが、懐に手を突っ込んでもジャリッと鳴るだけの銅貨が数枚。
身にまとっているのはペラペラの安物ローブ。手元には、武器と呼ぶのもおこがましい初心者用の樫の杖が一本きりだ。
(現実を見ろ。今の俺は、ただのレベル1のクソ雑魚だ)
このまま無策で南門から草原へ飛び出せば、待っているのは1周目とまったく同じ結末だ。
前衛のいない回復職が一人で突っ込んで、スライムの体当たりをボコボコに喰らい、また無様に転がって死に戻り。そんなギャグみたいなループは御免被る。
(勝つための準備だ。まずは手札の確認)
往来の端、石造りの壁際に身を寄せ、俺は視界の端にステータスウィンドウを呼び出した。
画面の端で、淡く明滅している数字がある。
未割り振りのステータスポイントが『3』。
そして、スキルポイントが『1』。
(……よし。まだ手付かずで残ってる)
1周目の記憶が苦々しく蘇る。
あの時は、さっき袖にした金ピカ野郎に肩を叩かれ、「敵は僕が前に立って防ぐから、君は魔力と回復だけに全部振ってね。頼りにしてるよ」などと甘い言葉を囁かれ、言われるがままに全部【魔力】ブチ込んだ。
その結果が、あの紙装甲のモヤシ野郎の俺様だ。
(二度とあいつの言いなりになんてなるかよ)
誰かに守ってもらう前提のビルドなんて、金輪際お断りだ。
誰の手も借りず、誰の顔色も窺わず、己の力だけで生き延びる。そのためには、自分の足で敵の攻撃を躱し、自分の腕で敵の頭を叩き割る『暴力』が要る。
(魔力は足りる。極小ヒールを撃つだけなら十分だ)
迷うことなく、俺は【筋力】に2、【敏捷】に1を割り振った。
決定ボタンを指先で弾く。
カチリ、と頭の奥で硬質な音が鳴った直後、全身の筋肉にピリリとした電流のような刺激が走った。
安物の麻ローブの上からでも、腕の筋肉がわずかに引き締まり、足元に重心がしっかりと落ちる感覚がある。
(おお……明らかに体が軽い。これだよ、これ)
前世で散々叩き込まれた格闘技の感覚が、肉体のスペックと噛み合い始める。
もちろん、これだけで一撃必殺の剛腕になるわけじゃない。だが、モヤシのまま杖を振り回すのと、踏み込んで体重を乗せられるのとでは雲泥の差だ。
「よし。次はスキルポイントだな」
こちらも初期配布が『1』だけ残っている。
スキルツリーを開くと、基本僧侶ツリーの根元に『打撃補正【微】』のアイコンが薄く点灯していた。
(僧侶ツリーに打撃補正があるの、昔のMMOでもあったよな。誰が取るんだよって笑ってた枠だけど)
まさか自分がそれを取る羽目になるとは思わなかった。
だが今の俺に必要なのは、味方を拝んで癒す聖職者の祈りじゃない。一人で目の前の敵を叩き潰す実効力だ。
躊躇なくポイントを注ぎ込む。
これで準備は整った。
◇
南門のアーチをくぐり抜けると、どこまでも広がる緑の絨毯――平原の風が頬を撫でた。
陽光を浴びてそよぐ草原は、無駄にのどかで平和そのものに見える。
(だが、騙されんぞ。ここは魔境だ)
初心者エリアなどという甘っちょろい認識は捨てている。前衛のいない回復職にとっては、ここがすでに死地なのだ。
俺は初心者用の樫の杖を両手で構え、腰を落として摺り足で草を踏みしめた。
五十メートルほど進んだところで、前方の茂みがカサリと揺れる。
現れたのは、淡い水色の半透明な塊。
ぷるぷるとゼリー状の肉体を伸縮させながら、こちらの様子を伺っている。
スライムだ。
(出たな、因縁の青カビ野郎)
かつて俺を草原の肥やしにしてくれた相手。
愛嬌のある見た目に反して、突進の質量はボーリングの玉並みにある。前世の貧弱フィジカルでは、一撃喰らっただけで肋骨が折れそうになった。
スライムがぐにゃりと体を縦に押し縮める。
跳躍の予備動作。
(来るか――)
空気を裂く音とともに、弾丸じみた勢いで飛び出してきた。
俺は目を逸らさない。
前世の格闘技で培った動体視力。相手の軌道を見極め、引きつけて、引きつけて――直前で左足を軸に体を半身へ開く。
風切り音を立てて鼻先をスライムが通過する。
躱した。
(【敏捷】に振った分、足が追いつく!)
