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第3話

王国大聖堂。


ここは王国で最も神聖かつ厳かな建造物である。巨大な白い天蓋ドームは天を突き刺すようにそびえ立ち、ステンドグラスの窓は差し込む陽光によって、鏡のように滑らかな大理石の床へ五彩の光斑を投げかけていた。空気には微かな香炉と聖水の匂いが混ざり合い、静かに聖歌隊の厳かな賛美歌が響き渡っている。


セレナは大聖堂の広間に入ると、エラを警備の引き継ぎを担当する神官の元へと向かわせ、自らは広間の突き当たりに立つ数十メートルもの巨大な聖像へと真っ直ぐ進んだ。


その聖像は、伝説において光をもたらしたとされる初代聖者の姿を模している。慈悲深く首を垂れ、両手を胸の前で重ねるその姿は、まるで世の苦難を聞き届けているかのようであった。


敬虔で人一倍責任感の強い騎士として、セレナには誰にも言えない小さな習慣があった。重大な任務を控えている時、あるいは心に迷いがある時、彼女はいつもこの聖像の前に立ち、一方的な「宣誓」を行うのだ。


彼女は聖像の前まで歩み寄ると、両手で剣の柄を握り、剣先を地面に当てて片膝をついた。そして、その誇り高き頭を静かに垂れる。


ステンドグラスを通り抜けた光が、ちょうど彼女の金髪を照らし出していた。


「敬愛なる女神よ」

セレナは目を閉じ、低く、しかし驚くほど確かな声で紡いだ。

「近頃の風は酷く騒がしく、闇の影が王都の境界に蠢いています。私はセレナ・ヴェスト、王国の騎士。ここに、あなたへ、そして我が剣へ誓います……」


彼女は深く息を吸い込んだ。まるで、山をも動かすほどの重い誓いを立てるかのように。


「訪れる闇夜がどれほど深かろうと、闇に潜む敵がいかなる陰謀を企てようと、私は常に最前線に立ちます。王都のすべての民を守り抜き、無辜の民を傷つけんとする悪をすべて断ち切りましょう。たとえこの命を捧げることになろうとも、私は決して一歩も引きません」


セレナの誓いには、どこか悲壮な英雄的色彩と、寸分の狂いもない決意が込められていた。大聖堂の広間に、彼女の力強い声の残響だけが寂しく響く。


「あの……」


突然、そんな美しい雰囲気を台無しにするような、呆れが三分、脱力が七分混じった声が、聖像の台座の影から聞こえてきた。


「その石像、ただの星光石とミスリルの合金で彫られたものだってこと、知ってますよね?」


セレナはハッと目を開けた。集中しすぎていたせいか、近くに人がいることに全く気づいていなかったのだ。彼女は立ち上がり、剣の柄に手を当てて声の主を鋭く睨んだ。


巨大な聖像の影から、のっそりと一人の少女が姿を現した。


年齢はセレナと同じくらい。繊細な金の刺繍が施された純白の教会見習い聖衣を着ている。淡いピンク色の長髪をルーズな三つ編みにして肩から垂らし、透き通るような白い肌をしていた。薄金色の瞳には、狂信的な信仰の輝きなどは一切なく、むしろ現世を見限ったかのような冷めた理知と、睡眠不足からくる……虚無感が滲んでいる。


彼女の名はイヴラン。大聖堂で最年少にして、最も上の人間を悩ませる見習い聖女だった。


「イヴラン?」

セレナは警戒を解いた。いつも淡々としていながら容赦なく急所を突いてくるこの聖女のことは、よく覚えている。


イヴランは分厚い書類の束を抱えたままセレナの前に歩み寄り、薄金色の瞳で彼女を二秒ほど見つめてから、抑揚のない平坦な声でツッコミを入れ始めた。


「ですから、要約すると、それはただの石なので耳がありません。ここで『みんなを守る』と叫んだところで、拍手もくれませんし、追加の手当が出るわけでもありませんよ。真面目に防衛の報告をしたいなら騎士団長へ、心の癒やしがほしいならカウンセラーの神官のところへ行ってください。もし単なる自己満足のカッコつけだというなら……そうですね、光の差し込み加減は完璧でした。演出効果としては満点を差し上げます」


