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その5



     5



 朝食の後片付けの手伝いを終えた私は、いつものように母屋の縁側で日なたぼっこをしていた。これは、一緒に暮らしているうちにいつのまにかでき上がった習慣で、霊夢が境内の掃除をしている間はここでいわば留守番をすることになっていた。


 霊夢と一緒にいる時間は日によってまちまちではあるが、離れている時間というのはだいたいあらかじめ暗黙のうちに決まっていた。これといって決まった仕事もなくこの神社に居候している身である以上、こうした「仕組み」は不可欠だった。同居はしていても、私と霊夢は世間一般で言うところの家族というわけではない。とはいえ、まったくの赤の他人と言い切ることも現状では難しい。


『…………』


 私は昨夜の紫さんの言葉を反芻していた。


 ──当面、あなたたちには『安定』していて欲しいから。


 それは、単に仲良く暮らせというようなありふれた忠告とは異なる響きをもつ言葉だった。


 逆に考えると不安定ということはどういう状態を指すのだろう? 単に喧嘩をするとか、そういう感情的な対立などとは違うのは確かだ。ならば、何なのだろう。力関係のバランスということか?


 少なくとも、現状からの大きな変化は望まないというニュアンスはあった。行動面でも自重して欲しいという風にも受け取れる。


 だが、いつまでもこのまま何もせずに過ごすいうわけにもいかない。この私という存在が無限に続くという保証があるわけでもないのだから。


 まずはこの幻想郷、結界によって閉鎖された特殊な世界を実際に自分の眼でよく見て回る必要がある。少なくとも、今の段階ではまだこの世界の内側の仕組みを実感しているという状態にはほど遠い。その上で、自分の「出どころ」を調べるための段取りを考えてゆかなければならない。


 ただ、それはそれとしてレミィがこの人形を手に入れた経緯についても見当をつけてゆく必要はある。彼女に口止めをすることができるぐらいなのだから、幻想郷の中でもそれなりの位置にいる者だと考えられる。だとすれば、候補となり得る人物の数はぐっと絞られるはずだ。


 いずれにしても、まずはどこから手をつけるかを決めなければならないが……。


 と、ふいに私の身体を包んでいた陽の光が遮られた。


 顔を上げると、日傘をさした赤い服の少女が目の前に立っていた。


「こんにちは」


 彼女が柔らかな笑みを浮かべて私に会釈をする。


『……こんにちは』


 私は立ち上がり、お辞儀をした。


『霊夢はいま掃除をしてますが、呼んできましょうか?』


「ああ、いいのよ。今日は別に霊夢に用があるわけじゃないから」


 そう言うと、少女は日傘を閉じて縁側に腰を降ろした。


「どうぞ、あなたも座って」


『はい』


 私は彼女の整った輪郭をもつ横顔を見つめた。ウェーブのかかった緑色の短めの髪。すこし釣り上がり気味の瞳の色は赤い。


 そこで、ようやく彼女の名前を思い出す。


『風見……幽香さん?』


「あら、覚えててくれたの? このあいだの宴会で紹介されたときは霊夢も酔っぱらってたし、まともな話ができるような雰囲気じゃなかったから、あらためて挨拶に伺ったのだけれど」


 幽香さんはそう言うと、首を回して私の顔を見た。


「それと、面白い話も聞いたしね」


『え……』


「ここでは、その手の話はあっという間に広まるのよ。一晩もあれば余裕。なにしろ妖怪が活動するのは主に夜だしね」


『ははあ』


 嫌な予感がした。その「話」の中身が何であるかは容易に想像がつく。問題は、それを面白がる理由だ。


「聞けばあなたって、霊夢と同じスペルが使えるっていうじゃない? しかも今回、なにやら魔法をかけてもらって力も一気に強くなったと」


『それは……たぶん誤解を含んでいます。私は霊夢のように特殊な修練を積んだというわけでもないので』


「でも、このあいだは八雲紫のところの黒猫さんを倒したじゃないの、『夢想妙珠』で。あれは間違いなく霊夢の技よ」


『自分の思う通りに力を発動できるわけじゃありません。あのときは相手の攻撃をかいくぐった末に訪れた一瞬だけの反撃の機会に、勝手に身体が反応したような感じだったんです』