「大して変わらんけどまだマシだ!」
すれ違いざま、渾身の力を込めて樫の杖を横殴りに薙ぎ払った。
筋力ポイントと打撃補正が乗ったフルスイングが、スライムの側面にクリーンヒットする。
弾力ある表皮が激しく波打ち、スライムは悲鳴のような破裂音を立てて草むらへ吹き飛んだ。
(手応えあり! 前世とは威力が段違いだ)
だが、弾性のあるゴムまりを叩いたような鈍い感触が手に残る。
数回転して体勢を立て直したスライムは、怒りで表面を赤黒く濁らせながら、再び地を這うように距離を詰めてきた。
(まあ、一発で沈むわけねえよな)
現在、俺の推定HPはおよそ10。
対するスライムの体当たりは、直撃すればだいたい3から4のダメージ。
つまり、3回まともに喰らえば死ぬ。
(だが、俺様は算数の天才だ!)
現在MPは15。
所持魔法は『回復魔法【極小】』。
消費MPは2。回復量は擦り傷程度の約3。
消費2で3回復。手持ちのMP15なら、戦闘中にこの魔法は最大7回使える。
7回×3回復で、回復総量は21。
元々のHP10に21を足せば、実質的な総耐久値は31になる。
(スライムの体当たりを7回以上耐えられる計算だ。負ける要素がねえだろ!)
支援職にとって、MPはただの魔法ゲージじゃない。
回復職のMPとは、実質的な『予備HPのストック』そのものだ。
思考の隙を突くように、スライムが低空から跳ね上がってきた。
今度は避けるスペースがない。
左腕のガード越しに鈍い衝撃。
衝撃波が肩まで抜け、視界の隅でHPゲージが3割ほどゴリッと削れる。
「ぐっ……地味に効くな、クソが!」
俺は奥歯を噛み締めながら、右手で即座に印を結ぶ。
「『ヒール』!」
淡い燐光が左腕を包み込み、じんわりとした温もりが打撲痕を瞬時に修復していく。
削れたHPゲージが、元の位置までキュッと押し戻された。
(消費MP2、残り13。ノーダメージと同じだ!)
着地の隙を狙い、俺は樫の杖を両手で振り下ろした。
だが――ペチッ、と間抜けな音を立てて先端が跳ね返される。杖のしなりがスライムのゼリー状の肉体に吸収され、いまいち芯までダメージが通らない。
「あー、クソっ! 振りにくいし間合いが狂う!」
前世で素手喧嘩と総合格闘技ばかりやってきた俺にとって、この安物の棒切れはどうにも手首の返しと遠心力の感覚が合わない。
「これいらん!」
ぶん投げて草むらに放り捨てた。
両手の平をバチンと打ち鳴らし、拳を握り込む。
それを見たスライムが、好機とばかりに飛びかかってきた。
飛びつきからの圧殺狙い。
俺は反射的にスライムの丸い背後へ回り込み、脇下から腕を滑り込ませて首元を固めようとした。
前世で何千回と練習したバックチョーク――。
だが、ツルンと滑って両腕が空を切る。
(……って、首も気管も関節もねえ相手に、チョークスリーパーなんぞ効くわけねえだろがああああ!!)