戦場では常に冷徹なセレナの顔が、一瞬にして真っ赤に染まった。


「わ、私はカッコつけてなどいないわ!」

セレナは少ししどろもどろになりながら反論した。一本気な彼女は、イヴランのようなタイプを前にするとどうしてもペースを乱されてしまう。

「これは心の中の宣誓よ! 敬虔なる決意の確認よ!」


「信仰心とやらは、毎日大声で叫ばないと維持できないほど揮発しやすいものなんですね」

イヴランはため息をつき、腕の中の書類を抱え直した。

「石像に誓いを立てる暇があるなら、この忌々しい『王都西区地下水道における聖水浄化報告書』を大司教の執務室まで運ぶのを手伝ってください」


イヴランの淡々としつつも容赦のない物言いに、セレナは思わず吹き出してしまった。先ほどまで王都の情勢によって張り詰めていた緊張が、不思議と和らいでいく。


「相変わらず容赦ないわね、イヴラン」

セレナは感嘆のため息をついた。

「時々、本当に女神様を信仰しているのか疑わしくなるわ。あなたの話し方はどう考えても聖職者のそれじゃないもの」


「信仰はしていますが、女神様は書類仕事を手伝ってくれませんから」

イヴランは眉間を揉んだ。

「それに、最近の教会内の空気は酷く不気味です」


その言葉を聞き、セレナは表情を引き締めた。騎士としての嗅覚から、即座に問いかける。

「何かあったの? おかしな動きでも?」


イヴランは周囲に目を配り、声を潜めた。その穏やかな語り口に、珍しく緊張感が混じる。


「ここ数日、枢機卿カーディナルたちが夜な夜な秘密会議を開いています。さらに、聖堂地下の禁足地を巡回する衛兵の数が三倍に増えました。しかも全員、大司教直属の『異端審問所』の構成員です。まるで、導火線に火がついた火薬庫の上に座っているかのような緊迫感です」


「聖堂地下……?」

セレナの眉が深く寄せられた。


大聖堂の地下に封印された区画があることは知っている。王国の最重要機密の一つだ。伝説では、そこには極めて危険な古代の遺物が眠っているという。教会の上層部がそこまで警戒しているとすれば、王都が直面している脅威は、騎士団の情報部が予測している以上に深刻かもしれない。


「最近、夜蝕会が辺境で活発に動いているの」

セレナはつかんだ情報をイヴランと共有した。

「この二つには、何か繋がりがあると思う?」


「さあ、どうでしょうね。あの狂信者たちが本気で王都を狙っているのだとしても、せめて私が夜勤で報告書を書いている時以外に来てほしいものです」

イヴランは肩をすくめ、持ち前の冷めた冗談で重苦しい空気を和らげようとした。


セレナは無言で床を見つめ、脳内でバラバラな手がかりを必死に繋ぎ合わせようとした。


夜蝕会、辺境の不穏な動き、教会上層部の緊迫、そして……自分自身が感じている、まるで深淵から見つめられているかのような錯覚。


その、刹那だった。


セレナの身体が、唐突に硬直した。


彼女の瞳孔が細く収縮し、視線は足元の滑らかな大理石の床に釘付けになる。


「どうしたんですか?」イヴランがセレナの異変にいち早く気づいた。


「あなた……感じない?」

セレナの声は低く、微かな震えを帯びていた。


彼女は片膝をつき、鉄手甲を片方外すと、白い手のひらを冷たい大理石の床に密着させた。


遥か奈落の底、何層もの岩盤と魔法結界に隔てられた最深部から、微弱な波動が伝わってくる。


それはセレナのように魔力に対して極めて敏感な戦士でなければ決して捉えられない――心臓の鼓動に似た律動リズムだった。


(ドクン……ドクン……)


その波動には、古びて冷ややかで、かつ異様な渇望感を孕んだ闇の気配が混ざり合っている。セレナの手のひらが床に触れた瞬間、彼女の腰にある愛剣すら微かに共鳴し、カタカタと小さく音を立てた。


