その6
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「ちょっと、待ちなさいって!」
後ろから叫び声が追いかけてくるが、振り返らずに飛び続ける。とにかく、いきなり「戦い」というのはいくらなんでもきつすぎる。だいたい、スペルカードの発動のさせ方なんて未だによく分かっていないのだ。
それにしても、かなり速度が出ているような気がするのに、振り切れない。こちらの身体の大きさのせいかもしれないが……。
このまま追いかけっこをしていてもらちがあかないな、と思いながらふと下を見ると、建物が密集している区域が眼についた。幻想郷の人々が住むという『里』だ。
頭に閃くものがあった。私は里に向かって急降下していった。
建物が両側に隙間なく立ち並んでいる本通りと思しき幅の広い道に接近したところで速度を落とし、人通りが途切れているあたりを見定めて道に降り立った。
背後に気配を感じて振り返ると、幽香さんが立っていて、私を見下ろしている。彼女は緑の髪をかき上げ、不満そうな顔つきで息を吐いた。
「……考えたわね。でも、さっきも言ったけどわたしはちょっとした挨拶がしたかっただけ。別に殺しあうとかそういうことじゃないのよ?」
『分かっています。幻想郷における戦いはいわば儀式に近いもので、ある種の楽しみでもあると……でも、やはりお互いの力を見定めるための行為でもあるわけでしょう。だとしたら、わたしと貴女の間でそんなことをする必要はないように思います』
「なぜ?」
『力の差が歴然としていますから』
「どうしてそう思うの? まだ何もしていないのに」
『まあ、一種の勘です』
実際、なぜといわれても説明できない。だが、幽香さんには何か桁違いの力が潜んでいるのを感じる。見た目ゆったりとした穏やかなその態度が余計にその印象を強くする。
幽香さんは薄く笑みを浮かべ、こめかみを人差し指で軽く叩いた。
「でも、わたしの『勘』だと、あなたもけっこうやるように感じるんだけど……まあ、ここに来られちゃったら仕方ないわねえ」
彼女は周りを見回す。通りにいた人々は立ち止まり、私たちをすこし緊張した顔つきで距離をおいて見ている。
「それに、ここで暴れるといろいろとうるさい人がいるしね。いいわ。あなた自身、自分の力をまだ掴みきってないと感じてるのかもしれない。考えてみれば昨日の今日だものね。でも、いずれはきちんと挨拶させて欲しいものね」
幽香さんはにこやかに言った。その笑顔には、恐怖と言わないまでも、少なからぬ圧迫を感じさせる雰囲気があった。
「それじゃあ、また」
彼女はすっと身体を浮かせると、スカートの裾を翻して飛び去って行った。
『やれやれ』
空の彼方に向かって小さくなってゆくその姿を見送るうちに、ふとまだ周囲の視線が私に向かっていることに気づいた。まあ、いきなり里に下りてきたわけだし、奇異に思われても不思議はない。しかも、私は里は初めてなので、当然彼らも私が何者かを知らないだろう。
『…………』
とはいえ、この場で人々に何か説明するというのもおかしいし、何事もなかったかのように振舞うのが無難だろう。とりあえず飛んだりすると人目を引きそうなので、そのまま通りを歩くことにした。いますぐに里を離れても、神社に帰る途中で万が一また幽香さんに出くわしたりしたら面倒だし、少し時間をつぶしたほうがよさそうだ。
多少の視線を浴びながらも私は歩き始め、人々も次第にそれぞれ元の居場所へと戻っていった。
初めて見る人里の家並みは、私にとっては懐かしいようでもあり、異国の風景のようでもあった。黒、灰色、褐色、白といった単調な色合いが続く町並み。表通りに面して立ち並ぶ木造の建物の大半は何らかの商売を営む店らしいが、一見して何の店なのかは分かりにくい。看板や暖簾のたぐいをよくよく見ると、屋号のほかに扱っている品物を示す文字や図柄が描かれたりしているという具合だった。
それらから推測するに、古着屋、道具屋、刃物の研ぎ屋、日用品の修繕屋など、いわばリサイクル業に相当するような店が目立つ。このような環境であればむしろ当然なのかもしれない。一般的な食料品を扱っている店というのがあまりないというのも特徴的だった。せいぜい酒や味噌、漬物などを扱う店があるぐらいだ。保存が利くもの以外は商売にしにくいという事情もあるのだろう。
一方、通りを行きかう人々の服装はモノトーンっぽい周囲の風景から浮き上がって見えるぐらいにカラフルだ。生地の柄や模様に関しても派手な感じがするが、色使いもかなり大胆に思える。しかも、どう考えても自然物由来ではない化学系の染料を使っているとしか思えない。和風とも洋風ともつかない混沌とした感じのデザインも少なくない。