敵は不定形のゼリー状生物だ。極め技が成立する骨格すらない。
「ならよぉ……!!」
俺は逃げようとするスライムの上に馬乗りになり、泥まみれでマウントポジションを奪った。
ゼリー状の肉体がぐにゃりと暴れ、全身から分泌される酸性の粘液がローブと肌をジリジリと焼く。
「拳でぶっ殺す!!」
右拳に全体重を乗せ、スライムの天辺へストレートを叩き込んだ。
ぐちゃりと肉体がひしゃげる。
反撃の触手が俺の顔面を引っ叩き、鼻血が吹き飛ぶ。
「ヒール!」
呪文を叫んで傷を帳消しにし、今度は左ストレート。
「てめえが溶かすのが先か! 俺が殴り潰すのが先か!」
体当たりをもらって肋骨が軋む。即座に「ヒール!」。
殴る! 喰らう! 回復する! 容赦なくタコ殴りにする!
(誰が歩く回復薬だ! てめえの拳で泥水すすって殴り倒してこその命だろうが!)
もはや魔王討伐を果たした高潔な僧侶の面影など微塵もない。
草まみれ、泥まみれ、返り血ならぬ青い粘液まみれになりながら、一心不乱に鉄拳を乱打するタイマン。
激闘の末、スライムの中央で激しく脈打つ親指大の赤い核が、ひしゃげた肉体の奥から露出した。
「死ねええええッ!!」
前世の格闘技で培った渾身の右フックが、全体重の回転を伴って核のど真ん中を打ち抜いた。
陶器が砕け散るような澄んだ破裂音。
核を叩き割られた水色の塊は形を失い、プシューと湯気を上げながら平原の草へと溶けて霧散した。
草の上にポトリと落ちたのは、濁った小さな魔石がひとつ。
静寂が戻った草原で、俺は両膝をつき、両手の拳から血を滲ませながら天を仰いで息を吐いた。
(勝った……泥臭えけど、勝ったぞ……!)
その瞬間、頭蓋の奥で澄んだ鐘の音が鳴り響いた。
『経験値を獲得しました』
『レベルが2に上がりました』
『ステータスポイントを1獲得しました』
『スキルポイントを1獲得しました』
全身の倦怠感が一気に吹き飛び、温かな熱量が手足の先まで満ちていく。
傷口が塞がり、HPとMPが全快する。
(よし……! レベル2だ!)
俺は地面から魔石を拾い上げ、ローブの懐へ収めた。
展開されたステータス画面には、『ステータスポイント1』と『スキルポイント1』が点滅している。
(次はステ振りをミスらないように、慎重に考えなきゃならん)
俺はステータス画面の横にある、スキルツリーアイコンを指先でタップした。
上段に並ぶのは、かつて勇者のために取得させられた『ヒール【小】』や『キュア』といった王道の白魔法ルート。
「今は打撃だ」
呟き、俺は視線を最下段――『異端・近接系』の暗い枝へと走らせた。
いま取得している『打撃補正【微】』の先、レベル3以降でロックが解除されるアイコンがシルエットを浮かび上がらせている。
【浸透掌打】
――打撃のインパクトの瞬間、掌や拳に魔力を凝縮させ、装甲や表皮を無視して対象の内部へ直接衝撃を叩き込む近接体術スキル。
(……これだ。これだよ!)
さっきの戦いで痛感した。素手で殴り倒すにしても、スライムの弾力や粘液は厄介極まりない。
だが、この『浸透掌打』があれば、内部の核を外側から直接ぶち割れる。
(僧侶の回復力で泥臭く耐えながら、ゼロ距離からこの浸透打撃をぶち込む……『殴り僧侶』としての完成形が完全に見えたぞ)
次の目標は決まった。
レベルを上げ、スキルポイントを貯めて、この『浸透掌打』を解放する。
立ち上がった俺は、草むらを振り返った。
そこには、戦闘の序盤で投げ捨てた初心者用の樫の杖が、寂しそうに転がっている。
とことこと歩み寄り、泥のついた杖を拾い上げた。
「……たいまつにでもするか」
杖を肩に担ぎ、俺は次の獲物を探して草原の奥へと足を進めた。




