その7
7
移動する道すがら、私は妹紅に自分が神社に居つくようになった経緯を大まかに話した。気がついたときには霊夢の身体の中に魂だけの存在としていたこと、それ以前の記憶がないこと、そして依り代のこの人形の中に多くの人の手をわずらわせる形で移されたこと……。
「そうか、大変だったんだな」
『もう過ぎてしまったことだがね。問題はこれからなんだ』
「というと?」
『自分がどこから来た、何者なのかということを知りたいんだ。そうしないと、自分がこれから何をすべきかも分からない』
すると、妹紅はすこし黙りこんだ。
どうしたのかと気になって妹紅の顔を見上げると、彼女ははっとしたような表情になって小さく首を左右に振った。
「ああ、いや……それもまたかなりの難題だなと思ってね」
『確かにね。ただ、何か目的があってここに来たのなら、それを思い出す必要がある』
「だが、逆の考え方もあり得るんじゃないか? つまり、ここに来ることそれ自体が目的だったのかもしれない。だから、ここに来る前のことは必要ない過去だから忘れてしまった、とかね」
『!』
軽い衝撃だった。そういう考えはいままでまったく思いつかなかった。
「……なにかまずいこと言ったかな?」
『そんなことはないが、驚いたんだ。そういう風に考えたことがなかったから』
「まあ、思いつきだよ。なにしろこの幻想郷は、外で行き場がなくなった連中が最後に流れ込んで来るような場所でもある。人の魂だってそういうこともあるかもしれないと思ったのさ」
『なるほど』
行き場がなくなった連中が最後に流れ込んで来る……。
この土地の生まれではないらしいレミィやアリスも、やはりそういった事情をもつ人々なのだろうか。
「自分であった記憶をなくしたままというのは、つらいものか?」
『いや、つらいということはないが。ある意味ではむしろさっぱりしている感じでもある』
「そうか。まあ、自分が何者かを知ろうとする考えそれ自体は大切なことだと思うが、いま現にある自分を尊重することも大事だという気がするな。記憶がないとしても、今のお前さんの考え方を形作っているのはそれまでに積み重ねた年月だろう? だから、お前さんはすべてを失ったというわけじゃない」
記憶がなくとも、思考の流れそのものを方向づけている性質のようなものは失われていないということだろうか。その性質が元の私のものだという保証はないが、すべてを失ったわけではない、というのは気持ちの上では楽になる考え方だ。
『…………』
幻想郷に来てからというもの、外見とはかけ離れた知性や風格をもつ人たちに出会ってきたが、この妹紅の場合はほかの連中とは少し違うような気もする。もっと違う次元から世の中を眺めているのかもしれない……。
と、彼女は口に手を当てると、「ふぁ……」と大きくあくびをした。
『え?』
私は急に現実に引き戻されたような、妙な気分になった。
「ああ、失礼。なんだか、さっきから少し眠気を感じてて……」
妹紅の歩みが急にゆっくりになり、身体が揺れる。
『……妹紅?』
「うーん、こりゃおかしいな」
妹紅はがくん、と膝をつく。その拍子に私は妹紅の腕から転げ落ちそうになり、あわてて空中で体勢を立て直した。
『大丈夫か? 身体の具合が悪いのか?』
「いや、違う。気分が悪いんじゃなくて、ただ眠いんだ。しかしどうしたんだろう、こんなことは……」
そう言いながらも、道の上に座り込んでしまった。
「このままわたしがのびたんじゃお前さん困るよな。そこのわかれ道の先……左側に大きい家があるだろう」
妹紅は、膝をついたままの姿勢で古い塀の向こうに見える茅葺屋根の家を指差した。
「あそこに紹介しようとした相手が……」
だが、最後まで言い終えないうちに、妹紅はがくりと地面に倒れてしまった。
『妹紅、おい?』
私は空中から妹紅のそばに降り立ち、左の胸に耳を当ててみた。鼓動はきちんと規則的に聞こえる。特に弱まっているという感じもしない。
顔色を見てもとくにおかしくはないし、呼吸は穏やかだった。
『眠っているだけか……?』
そのとき、突然悲鳴が聞こえた。
驚いて顔を上げると、何人かの子供たちが道に出てきていて、こちらを指差している。
と、その声に反応したように一人の人物が塀の向こうから出てきたかと思うと、恐ろしい勢いで駆け寄ってきた。
「お前、そこで何をしている!」
大声で叫ぶその人物の形相を見てこれはまずい、と思ったが、さりとてここで逃げ出しては誤解がさらに重なるだろう。
『参ったな……』
**********
博麗神社の母屋に、魔理沙と入れ替わる形で一人の妖怪が訪れていた。
「結局あんたの仕業だったのね」
「そういう言い方はないんじゃない、霊夢」
縁側に腰掛けた幽香はゆったりとお茶をすすりながら言う。