「なるほど。逆に言えば、力を発動させざるを得ないような、そういう状態に追い込まれればいいわけね?」


 すっと幽香さんが立ち上がる。


 まずい。状況が悪化しているような気がする。


「わたしは強い力をもつ者が好き。それが人であろうと人外であろうと関係ない……ただ、手のうちを知っている相手よりは知らない相手のほうがより魅力的に見えるわ」


 どうするか。


「生き死にを賭けて戦うというようなことはこの幻想郷ではあり得ない。ただ、相手の力を知っておきたいという欲求は当然起きるのよ。このわたしに限らずね」


『つまり、そういう意味での挨拶を交わしたいと』


「そういうこと」


 幽香さんはふたたび笑みを浮かべる。その笑みになんの屈託もないというところが恐ろしい。


『申し訳ありませんが、そういった種類の挨拶は……』


 私も立ち上がり、幽香さんを見上げた。


「……?」


 一瞬、彼女の表情が動く。その隙を突いた。



     **********



 静かだった境内の空気が続けて二度、震えた。一度めは小さく、二度めはそれよりやや大きかった。


 地面に散らばる落ち葉を竹箒で掃き寄せていた霊夢は、顔を上げ眉をひそめた。


「……?」


 少しの間周囲の気配をうかがった霊夢は、首をすこし傾げつつもふたたび箒を動かしはじめた。


 だが、その竹箒の動きはひどく緩慢で、掃除としてはあまり効率的とは言えなかった。しかも掃いているのか、集めた落ち葉を散らしているのか、よく分からない。


 そんな彼女の前に、黒い影が空中からふわりと降りてきた。


「いよっ」


 つばの大きな黒い三角帽子を被った少女は、金色に輝く髪を揺らしながら手を振る。


「ちょっくらお茶をいただきにきたぜ!」


「…………」


「……霊夢?」


 ぼんやりとした表情のまま反応を返さない霊夢に、魔理沙がすこし戸惑ったようにもう一度手を振る。


 はっとしたように霊夢の眼の焦点が戻る。


「なんか考え事でもしてたのか?」


「ええ? いや、別に何も。掃除してただけよ」


 霊夢は魔理沙を見つめ返して言った。


「お茶でしょ」


「ああ」


 霊夢はくるりと踵を返すと、歩き出した。その後について歩きながらすこし遠慮がちな口調で魔理沙が訊いた。


「その、なんだ……チビは変わりないか?」


「うん。いつもと同じよ」


「そうか……」


「もしかして心配してくれてたの?」


「そりゃまあ、昨夜のあれはチビにしてみれば身体を改造されたようなもんだろ? なんか具合がおかしくなってないかとか、普通思うぜ」


「ああ、まあそうね……たしかにね」


 拝殿の脇から小道を抜けて母屋の前庭に出る。


「あら?」


 縁側にいるはずの小さな人形の姿が無かった。 


「ん、どうした?」


「いや、いつもだとそこに座ってるわけなんだけどね……」


 そう言いつつ霊夢は縁側に上がり、母屋の奥へと姿を消す。


 ややあって、湯気を漂わせた湯呑を二つと菓子鉢を載せた盆をもって戻ってきたものの、落ち着かない表情だった。


「やっぱりいないわ」


「どこかに出かけたんじゃないか?」


「だとしてもなにか一言あるもんでしょ。わたしがそこらにいるのは分かってるんだし」


「まあな」


 霊夢は魔理沙の隣に腰を降ろし、湯呑を手渡す。


「そういえば、さっきちょっとおかしな気配がしたのよね。何かが飛び出して行くような」


「ああ、そりゃわたしもここに来る直前に見たぜ。人の影みたいのがすごい勢いで飛んでった」


 霊夢は驚いたように眼を見開く。


「どこから?」


「いや、どこって言われても……一瞬だったからな。ただ、あれはどう考えてもチビじゃなかったぜ。チビだったらもっと小さいはずだ」


「でも、そいつが例えば別の何かのあとを追いかけて行った、ってことだって考えられるわ」


「まあまあ、待てよ」


 縁側から立とうとする霊夢に魔理沙が手を上げておさえる仕草をする。


「仮にその何かがチビで、誰かがチビを追いかけて行ったんだとしても、どうしようもないぜ。どこへ行ったもんか見当もつかないし……少なくともこの近くで弾幕を撃ち合ったりしてればすぐ分かるはずだろ。でもそんな気配はない」


「…………」


「それと、チビは確かに人の魂を宿してはいるが、姿は人形だ。妖怪から見れば人間じゃない。だから、いきなり一方的に襲われるってこともないはずだ。最悪でもスペルカード戦を挑まれるだけだろ。しかも、この間ここで『お披露目』もしたんだ。主だった連中は、チビが霊夢と同居してるってだけじゃなく、レミリアもからんでることを知ってる。チビはそれなりに安全な立場なんだ」


「それはそうかもしれないけど、万が一ってことがあるわ。あの子どっちかっていうと考え込んじゃうほうだから、いざとなったら体が動かなくなっちゃうかもしれない」


「だからって、お前がずっとチビの後をついて回るわけにもいかないぜ? 昨日の件だって、そういうことを考えた上でやったんだろ。お前さ……」


 魔理沙が軽く息を吐く。


「たぶん身内っていうものに慣れてないのかもしれないな」


「……!」


「身内のことを心配するのは当然だ。でも、お前はチビのことを全部分かってるわけじゃない。だいたいあいつ自身、自分が何者か分からないんだしな。だからこそ余計に心配なんだろう、それも分かる。だが、何もかも面倒みるってわけにもいかない。そういう関係に少しづつ慣れていく必要があるんじゃないのか、お互いにな」


「なんかさあ……」


 すこし伏し目がちにして魔理沙の言葉を聞いていた霊夢は、顔を上げると手を伸ばして魔理沙の被っている三角帽子のつばを指先で軽くはじいた。


「今日はずいぶんいろいろとしゃべるのね」


「普段しゃべることがない分、こういうときにはセリフが頭の奥から湯水のごとく湧き出てくるのさ」


「嘘ばっかり」


 霊夢は座りなおすと自分の湯飲みを手に取り、お茶を一口すすった。


「でもま、とりあえず忠告は承っておくことにするわ……まずは安定してることが肝腎なんだものね」


「安定? なんだそりゃ」


「ううん、いいのよ。大したことじゃないの」


 霊夢は手を小さく振り、空を見上げた。静かな青い空の上には澄んだ光を放つ太陽が高く上りつつあった。



その6につづく

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