『茨の冠』の封印が、ゆるみ始めている。


「何か感じると言われても……」

イヴランは目を閉じ、聖力で感覚を研ぎ澄ませたが、見習いの身では何も得られず首を振った。

「地脈は安定していますし、聖光結界の警告も鳴っていませんよ」


セレナはしばらく手を床に当てていたが、その鼓動は一瞬でかき消え、再び底知れぬ静寂の中へと沈んでいった。まるで、すべてが彼女の幻覚であったかのように。


彼女はゆっくりと手を離し、手甲をはめ直して立ち上がった。しかし、その青い瞳の奥には、拭い去れない影が落とされていた。


「そうね……」

セレナは唇を噛み、無理に笑みを作った。

「本当にエラの言う通り、最近の寝不足で感覚が過敏になっているだけかもしれないわ」


彼女は本当のことは口にしなかった。根拠のない「直感」を上層部に報告したところで、疲労による妄想として処理されるのが関の山だからだ。だが、あの冷酷な心音のような振動は、彼女の脳裏に深く刻み込まれていた。


「本当に疲れているなら休んでください。救世主を気取るのもいいですが、あなたが一日パトロールを休んだところで、この世界が滅びたりはしませんから」

口では突き放しつつも、イヴランの瞳には確かな心配の色が浮かんでいた。


「分かったわ。ありがとう、イヴラン」

セレナは頷き、別れを告げた。

「エラのところへ戻るわね。もし教会側で何かおかしなことがあったら、すぐに騎士団に連絡して。自分を守るのよ」


セレナが去っていく背中を見送りながら、イヴランは書類を抱えたまま立ち尽くし、薄金色の瞳に思索を巡らせていた。彼女は先ほどセレナが触れていた床を見つめ、美しく整った眉をひそめる。


「錯覚、でしょうか……」


セレナとエラがすべての引き継ぎを終え、大聖堂の門を出る頃には、空はすでに黄昏に染まっていた。


血のように赤い夕陽が王都の空を壮大なオレンジ色に染め上げている。高くそびえ立つ城壁が夕映えの中で長い影を伸ばし、まもなく夜を迎える都市を包み込んでいた。


セレナは通りを歩きながら、すでに空にうっすらと姿を現している白い月を見上げた。胸のざわつきは時間の経過と共に消えるどころか、黄昏の闇に引きずられるように膨らんでいく。


彼女は足を止め、顔を上げて夕陽に燃える雲を見つめた。


「隊長? どうしてまた立ち止まるんです?」後ろからエラが尋ねる。


「エラ」

セレナは振り返らないまま言った。金の髪が夜風にそよぐ。その声は小さかったが、確固たる信念が満ちていた。

「闇の奥深くにどんな陰謀が隠されていようと、誰がその嫌悪感を抱かせる視線でこの街を覗き込んでいようと」


彼女は腰の剣の柄を握りしめ、指の関節が白くなるほど力を込めた。

「私がこの剣で、すべてを切り裂いてみせるわ。この平穏が……少しでも長く続いてくれるといいのだけれど」


しかし、それは決して叶わぬ願いだった。


なぜなら、セレナが空を見上げたのと全く同じ瞬間。


王都の城壁から数キロメートル離れた荒野の古道で、紋章の一切ない、地味で漆黒の馬車が一台、夕陽の名残の光を踏みしめながら、静かに、しかし抗いようのない確実さで王都の城門へと向かって走っていた。


馬車を牽くのは、一本の雑毛すら混じっていない純黒のナイトメア二頭。その蹄が土を踏みしめる音は一切聞こえない。御者台には、目鼻立ちのない白い仮面をつけ、黒いローブに身を包んだ無口な従者が座していた。


車内には灯りが点っていない。


黒いベルベットの手袋をはめた白く細い指先が、窓を覆う分厚い遮光カーテンをそっと引き開ける。


そのわずかな隙間から、固まった血のように赤く、冷酷で熱狂的な光を放つ瞳が、夕闇に佇む広大な王都を見つめていた。


やがて、静かで優雅な、しかし運命を震撼させるに十分な含み笑いが、薄暗い車内に響き渡る。


「着いたわ。私の、愚かで愛くるしいステージ……」


リアン・ノクティスはカーテンを下ろし、膝の上に広げた十二ページのシナリオに触れ、舞台への期待に満ちた完璧な笑みを浮かべた。


「第一幕……開演よ」


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