「わたしはただ挨拶をしようと思っただけ。そうしたら、あの子に断られちゃって……というかいきなり逃げ出すんだもの。追いかけてみたくなるのは狩人の性というものよ」
「あんたなんかに狩られた日にはたまったもんじゃないわ。それにしても、チビもよく頑張ったものね。追いつかれずに人里までたどりつけたんだし」
すると幽香はむっとしたように言い返す。
「わたしだって全力で追いかけたわけじゃないわ。怯えさせたら悪いと思ったし」
「まあ、その場に居たわけじゃないから分からないけど、あんたに追いかけられたってだけでチビは十分に怯えたでしょうね。見た目はかわいい女の子でも、中身は恐ろしいってことをきっと感じとったに違いないわ」
「それ、誉めてないわね?」
「誉めても貶してもいないけどね」
霊夢はにやにやする。
「ちぇっ、なんだか面白くない」
「どっちにしても、チビにあんたの相手は務まらないわ。手加減しながら遊び道具にするっていうのもお断り」
「……本人にも言ったんだけど、あの子はけっこうやると思うわよ。小さいなりだからって、油断はできない。むしろ力技に頼るような相手よりもやりにくいと思う」
「そうかなあ」
「戦いでは冷静な心というのも大事よ。わたしはこないだの宴会で黒猫とやった戦いをずっと見ていたけど、あの子は戦いの最中にも『考え』て動いていた。計算した行動を積み重ねた上で一撃で相手を倒したのよ。そういう戦い方ってなかなかできるものじゃないわ、よほどの余裕がなければね」
「…………」
「まあ、霊夢の場合はあんまり『考え』て闘っているという感じじゃないから、分かりにくいかもしれないけど」
「それじゃまるでわたしの頭の中が空っぽみたいじゃない」
「空っぽではないわ。心そのものはしっかりある。でも『考え』はない。それはそれでまた戦う相手としてはやりにくいのよね」
「まったく、分かりにくい話ばっかりするわね……」
霊夢は手元に置いたあった自分用の茶碗を手にとった。
「まあどっちにしても、里でなら大した問題はおきないでしょうけどね」
「分からないわよ。うるさ型がいるじゃない、ひとり。こういうの」
幽香は両手の人差し指を立てて、頭の上で上下させて見せる。角を示しているようだ。
「あの人、あんまりあなたのことはよく思ってないんでしょ? 巫女の服着た人形なんて目障りだーとか言い出すんじゃない?」
「でもまあ、いちおう人の中で暮らしてるんだから……人と同じ常識ってものはあると思うわ」
**********
倒れている妹紅とその側にいる私の目の前に来たその人物は、仁王立ちになって言った。
「妹紅様に何をした! 答えによってはただでは済まさんぞ」
長い裾のワンピース風の服装からして女性であることは間違いないが、頭に小さな箱型の帽子のようなものを乗せていて、すこし風変わりな印象がある。
『いや、私は何もしてないです。突然、倒れてしまったので……』
「嘘をつけ。妹紅様はそんな弱い方ではない。しかも、お前の発している妖気はそのあたりの妖怪など比べものにならん。何者だ!」
『ええとですね』
こういう状況で頭から経緯を説明しようとしても無理だ。
『私は博麗神社に居候している者なんですが……』
「神社に妖怪が居候しているなんて、わたしは聞いてないぞ。だいたい、わざわざ巫女そっくりにしたその姿が怪しい。人目をごまかすためのまやかしに決まっている」
『困ったなあ』
これでは会話が成立しない。おそらく妹紅が紹介しようとした人物は彼女らしいが、かなり気が短いのか、それとも妖怪という存在に対してある種の反感を持っているのか。
と、彼女はふいにすばやい動きで私の腕をつかんだ。
「おまえの妖気の源はここだな。何かついているようだ」
『あ、それは無理に外そうとすると……』
だが間に合わなかった。
「ぐぁっ!?」
慧音さんの上半身が激しく痙攣したように震える。あわてて彼女は私から離れ、勢いあまって尻もちをつく。
「なっ……貴様、あやしい術を」
『術っていうか、私自身がやったわけじゃないんですが……』
パチュリーご自慢の自動迎撃魔法が電撃を加えてしまったらしい。
「ええい、言いわけなど聞かん! こうなったら、わたしと勝負しろ。貴様が負けたら、二度と人間の里には立ち寄るな!」
『そんな無茶な……』
「無茶なものか。これが、この幻想郷での決着のつけかたというものだ」
戦いたくないばかりに里に来たというのに、これでは意味がない。しかし、この状況で逃げてしまっては、かけられた疑いを認めるに等しい。
やはり幻想郷で暮らすからには、この『儀式』は回避できないものなのか……。
私は服の中に霊夢から万が一のために、と渡されたスペルカードがあるのを確かめてから言った。
『やむを得ません。その代り、私が勝ったら、こちらの話を聞いてもらいますよ』
その8につづく