間近に見えてきた店の軒先で一人の少女が横長の座椅子に腰を降ろして団子を食べていたが、彼女の外見もなかなか奇抜だった。腰まである銀色の髪に白地に赤の模様が入った大きなリボンをいくつも結び、白いシャツの下にはサスペンダーで吊った鮮やかな朱色のズボンをはいていた。色使いという点では霊夢と同じ紅白だが、もっと鮮烈な印象を受ける。
その少女が傍らの盆から湯のみを取って中身を飲もうとしたとき、ふと眼が合った。というか、私はあまりにも派手なその少女の外見に気をとられて、立ち止まって彼女を見つめてしまっていたらしい。
少女の瞳が大きく見開かれた。
「わ……あっ!?」
彼女の手から湯のみが落ち、赤いズボンに包まれた膝の上にお茶が飛び散った。
「熱っちちちち……!」
『!』
とっさに少女の足元に転がった茶碗を両腕で抱え上げた。左右に眼を走らせると、水の入った桶が店の入り口近くにあった。一気にそこへ飛び、水を掬い上げて少女の元へと戻り、膝の上に水を振りまいた。
「あっ……ああ」
少女はすこし呆然としたような顔つきで水浸しになった自分の膝と私とを交互に見ていたが、すぐに理解したらしく、笑みを浮かべた。
「ありがとう。どうやら、おかげで火傷しないですんだね」
『いや、こんな身体なのでうまく狙いが定まらなくて……余計なところまで濡らしてしまったようだ』
「どうしたんですかい、妹紅さん」
店の中から団子屋の主人らしき男性が慌てたように飛び出してきた。
「ああ、うっかりして湯のみを落としてね。その小さいヒトが火傷を防ぐために水をかけてくれた」
「……いま、布巾をもってきますよ」
男性はうさんくさそうに私を一瞥すると、いったん店の中に引っ込んだ。
『もしかすると、私のせいで貴女を驚かせてしまったかな』
「いや、お前さんのせいじゃないよ。強いて言えばわたしの修行不足かな」
少女はのんびりとした口調で言う。
「妹紅さん、どうぞ」
ふたたび出てきた男性から布巾を受け取ると、少女は私を手招きした。
「お前さんもけっこう濡れてるな。おいで、先に拭いてあげる」
『いや、私は……』
「遠慮するなよ。急いで水を掛けてくれたおかげで助かったんだしね」
そう言うと、宙に浮いていた私の身体を引き寄せて、濡れた服を拭いてくれた。
「わたしは藤原妹紅というんだけど、お前さんは?」
『チビ霊夢という。周りの連中はチビと呼んでいる』
「チビね。そうか、あの巫女と関係があるのか」
『いまのところ神社に居候しているんだが……霊夢とは知り合いか?』
「そうだな、顔は知っているというぐらいかな」
少女は私を拭きおえると、自分のズボンは適当に拭いて布巾を絞り、男性に返した。
「悪かったね、手間をとらせて」
「いえ、なんてことはありませんよ」
せっかくなので、私はこの男性に訊いてみることにした。
『ひとつうかがいたいが、私のような者が昼間からこのあたりを……人里をうろついているというのはあまり誉められたことではないのですか?』
「えっ……いや、別にそんなことはないですよ、ええ」
彼はすこし焦ったように手を左右に振る。
「ここは人間もそうでない方も集まるところですからね。人間と同じように振舞ってもらえれば誰も文句は言いません」
すると妹紅が私に向かって訊ねる。
「お前さんが神社に居候するようになったのは最近か?」
『ひと月経ったかどうかというところだな。それに、人里に来たのはこれが初めてだ』
「なるほどね」
妹紅は顎の先あたりを人差し指の先で撫でる。そういう仕草をしていると存外子供っぽい顔にも見える。
「まあ、あまり馴染みのない奴が相手だと、初めのうちは周りも警戒するだろうが、要はお互いに見慣れればいいということさ」
言われてみれば確かにその通りだ。
「なんだったら、そんなに手間をかけずに里の連中がお前さんのことを知ってくれるという方法がある。わたしがとある奴のところにお前さんを連れて行って紹介すればいいんだ」
『里の代表のような人か?』
「うーん……まあ、代表というにはどうかという気がするが、わりと知られている奴ではあるんだ。どうだ」
有名な人物であれば、そこを経由して話が広まりやすいということなのかもしれない。
『もしできるなら、それはそれでありがたいが……いいのか、そんなことに付き合ってもらって』
「かまわないさ、どうせ暇なんだ。それに、火傷を防いでもらった恩もある」
少女は長椅子から立ち上がると、私たちのやりとりを神妙な顔で聞いていた店の男性に、シャツのポケットから貨幣らしきものを取り出して手渡した。
「これ、勘定ね」
「毎度どうも……」
男性はこんなのとかかわっていいのかね、という感じの顔をしていた。無理もない。
「じゃあ行こうか」
妹紅は私を片腕で抱き上げた。
『あ……』
「飛ぶと目立つからな。それに人形は人に抱かれている姿のほうがおさまりがいいさ」
霊夢とはまた違った身体の感触だった。
その7につづく




